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寶船熊手 よし田 吉田京子 橘右之吉 永見隆幸 ザ・ディライトフル・カンパニー 浅草 鷲神社 酉の市 宝船熊手よし田 [永見隆幸 江戸文化]




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浅草 鷲 おおとり 神社境内 寶船熊手よし田

寶船熊手よし田 四代目女将 吉田京子さん(左)
橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉さん(右)

寶船熊手よし田は、何と、橘右之吉師匠の御実家。右之吉師匠は、女将である吉田京子さんの兄上に当ります。





酉の市と熊手について永見隆幸先生にお伺いし、お話を纏めました。



おおとり 神社の御祭神である日本武尊 やまとたけるのみこと が、鷲神社で東夷征伐の戦勝祈願をなさいました。その帰途に祝勝の御礼参りをされた日が十一月の酉の日だったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭「酉の市」です。勝ち戦を祝った折に、日本武尊 やまとたけるのみこと が社前の松に武具の熊手を立て掛けた故事によって、熊手が縁起物と考えられるようになったとされています。


酉の市は、来る年の開運招福や商売繁盛などを祈る祭りで、以前は関東地方の行事でしたが、近年、全国的に開催されるようになりました。日の巡り合せで、酉の日は二回の年と三回の年があります。初めを一の酉、 次を二の酉、その次を三の酉と呼びます。 鷲 おおとり 神社の酉の市は、江戸時代後期から最もよく知られており、熊手店150店と露店750店ほどが軒を連ね、動員は80万人を超え、日本最大の規模で賑わいも日本一と謳 うた われています。


熊手を縁起物とする習わしは、江戸時代に始まったそうです。花又村の農民が鷲大明神に鶏を奉納した収穫祭に端を発していると言われています。この収穫祭の市では、様々な農産物や農具が売られ、その中には熊手もありました。その熊手が次第に、「金銀を集める」、「福を掻き込む」、「運を掃き込む」、鷲の爪に似た形なので「幸を鷲掴みにする」道具として見立てられるようになり、七福神や大判小判や松竹梅などが配 あしら われるに至って縁起物として確立し、収穫祭自体も開運招福や商売繁盛を祈願する祭りへ変化を遂げたのです。





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令和二年鷲 おおとり 神社酉の市 点景
撮影:橘右之吉師匠





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掲げられている橘右之吉師匠の提灯





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ザ・ディライトフル・カンパニーの寶船大熊手

ザ・ディライトフル・カンパニーと記された入山招木が二本差してあります。常連や馴染みになると、入山招木を差していただける場合も、あるそうです。





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右上の巨大な寶船熊手がザ・ディライトフル・カンパニーのもの





売る側と買う側が掛合って熊手の値を決めるのが「酉の市」と言われます。負けて貰って買う、客が勝ったと喜び、買ったとなる。値切って買い、値切った分を祝儀として渡すのが粋とされ、店側も三本締めで景気よく御礼をして、目出度くお開きです。このやりとりが堪らないと言う方が大勢いらっしゃいます。
ご祝儀を弾んだ客がお大尽を気取り、ご祝儀を頂戴した店も有難く、周りは手締めに参加して気分が昂揚。買い手よし、売り手よし、世間よし、まさに三方よしの典型なのではないでしょうか。





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寶船熊手よし田の紋章





寶船熊手よし田について永見先生にお伺いしたお話を纏めました。



熊手の種類には、色々ありますが、大きく赤物と青物に分けられます。熊手を飾る差物が、全体に赤色系の熊手が赤物、松などを配 あしら った青色系の熊手が青物と呼ばれていましたが、現在では、伝統的な手作りの熊手が赤物、機械で出来た差物で作る量産型熊手の事を指して青物と言うようになりました。
現在、赤物を作る事が出来るのは、浅草の寶船熊手よし田だけと言われています。赤物は手が掛るので敬遠されてしまったのではないかと推測されます。よし田の熊手は、七福神、大判小判、両脇に大福帳を配 あしら い、熊手全体を寶船に見立てています。


今の熊手は、殆ど発泡スチロールやプラスティックで出来ていますが、寶船熊手よし田は、戦前から一切、人工素材を使わず、用いるのは、竹や紙などの伝統的な天然素材のみ。創業以来八十年以上にわたり、形や意匠を殆ど変えず、伝統の技法を受継ぐ老舗です。下絵の型抜、彩色、顔を描く面相、七福神や鯛ほかの差物などの全てが職人による手仕事。手間暇のかかる丁寧な作業なので、酉の市が終るその日から一年かけて翌年用の熊手を作るそうです。


寶船熊手よし田の熊手販売は、鷲神社の酉の市だけ。一家総出で千七百本以上を売切ってしまいます。鷲神社以外では売らないという徹底ぶりで、もちろん土産物店等に流す事など一切しません。


寶船熊手よし田のお客様は、歌舞伎役者、芸術家、落語家、芸能人、デザイナー、料亭など飲食関係者ほか、クリエイティブな方々が多いと耳にしました。五十年以上続けて買っていらっしゃる方もおられるそうです。


よし田では、弟子入りしてから手伝えるようになるまで、全工程が出来るには、十年では厳しいと言われます。
一番難しいのは、伝統を把握し、手馴れることだそうです。何と言っても、顔を描く面相は、難関中の難関だとか。熊手の中心の、船の先端、見押し部分を中心にして七福神の左右の視線が異なり、全ての視線を中心に集めた面相になるよう描き分ける必要があるのです。


主な工程は、竹割、下絵の型抜、色付、面相、外塗、差込など。竹串は12月に採って、正月を迎え、青いうちに割って作るそうです。
寸法は、二寸、三寸、五寸、六寸、八寸、一尺、尺二、尺三の八種。縁起物だけに、四寸と九寸はありません。
言うまでもありませんが、製作に当っては、何事も縁起と決りが重視されます。絵を差す位置も、熊手の寸法に合せ、全て決っているそうです。





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寶船熊手よし田 女将 吉田京子さんから出された永見隆幸先生宛の封筒





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令和二年の浅草鷲神社の酉の市には入場制限があって必要な入場証

威勢のよい手締めの掛声も楽しみの一つですが、今年は、新型コロナ感染症 COVID19 の影響で禁じられています。残念ながら振舞酒も出来なくなりました。





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永見隆幸先生が戴いた寶船熊手よし田 四代目女将 吉田京子さんからの直筆の御手紙





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永見隆幸先生の寶船大熊手





永見先生によし田の寶船熊手についてお伺いしました。


何よりも天然素材の持つ独特の質感と温かみが素晴らしい。そして手作りの深い味わいが何とも言えません。一種の風格がある。それらが醸成する熊手の厚みは、物理的な厚みを遥かに超えると自分は感じます。安っぽさが微塵も無い。実に丁寧な仕事です。それが多くの人々の心に伝わって、数ある熊手屋さんの中で、よし田さんが大勢の方々の支持を集めているのではないでしょうか。





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