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ウィーン国立歌劇場 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Wiener Staatsoper [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、オーストリアのウィーンにある ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper を訪問されました。



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[コピーライト] Wien Tourismus Christian Stemper
ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper 全景



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ウィーン国立歌劇場ファサード Wiener Staatsoper facade



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[コピーライト] Wien Tourismus Christian Stemper
オペラ座の正面にある回廊の二階に立つ5体の立像は、それぞれ、ヒロイズム、悲劇、想像、喜劇、愛 from left to right:heroism, tragedy, fantasy, comedy, and love. を表しています。





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ウィーン国立歌劇場ファサードにある通路に立つ永見先生





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エントランスの階段



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ヨゼフ・ガッサー Josef Gasser の、建築、彫刻、詩、ダンス、音楽、ドラマ、絵画を表す7体の像が置かれています。天井画の作者は、フランツ・ドビアショフスキー Franz Dobiaschofsky.



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[コピーライト] Smtunli
吹抜けの大階段



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大階段に佇む永見先生



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[コピーライト] Hiroki Ogawa
吹抜けの壁には「オペラ」と「バレエ」というテーマで描かれたヨハン・プレロイトナー Johann Preleuthner の2枚のレリーフが飾られています。





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ティー・サロン Teesalon

皇帝フランツ・ヨゼフやエリザベート妃の専用応接室で、戦災を免れました。左の扉からロイヤル・ボックスに直接行くことができます。



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グスタフ・マーラー・ザール Gustav Mahler Saal マーラーの間

壁にはモーツアルト『魔笛』をテーマにしたゴブラン織

平成九年=1997年から、グスタフ・マーラー・ザール Gustav Mahler Saal と称されるようになりましたが、以前は、ゴブラン・ザール Gobelin saal ゴブランの間と呼ばれていました。



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マーモル・ザール Marmorsaal 大理石の間



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シュヴィント・ホワイエ Schwindfoyer

オーストリアの画家シュヴィントの名を冠した休憩室



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シュヴィント・ホワイエ Schwindfoyer で寛がれる永見先生





【ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper の歴史】


皇帝フランツ・ヨーゼフ一世は、1857年(江戸時代 安政四年頃)12月20日付の内務大臣への手紙で、ウィーンの都市を拡大し、公共建築物を建設する決定を確認しました。オペラ座は、このウィーン都市計画の一環としてウィーン市役所とブルク劇場と共に建設されました。
建築家アウグスト・ズィカルト・フォン・ズィカルツブルク August Sicard von Sicardsburg(1813~1868)の設計で、エドゥアルト・ファン・デル・ニュル Eduard van der Null(1812~1868)が建物内部を担当しました。オーストリアの画家モーリッツ・フォン・シュヴィント Moritz Ludwig von Schwind がラウンジのフレスコ画やロッジア loggia にあるモーツアルトのオペラ『魔笛』のフレスコ画サークルを制作しています。
この歌劇場は、ヴィーナー・リング・シュトラーセ Wiener Ringstraße 最初の主要な建物で、ロンバルディア、フランス、ドイツのルネッサンス様式を統一したネオ・ルネサンス様式。建築作業は1861年(江戸時代 文久元年頃)に着手され、1869年(明治二年頃)に完成しました。

宮廷歌劇場の杮 こけら 落しは、1869年5月25日にフランツ・ヨーゼフとエリザベート皇帝夫妻の臨席の下、モーツァルト『ドン・ジョバンニ』によって行われました。このオペラ座披露の評価は散々なもので、繊細な性格の持ち主だったファン・デル・ニュルの自殺の要因はこの酷評からだと言われています。彼の友人だったズィカルツブルクも、ニュルが亡くなった2ヶ月後に脳梗塞で他界。二人とも、オペラ座の完成を見ることは、叶わなかったのです。

ウィーンのオペラ座は、大正九年=1920年まで「帝国王室御用達オペラ劇場 ~ 新しき家 Das Kaiserlicher und Koniglicher Hoflieferant-Operntheater in Wien - Neues Haus」と呼ばれていました。

明治30年=1897年に総監督となった作曲家のグスタフ・マーラーは、積極的に新世代のアーティストを起用しました。オペラ座が最初の最盛期を迎えたのは彼の時代だと言われています。
舞台デザイナーのアルフレート・ロラーなどを雇用、古色蒼然の舞台装置をモダニズムやユーゲント・シュティール風の簡潔なものに変えました。
上演中に照明を落す慣習を作ったのもマーラー。当時のオペラ座は貴族の社交場で、舞台を見ながら飲食するのが常識の時代。マーラーは、オペラに集中させるため、劇場内を、飲食禁止、上演中出入禁止、会話禁止にしました。
舞台転換の間に音楽を挿入することや、ウィーンにオペレッタも持込んだのもマーラーです。ウィーン宮廷歌劇場でのオペレッタ初上演はヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ『こうもり』でした。


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グスタフ・マーラー Gustav Mahler


リヒャルト・シュトラウスが総監督の時代には、『ナクソス島のアリアドネ』改訂版や『影のない女』の初演などが行われ、再び黄金期を迎えました。

しかし、昭和13年=1938年~昭和20年=1945年には、多くのスタッフやアーティストがナチスに迫害され、追放され、殺害され、作品の多くが上演禁止になりました。第二次世界大戦中には、連合軍の爆撃によりオペラ座は大きな被害を受け、120作以上のオペラで使われる舞台装置、15万着もの衣装、大道具や小道具などを焼失しています。

その後、ウィーンのオペラ座は、10年もの月日と莫大な費用をかけて、収容人員2,200人超のウィーン国立歌劇場として再建され、総監督にはカール・ベーム Karl Böhm が再び就任しました。杮 こけら 落しは、昭和30年=1955年11月5日、ベートーヴェン『フィデリオ Fidelio』です。

現在、ウィーン国立歌劇場は、世界で最も重要なオペラ・ハウスの一つとされ、パリのガルニエ宮=パリ・オペラ座とミラノのスカラ座に並ぶヨーロッパ三大歌劇場、スカラ座とメトロポリタン歌劇場に並ぶ世界の三大歌劇場の一つに数えられます。オペラ・シーズンには60万人もが訪れる歌劇場になり、平成11年=1999年、民営化されています。





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ウィーン国立歌劇場内


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[コピーライト] Lois Lammerhuber


ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Wiener Staatsoper Orchester は、ウィーン国立歌劇場の専属オーケストラ。ベルリン・フィルハーモニーと並んでヨーロッパ最高のオーケストラと称される。定員150名(六管編成)。毎年、9月から翌年6月までのシーズンに、約三百回のオペラやバレエの公演を行う。このウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員が、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker を自主運営団体として組織し、コンサート活動を行っている。
1625年(江戸時代 寛永二年頃)にハプスブルク家の皇帝フェルディナントⅡ世の誕生日を祝し、宮廷の大広間でイタリア語劇の上演が行われた。それを嚆矢として、ウィーン宮廷歌劇場に発展したと言われている。1841年、オットー・ニコライ(1810年~1849年)が、ケルン・トナートーア劇場(ウィーンの宮廷劇場)の楽長に任命される。当時のウィーンの音楽界に影響力のある著名人たちに押され、1842年(江戸時代 天保十三年頃)3月28日、大レドゥーテンザール Großen Redoutensaal にて「大コンサート Großes Concert」を帝国王立宮廷歌劇場 k.k. Hof-Operntheaters のオーケストラ全メンバーで行った。元々は「フィルハーモニー・アカデミー Philharmonische Academie」と呼ばれたこのコンサートをもって、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団誕生の時とされる。
歴代の音楽総監督には、グスタフ・マーラー、ブルーノ・ワルター、フェリックス・ワインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、カール・ベーム 、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼール、クラウディオ・アッバードらが就任した。平成14年=2002年9月から平成22年=2010年8月までは小澤征爾が、その後は、フランツ・ウェルザー=メストとフィリップ・ジョルダンが務めている。
現在の規約では、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員のみがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員になることができる。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団する前に、オーディションに合格して採用されなければならない。その後、少なくとも三年間は歌劇場管弦楽団において日々の任務でその力を実証し、はじめて正式の団員になる申請ができる。定年後は、繁忙期などに準団員として、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏する。


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[コピーライト] Wiener Philharmoniker





ウィーン国立歌劇場は、「鉄のカーテン」と題し、アーティストに依頼して防火用の緞帳に絵を描いています。この、シーズン毎に入替る、緞帳に描かれた絵画作品も見所の一つです。


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サイ・トゥオンブリ Twombly


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デイヴィッド・ホックニー David Hockney


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ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky





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アルバン・ベルク記念碑 Alban Berg Denkmal と永見先生

アルバン・ベルク記念碑 Alban Berg Denkmal は、ウィーン国立歌劇場前のヘルベルト・フォン・カラヤン広場にあります。設計は、建築家のヴォルフ・D・プリックス Wolf D. Prix。このモニュメントは、グスタフ・マーラー、アーノルド・シェーンベルク、アントン・フォン・ウェーベルンらも記念しています。





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1900年頃のウィーン国立歌劇場





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ウィーン国立歌劇場の夜景





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ウィーン楽友協会 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Wiener Musikverein [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、オーストリアのウィーンにある ウィーン楽友協会 Wiener Musikverein を訪問されました。



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ウィーン楽友協会 Wiener Musikverein ヴィーナー・ムジークフェラインは、1812年(江戸時代 文化九年頃)に設立された、オーストリアのウィーンにあるクラシック音楽の関係者による団体です。正式名称はゲゼルシャフト・デァ・ムジークフロインデ・イン・ヴィーン Die Gesellschaft der Musikfreunde in Wien ウィーンの音楽愛好家による協会。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Die Wiener Philharmoniker ヴィーナー・フィルハーモニカーの本拠地として知られていますが、ウィーン交響楽団 Die Wiener Symphoniker や ウィーン放送交響楽団 Das ORF Radio-Symphonieorchester Wien も演奏を行っています。





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現在のウィーン楽友協会の建物は、1870年(明治三年頃)に竣工しました。1831年(江戸時代 天保二年頃)に完成したウィーンで最初の公共ホールも700人程しか収容できず、ウィーンには大規模なコンサート・ホールがありませんでした。そこで、かつてのオスマン帝国による包囲戦に備えた壁と堀の趾に環状道路リング・シュトラセ Ringstraße が建設されるに当り、皇帝フランツ・ヨゼフ一世に、協会の関係者らが大規模なコンサートホールの建設を願い出ました。1863年(江戸時代 文久三年頃)、フランツ・ヨゼフ一世は、リング・シュトラセを挟んでカールス教会 Karlskirche に向い合った用地を与えます。デンマーク人建築家テオフィル・ハンセン Theophil van Hansen(1813年=江戸時代 文化十年頃 ~ 1891年=明治二十四年)の設計による建設が開始され、三年がかりで完成しました。 一言で言えば、ギリシャ=ルネッサンス様式。ウィーンの音楽史を今に伝える、重要な歴史的建造物です。





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Wiener Musikverein





協会員には作曲家ヨハネス・ブラームスもいました。1872年=明治五年頃から1875年=明治八年までの三年間にわたる協会主宰コンサートにての指揮、小ホールにおける自身のピアノ作品初演など、多彩な活躍をしています。その功績を称えて、1937年=昭和十二年に小ホールが「ブラームス・ザール Brahms Saal」と名づけられました。





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Brahms Saal [コピーライト] Wolf-Dieter Grabner

 



ウィーン楽友協会の建物には、通称「黄金のホール Goldener Saal」こと「大ホール Großer Saal グローサー・ザール」や 室内楽などの演奏が行われる前述の「小ホール Brahms Saal ブラームス・ザール」のほか、2004年=平成十六年に造られた Glaserner Saal(Magna Auditorium)、Metallener Saal、 Steinerner Saal、Holzerner Saal などのリハーサル・ホールや多目的ホールがあります。資料室も充実しています。





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Großer Saal [コピーライト] David M. Peters





「大ホール Großer Saal グローサー・ザール」は、シューボックス型と呼ばれる直方体。縦48.8メートル、横幅19.1メートル、高さは17.75メートルで、座席数は約二千。カリアティード caryatid と称される女性の形をした柱や、格天井、板張りの床、床下の空間、天井裏の空間、バルコン、装飾に至るまで、全てが素晴らしい音響を生出すような設計になっていて、グローサー・ザールの音響こそが世界一と評価する向きもあります。音響学的に興味のある方は、レオ・リロイ・ベラネク Leo Leroy Beranek「音楽と音響と建築 Music, Acoustics and Architecture 1962」などを参考にしてください。





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レオ・リロイ・ベラネク Leo Leroy Beranek「音楽と音響と建築 Music, Acoustics and Architecture 1962」





オーストリアの画家アウグスト・アイゼンメンゲル August Eisenmenger(1830年=江戸時代 文政十三年頃 ~ 1907年=明治四十年)による天井のフレスコ画『アポロと九人のミューズ Apollo und die neun Musen』も、よく知られています。





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August Eisenmenger "Apollo und die neun Musen"
[コピーライト] Welleschik





多分に漏れず、この記事も永見先生に教えていただいたことを纏めたに過ぎません。

芸術文化について、単なる知識だけに留まらず、先生の造詣の深さは半端ない…





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