橘右之吉 坂井智雄 益田大祐 蘇民将来木札 表札 納品 ザ・ディライトフル・カンパニー 永見隆幸 再訪 品川 [永見隆幸& UNOS]
音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が依頼された 永見家の表札と蘇民将来 そみんしょうらい 木札が出来上りました!
橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉 たちばなうのきち さんが、福善堂坂井看板店四代目の坂井智雄 さかいともお さんと指物益田ご主人の益田大祐 ますだ だいすけ さんとご一緒に、東京のザ・ディライトフル・カンパニー品川事務所まで、永見先生を訪ねて納品にお越しくださいました。
蘇民將徠 そみんしょうらい 木札を手に持つ永見隆幸先生(左)永見家の表札を手にする橘右之吉師匠(右)
何やら真剣に立話をなさる永見先生と右之吉師匠
お掛けくださるようにお勧めしたのですが…
漸 ようや く座って打合せをなさる右之吉師匠と永見先生
何の打合せでしょう… 興味津々…
熱心に資料をご覧になる永見先生と右之吉師匠
何と永見先生の業務用の住所シールらしく…
こちらは永見先生の御名刺のようで…
下書を凝視なさる永見先生
身振り手振りを交 まじ えて意見を交 かわ される永見先生と右之吉師匠
業務用の名刺や住所シールなどの制作についてのお打合せだったようです。
愈々 いよいよ 蘇民將徠 そみんしょうらい 木札の登場
もう既に御機嫌の永見先生と丁寧に箱を取出す右之吉師匠
ディライトフル・グループも永見先生に便乗して蘇民將徠木札を お願いしてしまいました ♬
遂に永見家の表札登場!
燦然 さんぜん と金色 こんじき に輝く永見家定紋「五瓜に花菱 ごかにはなびし 」
実を言いますと、永見先生が注文なさった表札は、手前に見える黒一色のものでした。金の家紋入の表札は、何と、橘右之吉師匠と坂井智雄さんと益田大祐さんから永見隆幸先生へのプレゼント!
このビッグ・サプライズには、流石の永見先生も、一瞬、言葉を失い、感激しておられました。
実際に永見家の玄関に掲げられる表札は、贈られた金の家紋入の表札に決ったそうです ♬
橘右之吉師匠と永見隆幸先生の交友関係の根っこにあるものは、まさに江戸っ子の心意気と申しましょうか、滅法 めっぽう 粋 いき で、本当に羨ましい限りです。
永見家表札を丁寧に仕舞われる橘右之吉師匠
蘇民將徠子孫家門 そみんしょうらいしそんのかもん
七難卽滅 しちなんそくめつ 七福卽生 しちふくそくしょう
喼急如律令 きゅうきゅうにょりつりょう
九字紋 道満:向って左
五芒星 清明:向って右
ここで永見隆幸先生に蘇民将来の木札についてお伺いすることに致します。
スタッフ:
蘇民将来とは何ですか。
永見先生:
蘇民将来は、日本各地に存在する伝説で、疫病除けの守護神や除災厄除招福の神としても信仰されています。
本当に様々な伝説があり、色々な御札や御守もあります。検索すると、意外に早く簡単に調べる事が出来ますので、興味のある方は是非「蘇民将来」で検索してみてください。
スタッフ:
蘇民将来の伝説で、よく知られているものを教えてくださいますか。
永見先生:
鎌倉時代に著された卜部兼方の『釈日本紀』七所引の『備後国風土記』逸文に疫隈国社 えのくまの くにつ やしろ の縁起として蘇民将来の記述が見られます。簡単な現代語訳もつけておきましょう。
昔、北の海に坐しし武塔の神、南の海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚く貧窮しく、弟の将来は富饒みて、屋倉一百ありき。爰に、武塔の神、宿処を借りたまふに、惜みて借さず、兄の蘇民将来、借し奉りき。即ち、粟柄を以ちて座と為し、粟飯等を以ちて饗へ奉りき。爰に畢へて出でませる後に、年を経て、八柱のみ子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、将来に報答為む。汝が子孫其の家にありや」と問ひたまひき。蘇民将来、答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍ふ」と申しき。即ち詔りたまひしく、「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の随に着けしむるに、即夜に蘇民の女子一人を置きて、皆悉にころしほろぼしてき。即ち、詔りたまひしく、「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。
=備後国風土記逸文=
昔、北の海にましました武塔神 むとうのかみ と仰 おっしゃ る神様が南の海の神の娘に求婚なさりに行く途中で、日が暮れてしまいました。そこに住んでいたのが、蘇民将来 そみんしょうらい と巨旦将来 こたんしょうらい の兄弟二人です。兄の蘇民将来は、たいへん貧しかったのですが、弟の巨旦将来は、とても裕福で家と蔵が百ほどもありました。武塔神 むとうのかみ は、宿を借りたいと仰 おっしゃ いましたが、吝嗇家 りんしょくか の巨旦将来は、お泊めしませんでした。しかるに、兄の蘇民将来は、お泊めしたのです。栗殻を敷き詰めて座にし、栗飯を炊いて差上げ、貧しいながらも手厚くお持て成しをしました。
神様がお発ちになってから幾年か経ちました。八柱の神子 みこ を伴ってお戻りになられた神様が仰るには、「将来に報答 ほうとう するが、お前の子孫は、居るのか」と、お訊ねになりました。蘇民将来は、お答えして「私の娘と妻が居ります」と申し上げました。すると神様が「茅の輪 ちのわ を腰に着けさせなさい」と仰 おおせ られたので、仰 おっしゃ る通りに着けさせたところ、その夜に、蘇民の妻子を除き、皆を悉 ことごと く殺して滅ぼされました。
そして神様が宣 のたま うには「吾 われ は、速須佐雄 すさのお の神である。後の世に疫病が流行 はや っても、お前達、蘇民将来の子孫と言って茅の輪を腰につけた者は、疫病から免れるだろう」と仰ったのです。
スタッフ:
蘇民将来の木札は、いつ頃から存在していたのでしょうか。
永見先生:
現存する最古の蘇民将来の木札は、今のところ、延暦三年=784年から延暦十三年=794年まで都だった長岡京の条坊側溝(京都府長岡京市開田四丁目/長岡京右京六条条間南小路北側)で平成二年=1990年に出土した蘇民将来呪符木簡 そみんしょうらいじゅふもっかん とされています。木の札に、蘇民将来之子孫者 そみんしょうらいのしそんもの と墨で書かれており、呪符木簡に分類されます。寸法が、長さ2.7㎝、幅1.3㎝、厚さ0.2㎝ と、小さなものです。木簡の上部には紐を通す小さな穴が開けられ、首に下げて身に付ける御守だったのではないかと考えられています。表と裏、同様に蘇民将来之子孫者と記されているのは、御守としての札が裏返ってもよいように工夫した可能性が高いのではないでしょうか。木簡には木釘 きくぎ が打込まれたような痕があり、壁などに打付けて御札のようにも用いられたのではないかと見ることが出来ます。これらの事から、約千二百年の昔より除災厄除を祈る信仰が存在した最古の証左が、この木簡であるとも言われているのです。
蘇民将来呪符木簡
談笑する右之吉師匠と永見先生
スタッフ:
蘇民將徠子孫家門 そみんしょうらいしそんのかもん の両側に記されている、七難卽滅 しちなんそくめつ と 七福卽生 しちふくそくしょう は、どのような意味ですか。
永見先生:
七難卽滅 しちなんそくめつ 七福卽生 しちふくそくしょう とは、七つの災難が忽 たちま ち消え去って七つの幸福が忽 たちま ち生れ来るという意味です。具体的に何を以て七難とするかは、仏教の経典によって異なります。
スタッフ:
蘇民將徠木札の裏に記されている「喼急如律令」の意味と読み方、その両側にある記号について教えてください。
永見先生:
喼急如律令は、「きゅうきゅうにょりつりょう」と読みます。中国の漢の時代、公文書の末尾に、急々に律令の如くに行え、つまり、法律に従って可及的速やかに実行せよという意味で書き添えた文言です。後に、呪文の終りに添える悪魔祓いの文言として、道家、陰陽師、祈祷僧などが用いました。呪符の力を強化するために、「修法せる呪符よ早く効け」という祈りを込めて記されるようにもなったのです。
縦棒四本横棒五本の記号は、九字紋 くじもん です。九字とは、道家が呪力を持つとした、臨兵闘者皆陣列在前の九つの漢字を指して言います。臨める兵、闘う者、皆、陣列をしいて前に在り。つまり、「神の軍勢が臨戦態勢で陣列を整えている故に勝ち目はないので早々に立去れ」という意味です。
星形の記号は、五芒星 ごぼうせい です。互いに交差する長さの等しい五本の線分で構成され、中心に五角形が現れる星形の図形です。五線星、星型正五角形などとも言います。陰陽道における五芒星は、木火土金水の五元素の働きの相克を表したもので、あらゆる魔除けの呪符とされました。
スタッフ:
どのような意図を以て蘇民將徠木札を橘右之吉師匠に制作依頼なさったのですか。
永見先生:
橘右之吉師匠に制作をお願いしたのは、一にかかって、右之吉師匠の書く文字が大好きで一等よいと確信しているからです。それに、既存の蘇民將徠木札には、正直に言って、満足できるものがありませんでしたので。
実家の表札は、端 はな から師匠にお願いするつもりでしたが、玄関の構造から、表札と対になるものが欲しいと思っていました。師匠に蘇民將徠木札を作って戴けば完璧だと考えたのです。
では何故、蘇民將徠木札なのかという問いについては、やはり、新型コロナ・ウイルスのパンデミックと無縁ではないとお答えすべきでしょう。
第一に、疫病の流行に成す術が無かった古 いにしえ の日本人が作り上げた祈りの形として、蘇民將徠木札は、実に美しいと感じていました。
勿論、科学も医学も知った現代人である自分は、この木札を掲げれば疫病から逃れられるとは信じていません。自分は、この伝説の核心が、因果応報の教訓や神様の怒りに対する恐怖などではなく、蘇民將徠の物語にあると捉えました。貧者が清廉だとは必ずしも言えませんが、蘇民將徠は、自分自身が貧しくとも困っている人を出来る限り持て成すという豊かな心の持ち主でした。疫病の流行は、多くの人々の生活を脅 おびや かします。そんな中で例え己が困難の渦中にあっても、自分だけが助かればよいというような偏狭な思考に囚われず、困っている人に思いを致し、お互い様の精神で助け合えば、よりよい形で乗切れるのではないでしょうか。生残るグループは、そういう人達の集団ではないかと思うのです。人間は、一人では生きられません。あまりにも独善的な思考や行動は、人間という種を脅 おびや かす要因にさえなり得ます。特に、疫病の流行などの有事には、そういう姿勢が強く求められると考えるのです。自分は、蘇民將徠の木札を、そんな思いで眺めています。
橘右之吉師匠の文字、福善堂坂井智雄さんの彫り、それぞれを味わい楽しみながら蘇民將徠木札を組立てられる永見隆幸先生。
蘇民將徠木札について語り合う永見隆幸先生と橘右之吉師匠
右之吉師匠が封筒から取出したるは…
新型コロナ・ウィルスを公家悪に見立てたコロナ退散シール
こちらのコロナ退散シールも永見先生へのプレゼント第二弾!
右之吉師匠は、このコロナ退散シールの英語版 English version の作成も考えていらっしゃるそうで、永見先生と、そのお話もなさっておいででした。
橘右之吉
TACHIBANA Unokichi
橘流寄席文字 江戸文字 書家
昭和25年=1950年 東京に生れる。
昭和40年=1965年 橘流寄席文字家元の橘右近に師事。
昭和44年=1969年 正式な継承者として橘右之吉の筆名を認可される。
昭和50年=1975年 株式会社文字プロを設立。
平成22年=2010年 湯島天神前にオフィス兼工房の株式会社UNOSを構える。
平成25年=2015年 文京区伝統工芸会より「文 ふみ の京 きょう 技能名匠者」に認定される。
令和2年 = 2020年 月刊誌「銀座百点」に『右之吉文字かたり』を連載。
主な作品や筆耕歴は、国立劇場や国立演芸場のポスター、湯島天満宮、柴又帝釈天、浅草鷲神社、浅草神社、中村勘三郎丈襲名招木 まねき、坂東三津五郎丈襲名祝掛行灯、中村勘九郎丈襲名記念飾絵馬群、平成中村座ニューヨーク公演ベルリン公演スペイン公演等 揮毫実演、坂東彌十郎丈欧州公演 揮毫実演、永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー大看板、永見隆幸招木 まねき、ほか多数。
個展は、「橘右之吉の世界展」東京新宿住友ビル 夢ギャラリー、オーストリアのウィーンで開催された「橘右之吉因維納」 "Tachibana Unokichi in Vienna" など。江戸開府400年記念作品展「江戸のタイポグラフィ展」アド・ミュージアム東京にも参加している。
題字や装丁も、なぎら健壱『東京の江戸を遊ぶ』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝創作落語大全集』(メディアクラフト)題字、『中村勘三郎、襲名!特集』和樂(小学館)タイトル題字、澤田隆治『決定版 上方芸能列伝』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝の上方落語へいらっしゃ~い』(コミックヨシモト)タイトル題字、福田和子『吉原はこんな所でございました』(ちくま文庫)装丁とタイトル題字、沢村貞子『私の浅草』(平凡社)装丁とタイトル題字と後書きエッセイ、ほか多数。
NHK「美の壷 - 浅草」、木村和久「江戸文字」週刊宝島、「モノが伝える中村勘三郎襲名披露」ぴあ月刊カラフル、浅原須美「粋に遊ぶ」助六 二玄社、堀口葉子「パソコンには奪えぬ仕事」フジサンケイ ビジネスアイ、NHKBSハイビジョン「襲名 坂東三津五郎」、NTV 阿藤快「ぶらり途中下車の旅」、BS11 大人の自由時間「なぎら開宝計画」、monoスペシャル「職人モノ No.2 - 洒落と縁起が込められた寄席文字・江戸文字 橘右之吉」ワールド・ムック851 ワールドフォトプレス 平成23年、丸若屋×井浦新「美しい手が生み出すモノたち 寄席・江戸文字/橘右之吉」ハースト婦人画報社 ELLE DECOR 日本版2013年8月号、山崎真由子「職人の手 16 PROFESSIONAL STORIES - 江戸文字 橘右之吉」KTC中央出版、「伝説の匠 - 第四十六回 橘右之吉」江戸楽 edo-gaku 2019年7月号 No.123 エー・アール・ティ、彬子女王「イノリノカタチ 消し札 - 橘右之吉」和樂 2020年2/3月号 小学館など、数多くのメディアに取上げられている。
左から、永見隆幸先生、橘右之吉さん、表札と蘇民將徠木札を彫ってくださった福善堂坂井看板店四代目の坂井智雄さん、指物益田ご主人の益田大祐さん。
永見先生の後方左手にあるのは、橘右之吉師匠のご生家である浅草「宝船熊手よし田」の大熊手。ご覧になった坂井智雄さんが、これほど巨大な宝船熊手が実際に飾られているところを初めて見たと、驚いていらっしゃいました。
坂井智雄
SAKAI Tomoo
福善堂坂井看板店四代目。台東区優秀技能者に選ばれている。
福善堂坂井看板店は、大正十五年=1926年創業の老舗。福善堂の看板は、全て手彫で、額彫 がくぼり の手法を用いて字が蒲鉾のように盛上って見えるのが特長。看板彫刻刀たった一本で、見事な看板を彫上る。
手掛けた仕事は、日本橋三越の印の修復、花園饅頭や塩瀬総本家など老舗の看板、名だたる寺社の扁額、千社額、歌舞伎役者が襲名披露の際に用いる招木札、表札など。谷中銀座商店街全五十六店舗の看板製作にも携わった。
BSテレ東の「出没!アド街ック天国」や BS朝日「みらい遺産」などでも取上げられる。
益田大祐
MASUDA Daisuke
指物益田の主人である益田大祐は、家具製造会社に勤めていたが、江戸指物に触れて、精密機械のような精巧さを手仕事で作り出す凄さに魅せられ、江戸指物の名匠 渡辺昇の門を叩き、八年間、修行した。平成十七年=2005年に独立。
平成二十六年=2014年、『すみだマイスター』に認定される。平成二十七年=2015年、歌舞伎界の名門 中村芝翫丈「襲名の楽屋鏡台」を制作、平成二十八年=2016年には『LEXUS NEW TAKUMI PROJECT』の東京の匠に選出されている。平成二十九年=2017年、イタリア国際見本市「HOMI」にて展示。『東京手仕事』に「名刺入」が認証される。平成三十年=2018年 国連茶会『Peace is・・・』にてスーツケースで持運べる茶室「ZEN-An禅庵」が用いられる。すみだモダン認証商品に「おとも箱」が選ばれた。そのほか、正座椅子 合曳 あいびき などが好評を得ている。
永見隆幸(左)
NAGAMI Takayuki
音楽家 著作家 舞台ディレクター
20歳代はアメリカに住み、30歳代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。
モーツァルトなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。
数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。
音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演やトリノ王立歌劇場への出演など、脚光を浴びている。
メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン(ガーション)役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。
ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感、美しいヴェルヴェット・ヴォイス、抜群の表現力が、高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラのリード・ヴォーカル。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。
東海地方においても活躍。名古屋市芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。
天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
美術にも造詣が深く、「目利き」「見巧者 みごうしゃ」と謳われている。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。
現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director 芸術監督、東京二期会 会員、ほか。
橘右之吉 坂井智雄 益田大祐 大看板 納品
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永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー
橘右之吉 大看板 納品 品川
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永見隆幸 ザ・ディライトフル・カンパニー
坂井智雄 福善堂坂井看板店 大看板 納品 品川
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永見隆幸 ザ・ディライトフル・カンパニー
益田大祐 指物益田 大看板 納品 品川
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永見隆幸 ザ・ディライトフル・カンパニー
橘右之吉 永見隆幸の招木 揮毫 完成
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永見隆幸 橘右之吉 UNOS 訪問
橘右之吉 永見隆幸の消し札 揮毫 制作
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永見隆幸 橘右之吉 UNOS 訪問
橘右之吉 千社札 揮毫 制作
ザ・ディライトフル・カンパニー
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橘右之吉 大入袋 揮毫 制作
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TACHIBANA Unokichi
橘右之吉 COVID-19侵入禁止
公家悪シール 贈物 永見隆幸
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TACHIBANA Unokichi
永見隆幸 橘右之吉 再訪 うのす UNOS
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橘右之吉 書籍 サイン
橘右之吉 UNOS
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