大観荘 永見隆幸 訪問 平田雅哉 数寄屋造 熱海 静岡 [永見隆幸 建築]
永見隆幸先生が熱海の「大観荘」を訪れました。
大観荘「大観の間」にて寛がれる永見先生
大観荘は、女優の牧瀬里穂さんと俳優の八嶋智人さんが旅人としてナヴィゲイターを務める次の番組でも紹介されたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
BS朝日「百年名家」 ~ 築100年の家を訪ねる旅
2019年8月4日(日) 放送 #202
伝説的棟梁の造った名旅館 ~ 横山大観ゆかりの熱海「大観荘」
大観荘の玄関
大観荘の始まり ~ 中山悦治
中山製鋼所の創業者である中山悦治は、昭和13年=1938年に熱海の土地を所有しました。昭和15年=1940年、そこに中山の建てた別荘が熱海大観荘の始まりです。昭和23年=1948年7月、旅館として営業を開始。昭和31年=1956年に「政府登録国際観光旅館」の指定を受けています。
大観荘 名称の由来 ~ 横山大観
帝国美術院会員にして第一回の文化勲章を受賞し、近代日本画壇の巨匠と謳われた横山大観は、中山悦治と懇意でした。大観荘を気に入り、しばしば訪れては泊って、絵筆を執ることもありました。横山大観が宿泊した部屋は、現在も「大観の間」として残っています。中山悦治が旅館を開業するに当り、画伯の名を頂戴したいと申し出たところ、「この眺めは雄大であり、大観の名に相応しい」と、快諾したことが伝えられています。
大観荘の建築 ~ 平田雅哉
名匠、平田雅哉は数寄屋造りの第一人者。巨匠と称される村野藤吾でさえ傾倒した程の「建築の鬼」でした。平田棟梁ほど製図に力を入れた建築家はいないと言われ、大半の時間を製図と木彫に費やしています。平田雅哉と中山悦治の出会いは、平田棟梁が芦屋で中山悦治の本宅を手掛けた時、と言ってよいでしょう。施主に対してさえ、筋の通らぬ事は聞かず、世辞一つも言わぬ平田雅哉の姿勢は強く印象に残り、中山は、その後も数多くの仕事を任せました。その一つが熱海の別荘である大観荘。現在も別荘時代から残っている部屋は、本館の「大観の間」と「松風の間」です。
大観荘の庭園 ~ 龍居松之助
大観荘の庭園は、当初、中山悦治の手により作庭が進められていたのですが、完成間近にあった庭園を壊して龍居松之助の手に委ね、全てを新たに作り直す大工事を敢行しました。龍居松之助は、日本庭園協会、日本造園協会、日本造園士会設立などに参加し、我が国の「造園学」の草分けと言われる存在です。昭和33年=1958年、紫綬褒章を受賞しています。
大観荘代表 穂積純一 総支配人(左)と 永見先生(右)
平田雅哉 HIRATA Masaya
明治33年(1900年)~昭和55年(1980年)
大阪の堺生れ。生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せた。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になる。大工として働きながら自ら図面を引いた。製図や彫刻にも堪能で、それらにも多くの時間を費やした故に、作品が数多く残されている。昭和の左甚五郎と謳われた。
平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載される。それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化された。
書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『床の間図集』(昭和50年=1975年/発行:創元社)、『数奇屋建築の技法 平田雅哉から平田建設へ』(昭和60年=1985年/編集:和風建築社)など。
主な建築作品に、旅館「大観荘」(熱海)、旅館「つるや」(芦原)、旅館「西村屋」(兵庫)、料亭「招福楼」(八日市)、料亭「吉兆」高麗橋本店(大阪)、料亭「雲月」(京都)、旅館「万亭」(和歌山)、西南院(高野山)、料亭「錦戸」(大阪)、料亭「洗心亭」(大阪)、朝香宮邸茶室「光華」(東京)、茶室「如意庵」(大徳寺)、茶室「松籟亭」(広島)、「万里荘」(大阪)、料亭「なか川」、料亭「わか松」、料亭「相生」、料亭「現長」、料亭「青雲」、旅館「福田」、川上神社茶室、源生寺、川端康成の常宿だった金森旅館、ほか。
丹下健三と並んで日本建築界の巨匠と称される村野藤吾が、初めて平田雅哉に会った時の印象を、エッセイ「最後の一人」で次のように述べています。
長い間の修練に耐えて自我を通してきた「大棟梁」の面影があった。その気骨は、金と権威に自らを捨てぬ 不屈の魂が躍如として、寄らば切らん の構えが感ぜられた。私は棟梁の向こう側に座った。瞬間、一言も言わないうちから この勝負は私が負けたと思った。
大観荘 渡廊下
渡廊下の途中にある亭 ちん 四阿 あずまや
穂積 総支配人から丁寧な説明を受けられる永見先生
大棟梁と呼ばれる「伝説の名匠」平田雅哉は、生涯にわたって「大観荘」の増築と改築を重ねました。本館、渡廊下、階段、廊下、客室を巡ることで、平田棟梁の四十代から七十代にかけての変遷を鑑賞することができます。
左側に手摺のない階段
アクリルの円柱を均等に並べて立縞を形成する平田雅哉の意匠
ある種の流れと透明感と清涼感が生れます
平田雅哉による木彫作品展示ケース
大観荘に着くまでの汽車の中で作品を彫ったと言われます。
鯵の開きと煮干
縁起物の犬張子
河童 壱
河童 弐
河童 参
狂言「棒縛」次郎冠者
狂言「棒縛」太郎冠者
能「猩々」猩々
能「小鍛冶」稲荷明神の化身
大観荘本館
平成3年10月のオランダ王室ベアトリックス女王陛下とアレキサンダー皇太子殿下の来荘を記念して植えられた紅梅
平田雅哉について語る永見先生と穂積総支配人
大観の間で寛がれる永見先生
松風の間で寛がれる永見先生
永見先生に、大観荘について伺いました。
大観荘は、和の心を基本にした持て成しの宿。ゆったりと寛ぐことのできる純和風旅館です。
料理も、吟味した旬の素材が用いられ、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに、いただく事ができました。
これだけの構えですと、否応なく泊まる者の品位や人格も試される事になります。しかし、「一期一会と不易流行を軸にして、愛され続けられるよう、研鑚を重ねる事を心がけている」との評判に違わず、寧ろ、豊かなホスピタリティを感じ、感銘を受けました。
建物の維持管理だけでも相当なご苦労をなさっていることが偲ばれます。
浮世の喧騒から離れ、人間性を恢復させる本物の寛ぎがここにはあります。上下関係に陥りがちなサーヴィスではなく、主客同一のホスピタリティを求める方には、強くお勧めしたい旅館です。
いつものことながら、音楽や舞台は言うまでもなく、美術や建築に至るまで、芸術文化全般に対する永見先生の造詣の深さには、頭が下がります。
それはともかく… 次は是非お供をお命じください!
永見隆幸 平田雅哉『大工一代』を読む
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https://merry-3.blog.so-net.ne.jp/2018-08-05
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HIRATA Masaya "Life Carpenter"
永見隆幸 つるや 訪問
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https://merry-3.blog.so-net.ne.jp/2019-07-16
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Takayuki NAGAMI visits Tsuruya
永見隆幸 西村屋平田館 訪問
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Tak NAGAMI visits Nishimuraya Hiratakan
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