高麗橋吉兆本店 本吉兆 永見隆幸 訪問 日本料理 料亭 懐石料理 大阪 高麗橋 [永見隆幸 飲食店]
音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、大阪の 高麗橋 吉兆本店 を訪問されました。
高麗橋 吉兆本店が建替え全面改装を行なってからは初めてのご訪問です。
永見先生が敬愛して 已 や まぬ 平田雅哉棟梁の仕事を代表する建築の一つ「高麗橋吉兆本店 旧店舗」が建替えられたことは誠に残念です。高麗橋 吉兆本店ご当主が、新店舗も棟梁の精神を引継ぐ所存と仰っていたので、永見先生は、気持ちを切替えて伺うことにされたそうです。
永見隆幸先生(右)
高麗橋 吉兆 本店 三代目当主 湯木潤治 ゆき じゅんじ さん(左)
湯木潤治 YUKI Jyunji
昭和三十四年=1959年 大阪生れ。
昭和五十七年=1982年 慶應義塾大学法学部法律学科 卒業。
昭和五十七年=1982年 株式会社本吉兆 入社。
平成三年=1991年 株式会社 本吉兆 代表取締役社長 就任。
平成二十七年=2015年 公益財団法人 湯木美術館 理事長 就任。
相愛大学講師なども務め、精力的に和食文化を伝えている。
吉兆本店は招福楼と共に日本を代表する二大料亭と称されます。
御当主の湯木潤治さんが、わざわざ、永見先生をお出迎えくださいました。
高麗橋 吉兆本店 三代目当主で 本吉兆 代表取締役社長の 湯木潤治 ゆき じゅんじ さん(左)永見先生(右)
御当主の湯木潤治さん御自ら、永見先生のために、高麗橋吉兆本店をご案内くださいます。
永見先生から伺ったお話を基に、高麗箸吉兆本店について記述して参ります。先生は、建築や設 しつら えから食文化に至るまで、本当に何でもよくご存知で、芸術文化に対して極めて造詣が深くていらっしゃるのです。
玄関
高麗橋吉兆本店のトレードマークとも称すべき 千成瓢箪 せんなりびょうたん の 縄暖簾 なわのれん
名栗仕上の上框 あがりかまち
恵比寿天 大黒天 の二福神がお祀りしてあります。
井筒の間
旧店舗の、北山絞丸太の床柱、赤松の踏込床板、櫛型の飾窓や棚や地袋などは旧部材を用い、床廻は井筒の間をそのまま復元しているそうです。
坪庭
福禄の間
紺と白の市松模様は桂離宮の松琴亭、技巧を凝らした違棚は修学院離宮の霞棚に倣った意匠。中央の床柱は漆塗の丸太。格天井を含め、旧店舗の鈴の間を再現した部屋で、床廻りは古い部材を用いて復元されています。
地板に切られている丸炉
手習の間
旧店舗の手習の間が簡略化された部屋で、菅原道真公を安置する洞とその廻りの意匠は、全く同じではありませんが、復元されました。道真公の像は、天神祭の期間だけ開帳されるそうです。
永見先生だけ特別に天神様の御像 みかた をご覧になりました。
優しい微笑みを湛えた温顔の天神様
愈々 いよいよ 澪 みおつくし の間へ
澪の間 みおつくし の ま
能舞台が設えられた旧店舗の大広間を継ぐ、最も大きな広間。松竹梅の板絵を同じ構成で配 あしら い、背面の櫛型障子窓と、平田雅哉棟梁が特に力を入れた奥行の深い床の間も再現されました。正面を飾る長さ二間半もある透し彫の欄間は、かつて福禄の間にあったもの。
永見先生は、この日、澪 みおつくし の間にて、食事を召上ります。
澪 みおつくし の間について 永見先生(左)に 説明される 高麗橋吉兆本店ご主人の 湯木潤治さん(右)
永見先生が湯木潤治さんからいただいた冊子『吉兆 数寄屋棟梁 平田雅哉の仕事 高麗橋吉兆本店 1949-2018』
永見先生は、平田雅哉棟梁を敬愛しておられ、旅館「西村屋」(兵庫)、旅館「大観荘」(熱海)、旅館「つるや」(芦原)、料亭「招福楼」(八日市)など、現存する平田棟梁の建築が見られるところへは、全て、お出ましになっていらっしゃいます。
冊子に掲載されている旧店舗「澪 みおつくし の間」
永見先生(右)湯木潤治さん(左)
菅楯彦 すが たてひこ
明治十一年=1878年3月4日~昭和三十八年=1963年9月4日
日本画家。本名、藤太郎。号は、盛虎、静湖、静香。浪速の風俗を愛して「浪速御民 なにわみたみ」を標榜、情趣ある浪速風俗画で「最も大阪らしい画家」と謳 うた われた。
明治十一年=1878年3月4日 鳥取県生れ。
大正十二年(1923年)東京三越にて個展開催。
昭和三年(1928年)『春宵宜行』日本フランス美術展に出品。
昭和四年(1928年)『春宵宜行』フランス政府買上。現在、ポンピドゥー・センター蔵。
昭和十年(1935年)明治神宮聖徳絵画館壁画『皇后冊立』制作
昭和二十四年(1949年)大阪府文芸賞 受賞。
昭和二十六年(1951年)大阪市民文化賞 受賞。
昭和二十六年(1951年)第7回日展『山市朝雨』招待出品。
昭和三十三年(1958年)第14回日本芸術院賞恩賜賞 受賞。日本画家初。
昭和三十七年(1962年)初代大阪市名誉市民に選出。
昭和三十八年(1963年9月4日)逝去。享年八十五歳。
薬玉
澪 みおつくし の間 松竹梅の板絵の前にて
永見隆幸先生(右)高麗橋吉兆本店三代目当主の湯木潤治 ゆき じゅんじ さん
能舞台の 大松 梅 竹の板絵と市松模様の畳
灯 あかり の形も以前と同じ
回文のコースター
回文 palindrome とは、頭から読んでもお仕舞から逆に読んでも、文字や音節の順序が変らず、尚且つ意味が解る言葉や文章などを指して言います。
例えば、八百屋、汽笛、小猫、紳士、奇跡、南、トマト、啄木鳥 キツツキ、素手です、新聞紙、色白い、歌うたう、菊の茎、よく利くよ、足しました、留守にする、竹藪焼けた、意外や意外、確かに貸した、まさか逆さま、ダンスが済んだ、夏まで待つな、など。
英語では、eye、mom、dad、ほか、文章では「Was it a cat I saw?」がよく知られています。
なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな
長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 浪乗船の 音の佳き哉(古歌)
この回文歌は、室町時代から伝えられ、中国の明代、万暦二十年=1592年(天正二十年/第百七代 後陽成天皇/室町幕府 第十五代征夷大将軍 足利義昭)の『日本風土記』に廻文詞として載っているのだそうです。
この回文歌と七福神を載せた宝船の絵が記されているものを初夢枕紙と呼び、一月一日(二日や三日という説も有)の晩、枕の下に敷いて歌を三度読上げて寝ると、よい初夢を見ることが出来、その年に福を齎 もたら すという日本古来の伝承があります。
八寸
椀
鱧 蓴菜
鱧 薄造里
野菜 煮凝
鮎
近江牛
水物
苴 かいしき 梶の葉 七月に欠かせぬもの
高麗橋吉兆本店 二代目女将 湯木弘子さん(右)
永見隆幸先生(左)
最も大きな広間である 澪 みおつくし の間
能舞台の 大松 梅 竹の板絵と市松模様の畳
永見先生に高麗橋吉兆本店について伺ったところ、「噂に違わず、何をいただいても美味しく、設 しつらえ も見事で、存分に滞在を楽しめます。」と、述べられました。
永見先生(左)を お見送りくださる高麗橋吉兆本店 二代目女将の 湯木弘子さん(右)
ご贔屓様のお招きや舞台の打合せなど 美味しいものを召上る機会の多い永見先生…
高級な料理しか召上らないかと思いきや、意外や意外、何でも口にされます。
永見先生曰 いわ く「人間も食物連鎖の中にいて、動物や植物の命をいただいて生きているのですから、アレルギーや病気でない限り、何でも感謝して有難く口に運ぶべきだと思います。腕利きの職人による高級食材を用いた料理も、家庭料理も、B級グルメも、楽屋弁当も、それぞれに異なる美味しさがあって、自分は、いずれも楽しんで食べています。至高の料理を追求することも大きな楽しみですが、だからと言って、食の多様性に背を向けるのは、豊かな食生活を自ら否定するようなものではないでしょうか。」
本質的な所で多様性の意義をご理解していらっしゃいますね。
世界各地で研鑽を積んで来られた方は 流石に仰 おっしゃ ることが違います!
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