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アーヴィング・バーリン 特集2018 『サウンド・ステップス 』永見隆幸 [本 新聞 テレビ ラジオ 等]



2018年は、『サウンド・ステップス』も『メリー・アーティスツ・カンパニー』も、ガーシュウィンが「アメリカのシューベルト」と称賛したメロディーの帝王"アーヴィング・バーリン"を中心に お送りします。


歌などの音楽、ダンスや芝居~舞台の魅力を 毎週土曜日15:55から @FM 80.7が お届けするラジオ番組『サウンド・ステップス』



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収録中の永見隆幸と黒江美咲


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ポーズをとる黒江さんと永見先生


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ダンスのポーズ と言うより 盆踊り…



ガーシュウィンが「アメリカのシューベルト」と称賛したメロディーの帝王"アーヴィング・バーリン"とは?!



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Irving Berlin アーヴィング・バーリン



アーヴィング・バーリン(明治21年 1888年 5月11日~平成元年 1989年 9月22日)は、帝政ロシアにおける現在のベラルーシに当る地域のシュテットル(小規模ユダヤ教徒コミュニティ)で、ラビ( ユダヤ教指導者)の家に生を享けます。

1893年、彼は5歳の時に家族8人とニューヨークのイーストサイドへ移住しました。移住のきっかけは、ポグロムというユダヤ人に対する迫害だと言われています。1901年、彼が13歳の時に父親が死去したため、学校を辞めて新聞配達や靴磨きなど、職を転々とします。正に辛酸をなめるとしか形容できないような、どん底の暮らしを強いられました。

その後、マンハッタンのチャイナタウンでカフェのウェイター 兼 専属歌手になります。ユダヤ教会の朗詠者でもあった父親譲りの美声を活かしたという説もありますが、バーリンは歌がうまくなかったという話も今に伝えられています。いずれにせよ、ニューヨークのティン・パン・アレー(Tin Pan alley)でソング・プラッガー(song-plugger)をしながらヴォード・ヴィルに出演していました。その傍ら、作詞と作曲も手掛けるようになったのです。

1911年に作詞作曲した"Alexander's Ragtime Band~アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド"の爆発的な大ヒットが、アーヴィング・バーリンの地位を確固たるものにしました。この曲は、RKO映画"Top Hat~トップ・ハット"(1935)のオープニング・クレジットや、20世紀FOXが製作した "Alexander's Ragtime Band~世紀の楽団"(1938)、"There's No Business Like Show Business~ショウほど素敵な商売はない"』(1954)にも使われています。 アメリカが生んだ最大の天才的音楽家と言われるジョージ・ガーシュウインも『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』に大きな影響を受けたと語っています。

アーヴィング・バーリンは1912年2月にドロシー・ゲッツ(Dorothy Goetz)と結婚しました。しかし、彼女が新婚旅行先のキューバで腸チフスを患い、1912年7月に20歳という若さで急逝してしまいます。5ヶ月後、哀惜の念を込めて作った"When I Lost You~貴女を失った時"が、彼のバラードとしての初ヒットになりました。

1918年、『ゴッド・ブレス・アメリカ』を作詞、作曲。1938年11月11日(第一次世界大戦 休戦記念日)に歌を披露することになった人気歌手のケイト・スミスは、バーリンに楽曲の提供を依頼します。そこで、お蔵入りになっていたこの曲の歌詞とメロディーに少し変更を加えて、彼女に手渡しました。当日、ケイト・スミスによって歌われた『ゴッド・ブレス・アメリカ』がCBSラジオで全国に放送されると、一大旋風が巻起り、瞬く間に国民的人気を集めます。この曲は、ケイト・スミスの signature song、いわゆる代表曲になりました。以来、ビング・クロスビーとケイト・スミスのレコードが、長期に亘って高い人気を維持。そして、この曲が1940年5月のメモリアル・ディ~戦没将兵追悼記念日に、当時ニューヨークのブルックリンにあった「エベッツ・フィールド」で演奏されると、人々は、国歌が流れたかのように帽子を取って立上りました。やがて、この曲は「第二の国歌」と呼ばれるようになります。一時期は楽譜の印刷が需要に追付かない程でした。宣伝や売込みを全く行わなかったにも拘らず、『ゴッド・ブレス・アメリカ』はヒットしたのです。アメリカ国歌"Star Spangled Banner~星条旗"が国歌に定められたのは1931年。そんな時代背景も手伝ってか、"God Bless America"を国歌に、という機運が高まりました。実現しなかったのは、バーリンがロシア生れのユダヤ系ゆえに白人至上主義者やアングロ・サクソン系プロテスタントから妨害を受けたからだとも言われます。しかし何よりも、バーリン自身やケイト・スミスが賛同しなかったことが大きな要因だったのではないでしょうか。バーリンにとっても特別な楽曲だったのか、彼の曲集以外の出版物に、この曲の掲載を許可していません。
"God Bless America〜神よアメリカに御加護を"というフレーズは、 若き日の極貧生活の中で、いつもバーリンの母が呟いていた口癖だったそうです。
学校、軍隊、大統領の就任式、ボーイ・スカウト、メジャー・リーグのワールド・シリーズなどは言うまでもなく、特にアメリカの同時多発テロ事件"9.11"以降、『ゴッド・ブレス・アメリカ』が、様々な機会に、あらゆる場所で、多くの人々に歌われています。

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"God Bless America 神よアメリカに御加護を"を歌うアーヴィング・バーリン



1924年、大資産家クラレンス・マッケイの美しい娘エリン・マッケイは、12年の間ひとり身だったアーヴィング・バーリンに自ら近づきますが、クラレンスが交際に反対し、エリンを連れてヨーロッパに旅立ってしまいます。悲しみに暮れた彼は"All alone~ひとりぼっち"や"Remember~リメンバー"などの曲を作ります。しかし、彼らの愛は冷めるどころか一層激しく燃え上り、アーヴィング・バーリンは"I'll be loving you always~とこしえに君を愛す"を書くことになるのです。1926年1月5日、ニューヨーク・タイムズの一面を飾ったアーヴィング・バーリンとエリン・マッケイの結婚のニュースに、クラレンス・マッケイは激怒して言葉を交すことさえ拒絶しました。けれども、アーヴィング・バーリンの長男が1928年のクリスマスに亡くなると、バーリンの悲嘆に暮れる姿を見たクラレンス・マッケイは心を開き、バーリンがイースター・パレードで得た印税によって1929年の世界大恐慌で全財産の殆どを失ったクラレンスに救いの手を差伸べ、和解に至ります。
ふたりの結婚は正に幸福そのものと言ってよく、身分の違いなどには全く影響されませんでした。女の子を3人授かり、社交界やナイト・クラブなどには関らず、夏には静かな農場で過ごすなど、生活が即ち仕事というような人生を送りました。
1988年にエリンが85歳で他界すると、翌年、アーヴィング・バーリンは後を追うように101年に亘る人生の幕を閉じます。

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アーヴィング・バーリンとエリン・マッケイ



『ブルー・スカイ~Blue Skies』は、1926年12月にオープンしたロジャーズ・アンド・ハート (Rodgers & Hart)のミュージカル『ベッツィ~Betsy』に出演したベル・ベイカー(Belle Baker)というミュージカル女優のためにアーヴィング・バーリンが特別に作曲したものです。
ロジャーズ&ハートのミュージカルには、他の作曲家の音楽を入れてはならないという約束になっていました。ですが、ヴォードヴィルの大スターだったベル・ベイカーは、目玉になる「ベル・ベイカー・ソング」が『ベッツィ』に見当らない、つまり、自分が歌ってヒットするような、持ち歌にしたいナンバーがないと駄々をこねます。そして、何と、ミュージカル『ベッツィ』オープン前日にバーリンに泣きついて、この曲を徹夜で書かせたと伝えられています。
ミュージカル自体は、ベルの予想通り人気がなく、当時の水準としては極めて短い期間に公演が終了してしまいます。しかし、バーリンの『ブルー・スカイ~Blue Skies』だけは大人気で、初演の時に24回もアンコールがあったそうです。ベル・ベイカーがフィナーレのリピートするところでウッカリ歌詞を忘れ、最前列に座っていたバーリンに歌わせたというエピソードも残っています。無理もないことですが、『ベッツィ』の作者であるロジャーズ&ハートは、長い間ベル・ベイカーと口もきかなかったと言われます。
翌年の1927年、『ブルー・スカイ~Blue Skies』は、ベン・セルヴィン(Ben Selvin)楽団のレコーディングがヒットチャートの第1位にランクされます。同年、世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー~THE JAZZ SINGER』で、ブロードウェイのスターだったアル・ジョルソン(Al Jolson)が『ブルー・スカイ~Blue Skies』を歌って大ヒットし、広く知られるようになります。これを契機に、バーリンは、その後も数多くの映画音楽に携わりました。1935年にはベニー・グッドマンの楽団がこの曲を録音。そして1946年、ビング・クロスビー(Bing Crosby)が、映画『ブルー・スカイ~Blue Skies』の主題歌として歌い、完全に人気が定着しました。

RKOが1935年に制作したフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの主演映画"Top Hat~トップ・ハット"が、大ヒット。"Alexander's Ragtime Band~アレクサンダー・ラグタイム・バンド"、"No Strings/I'm Fancy Free~ノー・ストリングス"、"Isn't This a Lovely Day?~イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ"、"Top Hat, White Tie and Tails~トップ・ハット"、"The Piccolino~ピコリーノ"、"Cheek to Cheek~チーク・トゥ・チーク〜頬寄せて"など、名曲が目白押しで、アーヴィング・バーリン代表作の一つと呼ばれるようになりました。

僕の曲を歌って貰うのなら、どの歌手よりもフレッド・アステアに限る。彼の声がよいという訳ではなくて、伝え方や表現の仕方がとても素晴らしい。彼は誰よりも曲を聴き手に判らせるのがうまい。アーヴィング・バーリンはそう語っています。アメリカにおいてクラシックとポピュラーの両分野で歌曲の作家として活躍し、バーリンを批評して彼を激怒させたアレック・ワイルダーも同様の意見を述べています。
もちろん美しい声や歌のうまさも大切ですが、"delivery & diction"(歌詞の語り方と発音法)という要素も大事にしなくてはなりません。有名であっても、声が大きいだけだったり、表現が雑だったり、結構そんな歌手はたくさんいて、ガッカリさせられることが意外に多いと言われるのは残念ですね。

1942年には『スウィング・ホテル~Holiday Inn』の劇中歌『ホワイト・クリスマス』により、アカデミー歌曲賞を受賞。全盛のハリウッドを代表する映画音楽家になったのです。『ホワイト・クリスマス』は、言うまでもなく、歴史上最も好評を博した歌曲の一つとして知られています。初めて歌ったビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』は五千万枚のシングル盤の売上があるとされ、1958年以前の記録については不備があるものの、世界最高と謳われています。

ジェローム・カーンが作曲する予定だった"Annie Get Your Gun~アニーよ銃をとれ"(1946年)は、急死したカーンの代りに、アーヴィング・バーリンがスコアを手掛け、これも彼の代表作の一つになりました。ショウ・ビジネス界の"Anthem"(賛歌 国歌)と呼ばれる"There's No Business Like Show Business~ショウほど素敵な商売はない"を始め、"They Say It's Wonderful~素適だと皆が言う"、"Anything You Can Do~貴方にできる事なら何でも"など、今に歌い継がれています。
アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュウィン、リチャード・ロジャース、コール・ポーターの4人は、ブロードウェイ・ミュージカルの四天王と呼ばれました。

アーヴィング・バーリンは日本に関る作品も遺しています。マーロン・ブランドと高美以子の主演、ナンシー梅木がアカデミー助演女優賞を獲得した映画"SAYONARA~サヨナラ"は、1957年の朝鮮戦争当時のアメリカ兵と日本人女性の恋を描いた作品で、その主題歌が、アーヴィング・バーリンの手になるものです。

ロックン・ロールの台頭に違和感を覚えていたアーヴィング・バーリンは、1962年、ミュージカル"Mister President~ミスター・プレジデント"の興業失敗を以て引退します。MGMが1964年にバーリンの曲でミュージカルを企画しますが、紆余曲折を経て5年後には廃案になってしまいました。しかし、引退後も彼は高い評価を受け続けます。1968年にグラミー賞の生涯功労賞を受賞、1977年にアメリカで民間最高位の勲章「大統領自由勲章〜Presidential Medal of Freedom」を受章、1988年にはバーリン百歳の記念コンサートがカーネギー・ホールで開催されてミュージカルと映画界のスターが総出で彼の曲を歌い、没後も、その栄誉を称えて記念切手が発行されています。

アーヴィング・バーリンは、正式な高等音楽教育を受けたことがありませんでした。楽譜を書くことはおろか、読むことさえできなかったらしいのです。彼にとっての作曲は、思い浮んだメロディーを口ずさんで採譜者に記録して貰う事、そして編曲者に歌って聴かせる事でした。アーヴィング・バーリンのピアノの技量は、黒鍵でF#しか弾くことができず、とても拙かったと言われています。現在は存在しませんが、当時はレバーの操作で移調できるピアノがあったらしく、ずいぶん重宝したようです。自作には強い誇りを持っていた彼ですが、直ぐに自信を失くしたり、長い間スランプに陥ったりする繊細なところもありました。

「音楽の規則に無知な故に、いつも規則を逸脱して来たが、それが結果として魅力的な個性を創った。」「音楽に対する相対的な無知や無理解が有利に働くこともある。」という主旨のことを、彼は"The Green-Book Magazine"で語っています。これは全ての人に当嵌ることではないのかもしれません。環境に恵まれなかった類希なる才能の持ち主が、血の滲むような努力を重ねて開花結実した稀有な例と捉えるべきなのでしょうか。

101歳という天寿を全うしたアーヴィング・バーリンは、三千以上に上る曲に作詞、作曲は千五百作品を超え、17作品の映画音楽とブロードウェイ・ミュージカル21作品を手掛けたと言われています。

アーヴィング・バーリンの曲はヨーロッパ音楽の影響が強く、アメリカ音楽ではないという評論家もいます。けれども、ミュージカルの作曲家を代表する一人で数多くのスタンダード・ナンバーを遺したジェローム・カーンが、「とんでもないことだ」と、それを強く否定しました。「アメリカのポピュラー音楽において、アーヴィング・バーリンはどんな位置を占めるのか。」と尋ねられたジェローム・カーンは、「位置などない。アーヴィング・バーリンこそがアメリカのポピュラー音楽なのだ。」と答えています。

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“Irving Berlin has no place in American music. He is American music. Emotionally, he honestly absorbs the vibrations emanating from the people, manners and life of his time and, in turn, gives these impressions back to the world—simplified, clarified and glorified.”
アーヴィング・バーリンがアメリカの音楽に占める位置など全くない。彼そのものがアメリカ音楽なのだ。感動的に、彼の時代の人々と作法と生活から伝わる心の動きを誠実に吸収し、その印象を世界に還元する – 簡略化し、明確化し、美に昇華して。
-Jerome Kern ジェローム・カーン(作曲家 アメリカ)


“I don’t know anyone who sits down to write a hit song except Irving Berlin. He can’t help writing hits.”
アーヴィング・バーリンを除いて、座ればヒット・ソングを書いてしまうという人を誰も知らない。彼はヒットを書かずにはいられないのだ。
-Cole Porter コール・ポーター(作曲家&作詞家 アメリカ)


“Berlin’s great secret is that he says exactly what he means; sometimes he hits a gigantic line both musically and lyrically—almost Wagnerian in its strength.”
バーリンの偉大な秘密というのは、彼が本当に意図するところを正確に示すことなのだ。時に音楽と歌詞の両面において膨大なラインをヒットする - その強靭さは殆どワグネリアンだ。
-Oscar Hammerstein II オスカー・ハマースタイン二世(ミュージカル作詞家&脚本家 アメリカ)


“If a man, in a lifetime of 50 years, can point to six songs that are immediately identifiable, he has achieved something. Irving Berlin can sing 60 that are immediately identifiable. Somebody once said you couldn’t have a holiday without his permission.”
もし、ある人が、50年の生涯に、直ぐに識別できる6曲を挙げられるのなら、その人は注目に値する何かを成し遂げたことになる。しかるにアーヴィング・バーリンは即座に彼のものと判る60曲を歌うことができるのだ。
かつて誰かが、彼の許可がなくては貴方達が休みをとることなんかできないねって言ったんだよ。
-Sammy Cahn サミー・カーン(作詞家 アメリカ)


“America’s music was born at his piano.”
アメリカ音楽は彼のピアノで生れた。
-Isaac Stern アイザック・スターン(ヴァイオリニスト アメリカ)



ジョージ・ガーシュウィンがアーヴィング・バーリンをアメリカのシューベルトと賞賛したことは広く知られていますが、そのうえ彼は、バーリンが作曲の天才というだけではなく、ほかの誰よりアメリカ音楽に重大な影響を与え、真にアメリカ固有の音楽を創った初めての人であるとも評価し、激賞しているのです。



【Irving Berlin アーヴィング・バーリンの代表作一覧】
"英語タイトル" (制作年等)『邦題』

"Alexander's Ragtime Band" (1911)『アレクサンダー・ラグタイム・バンド』
"Play A Simple Melody" (1914)『プレイ・ア・シンプル・メロディ』
"I Love A Piano" (1915)『アイ・ラヴ・ア・ピアノ』
"All By Myself" (1921)『オール・バイ・マイセルフ』
"What'll I Do?" (1924)『ホヮットル・アイ・ドゥ』
"All Alone" (1924)『オール・アローン~ひとりぼっち』
"Remember" (1925)『リメンバー』
"Always" (1925)『オルウェイズ』
"Blue Skies" (1926)『ブルー・スカイ』
"Marie" (1929)『マリー』
"Puttin' on the Ritz" (1930)『プティング・オン・ザ・リッツ~踊るリッツの夜』
"Say It Isn't So" (1932)『セイ・イット・イズント・ソゥ~嘘だと言って』
"How Deep Is The Ocean? (How High Is The Sky?)" (1932)『ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン』
"Easter Parade" (1933)『イースター・パレード』
"Cheek To Cheek" (1935)『チーク・トゥ・チーク~頬寄せて』
"Let's Face The Music And Dance" (1936) 『レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス~歌に合わせて踊ろうよ』
"I've Got My Love to Keep Me Warm" (1937)『アイヴ・ガット・マイ・ラヴ・トゥ・キープ・ミー・ウォーム~恋に寒さを忘れて』
"God Bless America" (1938)『ゴッド・ブレス・アメリカ/神よアメリカに御加護を』
"White Christmas" (1942)『ホワイト・クリスマス』
"They Say It's Wonderful" (1946)『ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル~素適だと皆が言う』
"There's No Business Like Show Business" (1946)『ゼァズ・ノー・ビジネス・ライク・ショウ・ビジネス~ショウほど素敵な商売はない』
"Annie Get Your Gun" (1946)『アニー・ゲット・ユア・ガン~アニーよ銃をとれ』
"It's A Lovely Day Today" (1950)『イッツ・ア・ラヴリー・デイ・トゥデイ/今日は素晴らしい日だ』



アーヴィング・バーリン本人が気に入っていたのは次の5曲です。

"Always" (1925)『オルウェイズ』
"Easter Parade" (1933)『イースター・パレード』
"God Bless America" (1938)『ゴッド・ブレス・アメリカ』
"There's No Business Like Show Business" (1946)『ショウほど素敵な商売はない』
"White Christmas" (1942)『ホワイト・クリスマス』



【Irving Berlin quotes アーヴィング・バーリン名言集】

Life is 10 percent what you make it, and 90 percent how you take it.
人生とは、10パーセントは自分で作るもので、90パーセントはそれをどう引受けるかだ。

Our attitudes control our lives. Attitudes are a secret power working twenty-four hours a day, for good or bad. It is of paramount importance that we know how to harness and control this great force.
我々の姿勢が我々の人生を支配する。姿勢というものは、良くも悪しくも、一日24時間働く秘密の力だ。この偉大なる力を如何に活用してコントロールするかを知ることが最も重要なのだ。

Talent is only the starting point.
才能は出発点に過ぎない。

Things that really matter are the things that gold can't buy, so let's have another cup o' coffee and let's have another piece o' pie.
本当に大切なものはゴールドでは買えないから、もう一杯コーヒーを飲んで、もう一切れパイを食べよう。

There may be trouble ahead - But while there's moonlight, and music, and love, and romance -Let's face the music and dance.
前途にトラブルが生まれるかもしれない – でも月の光と音楽と愛とロマンスが存在している間は – 音楽とダンスに向き合おうよ。

Music is so important. It changes thinking, it influences everybody, whether they know it or not. Music knows no boundary lines.
音楽はとても重要だ。それを知っているかどうかに拘らず、音楽は思考を変え、あらゆる人に影響を与える。音楽はものごとの境目など全く関知していないのだ。

After you get what you want you don't want it.
望むものを手に入れた後は、もう、それを望まない。

The song is ended, but the melody lingers on...
歌が終っても、メロディーはいつまでも残る…

There is an element of truth in every idea that lasts long enough to be called corny.
古臭くて陳腐と言われるようになるほど長続きしている全てのアイディアの中にこそ、真実の要素が存在する。

You can't write a song out of thin air, you have to feel and know what you are writing about.
どこからともなく歌を書くことなどはできなくて、何について書いているのかを感じ、知らなければならない。

Everybody ought to have a lower East Side in their life.
誰もが人生にロゥワー・イースト・サイドを持っているべきだ。(当時、ニューヨーク市マンハッタンのロゥワー・イースト・サイド LES は移民や低所得労働者階級の居住地だった。)

All good song-writers have no more than half a dozen good tunes in their systems, and if they have that many, they are liberally blessed.
どんな優秀な歌曲作家も、よい曲なんか譜表に半ダース(6曲)を超えては持っていない。でも、それだけ持っているのであれば、ふんだんに恵まれているということなのだ。



Irving Berlin at piano.jpg
There's no business like IRVING BERLIN !
『アーヴィング・バーリンほど素適な仕事なんかない!』



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