永見隆幸 カーザ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジチスティ 音楽家達の憩いの家 を訪問 Casa di Riposo per Musicisti Giuseppe Verdi イタリア ミラノ [永見隆幸 海外]
永見隆幸先生が、イタリアのミラノにある「カーザ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジチスティ 音楽家達の憩いの家 Casa di Riposo per Musicisti Giuseppe Verdi」を訪問されました。
この「カーザ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジチスティ 音楽家達の憩いの家 Casa di Riposo per Musicisti」は、親しみを込めて、「カーザ・ヴェルディ Casa Verdi ヴェルディの家」と呼ばれています。
永見隆幸先生とヴェルディ像
「音楽家達の憩いの家」のエントランスから見上げると"Casa di Riposo per Musicisti"のサイン
ヴェルディ像 と「カーザ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジチスティ 音楽家達の憩いの家 Casa di Riposo per Musicisti」のサイン
カーザ・ヴェルディ と ヴェルディ像
カーザ・ヴェルディから見るヴェルディ像
音楽家達の憩いの家は、引退した音楽家が余生を送る施設で、ジュゼッペ・ヴェルディが私財を投じて設立しました。ヴェルディも、妻のジュゼッピーナとともに、ここで永眠しています。
ヴェルディが自ら最高傑作と呼んだ「音楽家達の憩いの家」は、ダニエル・シュミット監督のドキュメンタリー映画『トスカの接吻』、ロナルド・ハーウッドの戯曲『想い出のカルテット 〜もう一度唄わせて〜』、ダスティン・ホフマン初監督の映画『カルテット!人生のオペラハウス』のモデルになるなど、関心を集め続けています。
カーザ・ヴェルディ中庭
カーザ・ヴェルディのサロン
カーザ・ヴェルディにあるヴェルディの霊廟
ヴェルディの霊廟
音楽家達の憩いの家は、1896年=明治29年から建設が始まって1899年=明治32年に完成しましたが、ヴェルディの意思により、彼の死後、1902年=明治35年から利用されました。
ヴェルディの霊廟
ヴェルディの墓所
ヴェルディの葬儀 1901年=明治34年 30万人もの群衆が見送った
出棺時にはアルトゥーロ・トスカニーニの指揮で 820人の歌手が オペラ『ナブッコ Nabucco』の「行け 我が想いよ Va', pensiero」を歌った
遺言で簡素な式を望んでいたが 壮大な国葬が行われた
オペラ台本作家アリゴ・ボーイトの兄である建築家カミッロ・ボーイト Camillo Boito は、当初この施設の名称を「Ricovero di Musicisti」と提案しましたが、ヴェルディは、「養老院」「収容」「保護」という意味の "Ricovero" を受入れず、「ここは収容所ではなく、入居する人々は皆 私の客人である」と述べ、「Casa di Riposo per Musicisti 音楽家達の憩いの家」と命名したのです。
後年、一番好きなご自分の作品は、と問われたヴェルディは、この「憩いの家」と答え、「私が創った最も美しい作品」と語ったと伝えられています。
「カーザ・ディ・リポーゾ・ペル・ムジチスティ 音楽家達の憩いの家 Casa di Riposo per Musicisti」全景
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2018-10-27 22:00