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村田眼鏡舗 店仕舞い当日に 永見隆幸 訪問 [永見隆幸 衣装]



明治5年以来、146年の長きに亘り 東京 日本橋の室町で眼鏡専門店を営んで来られた村田眼鏡舗が、平成30年3月20日を以て店仕舞いされました。


永見隆幸先生は、村田眼鏡舗のメガネを愛用されておられ、平成30年3月20日当日にも村田眼鏡舗を訪問なさっています。



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村田眼鏡舗の玄関(平成30年3月20日撮影)
永見先生(右)と先生ご担当の方の記念写真



村田眼鏡舗(眼鏡舗村田長兵衛商店)は、何と、日本で最初の眼鏡専門店だったのです。

村田家は、室町時代より京都で御所の御用を勤めていた鏡師でした。元和元年(1615年 大坂夏の陣の年)、徳川幕府に請われて江戸へ出て、代々将軍家の御用を勤めるようになります。文久2年(1862年)、和宮様が第14代将軍 徳川家茂に降嫁された折に鏡を納めたのが鏡師としての最後の仕事です。そして、進取の気象に富んだ11代目の村田長兵衛が、眼鏡の製作技術を習得して、明治5年(1872年)、日本橋に日本初の眼鏡専門店を構えます。

村田長兵衛の名が代々世襲されるようになった発端は、歌舞伎でもお馴染みの 湯島天神下の町奴の頭領だった幡随院長兵衛 ばんずいいん ちょうべえ に関る事でした。幡随院長兵衛の墓が荒れ果てているのを見かねた7代目村田長兵衛が、同名の誼 よしみ で、50回忌を盛大に営みます。そのことで、瓦版が、7代目を「今長兵衛」と持て囃 はや し、情に篤 あつ い江戸っ子の評判になって人気を集めました。それが切掛 きっかけ で、7代目から村田家の当主は村田長兵衛を名乗ることになったのです。

村田眼鏡舗には家訓がないそうです。言葉ではなく、先祖から受継いで来た仕事そのものが家訓だといいます。14代目村田長兵衛は、本物を伝え、本物を知る人を残して行きたいと語っています。

村田眼鏡舗は宮内庁御用達。長く皇室の御用を承り、明治天皇お召しの眼鏡や昭和天皇ご愛用の特徴ある一山穴明先縄の眼鏡も、村田眼鏡舗がお作りしたものです。

夏目漱石、島崎藤村、伊藤博文、後藤新平、高橋是清、吉田茂、東郷平八郎、乃木希典、松井須磨子などが村田眼鏡舗の顧客として名を連ねています。

名人芸を持つ熟練の職人を抱え、一人一人の要望に応える手作りのメガネを提供して来たことで知られる村田眼鏡舗。永見先生が常々おっしゃっている「よいものを創り上げるのには手間暇がかかる」ということに尽きるのでしょうね。当主のご逝去という止むを得ぬ事情があるとは言え、歴史ある素晴らしい老舗の店仕舞いは残念でなりません。



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村田眼鏡舗店内での記念写真
手前が永見隆幸先生
(平成30年3月20日撮影)



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