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永見隆幸 橘右之吉 訪問 招木 揮毫 制作 [永見隆幸& UNOS]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、橘流寄席文字書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉さんのアトリエを訪問されました。



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橘右之吉さんが、永見先生の招木三種を揮毫、制作してくださいました!





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橘右之吉さん(左)永見隆幸先生(右)東京都文京区湯島にある橘右之吉さんのアトリエ「うのす UNOS」にて



永見先生の右に見えるのは「角大師」で、何と、永見先生は、橘右之吉さんにお願いして角大師を描いていただいています。



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橘右之吉さんが揮毫なさった角大師と永見先生





角大師とは、慈恵大僧正良源師のことです。比叡山延暦寺の高僧で、平安時代に疫病が流行した時、自ら鬼に姿を変え、厄病神を退散させたという逸話の持ち主です。鬼に変った際、角が生えたという言い伝えから、角大師とも称され、庶民の尊崇を集めたそうです。コロナの流行で、再び今クローズ・アップされています。


庶民から、元三大師や角大師と呼ばれて敬愛される良源師を、何故、永見先生は、慈恵大僧正良源師とおっしゃるのか、その訳をお尋ねしました。
全く拘 こだわ りは無いのですが、と前置きなさり、「良源師に朝廷から『慈恵』と諡 おくりな された時、大師号はありませんでした。しかし、僧侶としての最高位である『大僧正』の位に在った方なので、敬意を込めて『慈恵大僧正良源師』とお呼びしている」そうです。加えて、「元三大師、角大師、降魔大師などと称してお慕いするのは、たいへん結構なことで、それに異論を挟むつもりは毛頭ありません」ともおっしゃっていました。


永見先生に、慈恵大僧正良源師について、どこに敬意を抱かれるのかをお聴きしました。
第一に、厳しい修行を耐え抜く信念の人であったこと。
次に、「先ず他人 ひと を立て 自らを後にすべし」という遺誡 ゆいかい
そして何と言っても、その遺言だそうです。慈恵大僧正良源師の墓所は、御廟 みみょう と呼ばれ、京都の鬼門にある比叡山、比叡山の鬼門である横川 よかわ、その横川の鬼門に当る華芳峰 かぼうお にあります。死んでもなお、京の都を守らんと、この鬼門中の鬼門と言える地を自ら墓所に選び、荒れるに任せるよう遺言なさったのです。その姿勢に心打たれると永見先生はおっしゃいます。


書かれていることの意味について、皆目見当がつきませんでしたので、永見先生に伺いました。
「出楞嚴定 降魔伏邪」は、「勇猛堅固な三昧である首楞嚴定 しゅりょうごんじょう を成就された慈恵大僧正は、悪魔を抑え鎮めて邪鬼をひれ伏させる。」、「大悲化身 悪厄退散」は、「生きとし生けるもの全てを救済せずにはおかぬという菩薩の大いなる慈悲により、人に姿を変えてこの世に現れた慈恵大僧正が、不吉な禍事 まがごと を散り散りに消し去る。」という意味だそうです。





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橘右之吉さんが揮毫なさった角大師


橘右之吉
TACHIBANA Unokichi

橘流寄席文字 江戸文字 書家
昭和25年=1950年 東京に生れる。
昭和40年=1965年 橘流寄席文字家元の橘右近に師事。
昭和44年=1969年 正式な継承者として橘右之吉の筆名を認可される。
昭和50年=1975年 株式会社文字プロを設立。
平成22年=2010年 湯島天神前にオフィス兼工房の株式会社UNOSを構える。
平成25年=2015年 文京区伝統工芸会より「文 ふみ の京 きょう 技能名匠者」に認定される。
令和2年 = 2020年 月刊誌「銀座百点」に『右之吉文字かたり』を連載。

主な作品や筆耕歴は、国立劇場や国立演芸場のポスター、湯島天満宮、柴又帝釈天、浅草鷲神社、浅草神社、中村勘三郎丈襲名招木 まねき、坂東三津五郎丈襲名祝掛行灯、中村勘九郎丈襲名記念飾絵馬群、平成中村座ニューヨーク公演ベルリン公演スペイン公演等 揮毫実演、坂東彌十郎丈欧州公演 揮毫実演、永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー大看板、永見隆幸招木 まねき、ほか多数。

個展は、「橘右之吉の世界展」東京新宿住友ビル 夢ギャラリー、オーストリアのウィーンで開催された「橘右之吉因維納」 "Tachibana Unokichi in Vienna" など。江戸開府400年記念作品展「江戸のタイポグラフィ展」アド・ミュージアム東京にも参加している。

題字や装丁も、なぎら健壱『東京の江戸を遊ぶ』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝創作落語大全集』(メディアクラフト)題字、『中村勘三郎、襲名!特集』和樂(小学館)タイトル題字、澤田隆治『決定版 上方芸能列伝』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝の上方落語へいらっしゃ~い』(コミックヨシモト)タイトル題字、福田和子『吉原はこんな所でございました』(ちくま文庫)装丁とタイトル題字、沢村貞子『私の浅草』(平凡社)装丁とタイトル題字と後書きエッセイ、ほか多数。

NHK「美の壷 - 浅草」、木村和久「江戸文字」週刊宝島、「モノが伝える中村勘三郎襲名披露」ぴあ月刊カラフル、浅原須美「粋に遊ぶ」助六 二玄社、堀口葉子「パソコンには奪えぬ仕事」フジサンケイ ビジネスアイ、NHKBSハイビジョン「襲名 坂東三津五郎」、NTV 阿藤快「ぶらり途中下車の旅」、BS11 大人の自由時間「なぎら開宝計画」、monoスペシャル「職人モノ No.2 - 洒落と縁起が込められた寄席文字・江戸文字 橘右之吉」ワールド・ムック851 ワールドフォトプレス 平成23年、丸若屋×井浦新「美しい手が生み出すモノたち 寄席・江戸文字/橘右之吉」ハースト婦人画報社 ELLE DECOR 日本版2013年8月号、山崎真由子「職人の手 16 PROFESSIONAL STORIES - 江戸文字 橘右之吉」KTC中央出版、彬子女王「イノリノカタチ 消し札 - 橘右之吉」和樂 2020年2/3月号 小学館など、数多くのメディアに取上げられている。





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アトリエに一歩足を踏み入れると、先ず目に飛込んで来たのが、三越ジャパンセンスィズ Mitsukoshi Japan Senses に参加された橘右之吉さんのポスター。





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色々な話題に花が咲いて談笑なさる橘右之吉さんと永見先生


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二尺もある、永見先生のフルネームが記 しる された招木 まねき を前に、何かを取出そうとなさる橘右之吉さん。



~招木 まねき とは~

江戸時代、宿場の茶屋や旅籠では、馴染みの客が贈った木札などを表に並べて掲げる光景がよく見られたそうです。そこには火消の組や講中の名前などが記されていました。それが新たな客を呼込むことに繋って、「招き」と呼ばれるようになり、「招木」「招喜」の字が当てられ、景気をつける招福の縁起物として飾られるようになったのです。文化文政の頃には、銘木 めいぼく に、「額彫 がくぼり」と呼ばれる技法で名を浮彫りにし、更には、漆を注すなど、凝った招木が作られるようになりました。



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木製の何かでしょうか…



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招木を起こして…



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招木を掛けるのではなく、立てる…



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招木が立つようにする道具を、飾脚 かざりあし と言います。



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高さ二尺で巾五寸の特選木曾檜、橘右之吉師匠による題字揮毫、額彫 がくぼり、漆差 うるしざし、黒漆地本金箔家紋、飾脚二本一組、堂々たる招木の完成です!



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こちらは、高さ一尺五寸で巾四寸の特選木曾檜入山屋根付、橘右之吉師匠による題字揮毫、額彫 がくぼり、漆差 うるしざし、黒漆地本金箔家紋、飾脚二本一組。



江戸前、関東の入山招木 いりやま まねき は、山形の板が組木の形。関西では、斜めになった左右の板の上部が交差して突出た形だそうです。



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江戸前の入山 関東風

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上方の入山 関西風



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入山招木について語る橘右之吉さん



日本の家屋において、屋根の傾斜は、「角度」ではなく「屋根勾配」で決められるそうです。屋根勾配は、水平方向に一尺つまり十寸行ったところで、何寸垂直方向に上ったかで表します。例えば一尺横に行って五寸上る場合は「五寸勾配」と表記します。一般的な屋根の場合は四寸五分から六寸程度の勾配で、角度にすると約30度。入山招木の屋根も、大凡 おおよそ それ位の緩やかな勾配で拵 こしら えられる故に、日本人には、しっくり来るということです。



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師匠と永見先生のお話は、内容の濃さだったり、尺貫法で会話がトントン進んで行ったり、驚くべき所が多々ありました。



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これは、高さ一尺で巾三寸の特選青森檜葉、橘右之吉師匠による題字揮毫、額彫 がくぼり、漆差 うるしざし、黒漆地本金箔家紋、飾脚二本一組。



二尺の大きな招木に比べ、その可愛らしさに、歓声が上りました!



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橘右之吉師匠は、満足できる仕上りだと思っても、一晩おいて招木を逆から眺めると、アラが見えることがあると、おっしゃっていました。
師匠は、ご自分に厳しい方なので、そうはおっしゃいませんが、永見先生の招木を逆さにご覧になってもこの表情という事は、ひょっとして、快心の出来だと思っておられるのでは… ♬
そんな風に感じさせてくれる、立派で風格のあるステキな招木です!



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右から:
・十八世 中村勘三郎丈の招木
・永見隆幸先生の招木
・シンガー・ソング・ライター 鬼束ちひろさんの招木
・橘右之吉師匠の入山招木



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永見先生の招木を掛ける橘右之吉師匠と 二尺に及ぶ師匠の大招木を大事そうに抱える永見先生



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永見隆幸
NAGAMI Takayuki


音楽家 著作家 舞台ディレクター

20歳代はアメリカに住み、30歳代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

モーツァルトなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演やトリノ王立歌劇場への出演など、脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン(ガーション)役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感、美しいヴェルヴェット・ヴォイス、抜群の表現力が、高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラのリード・ヴォーカル。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。

東海地方においても活躍。名古屋市芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。

現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director、東京二期会 会員、ほか。





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永見先生の招木の三役揃踏み


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永見先生が師匠のアトリエを辞す折、神楽坂にある毘沙門煎餅「福屋」の勘三郎煎餅を お土産に頂戴しました。



備長の手焼きせんべの焦げよろし 勘三郎



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この「舌代」は、福屋の初代店主が、十七代目勘三郎丈との軽妙な遣取りを記したものです。



十七代目 中村勘三郎丈が、よく神楽坂にいらして、福屋の煎餅を贔屓にしてくださっていたそうです。初代店主が焼いている前で、十七代目が、もっと焼けもっと焼けとリクエストなさったとか。何でも、焦げた煎餅が大好物らしく、こんなんじゃ真っ黒になっちゃいますよって申し上げても、構わないから焼けっと おっしゃるほどだったとか。そこで、勘三郎丈がいつお越しになっても、焦げた煎餅を召上っていただけるように「先生用」と書いた瓶に入れて保存していたところ、それをご覧になっていたほかのお客様が、何枚か分けてくれないかということになり、そこから名物になったという話です。その煎餅は、十八代目 中村勘三郎丈も好きでいてくださったそうです。



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毘沙門煎餅「福屋」の勘三郎煎餅は、備長炭を使った昔ながらの手焼きの堅焼煎餅です。永見先生がおっしゃるには、「袋を開けた時の芳ばしい香り、しっかり堅いパリッとした食感、旨味の詰った醤油味、やっぱり煎餅はこうでなくっちゃ!」


永見先生は、実は歌舞伎が大好きでいらして、演目によっては、大向こうをかけられるくらいです。十七世と十八世の両勘三郎丈も大の御贔屓で、橘右之吉師匠の、こうした、さり気ない気配りが心に沁みると、感じ入ったご様子でした。





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橘右之吉 角大師 大入袋 揮毫
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ザ・ディライトフル・カンパニー
千社札 橘右之吉 揮毫 制作
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橘右之吉 UNOS
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