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ウィーン国立歌劇場 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Wiener Staatsoper [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、オーストリアのウィーンにある ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper を訪問されました。



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[コピーライト] Wien Tourismus Christian Stemper
ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper 全景



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ウィーン国立歌劇場ファサード Wiener Staatsoper facade



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[コピーライト] Wien Tourismus Christian Stemper
オペラ座の正面にある回廊の二階に立つ5体の立像は、それぞれ、ヒロイズム、悲劇、想像、喜劇、愛 from left to right:heroism, tragedy, fantasy, comedy, and love. を表しています。





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ウィーン国立歌劇場ファサードにある通路に立つ永見先生





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エントランスの階段



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ヨゼフ・ガッサー Josef Gasser の、建築、彫刻、詩、ダンス、音楽、ドラマ、絵画を表す7体の像が置かれています。天井画の作者は、フランツ・ドビアショフスキー Franz Dobiaschofsky.



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[コピーライト] Smtunli
吹抜けの大階段



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大階段に佇む永見先生



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[コピーライト] Hiroki Ogawa
吹抜けの壁には「オペラ」と「バレエ」というテーマで描かれたヨハン・プレロイトナー Johann Preleuthner の2枚のレリーフが飾られています。





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ティー・サロン Teesalon

皇帝フランツ・ヨゼフやエリザベート妃の専用応接室で、戦災を免れました。左の扉からロイヤル・ボックスに直接行くことができます。



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グスタフ・マーラー・ザール Gustav Mahler Saal マーラーの間

壁にはモーツアルト『魔笛』をテーマにしたゴブラン織

平成九年=1997年から、グスタフ・マーラー・ザール Gustav Mahler Saal と称されるようになりましたが、以前は、ゴブラン・ザール Gobelin saal ゴブランの間と呼ばれていました。



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マーモル・ザール Marmorsaal 大理石の間



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シュヴィント・ホワイエ Schwindfoyer

オーストリアの画家シュヴィントの名を冠した休憩室



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シュヴィント・ホワイエ Schwindfoyer で寛がれる永見先生





【ウィーン国立歌劇場 Wiener Staatsoper の歴史】


皇帝フランツ・ヨーゼフ一世は、1857年(江戸時代 安政四年頃)12月20日付の内務大臣への手紙で、ウィーンの都市を拡大し、公共建築物を建設する決定を確認しました。オペラ座は、このウィーン都市計画の一環としてウィーン市役所とブルク劇場と共に建設されました。
建築家アウグスト・ズィカルト・フォン・ズィカルツブルク August Sicard von Sicardsburg(1813~1868)の設計で、エドゥアルト・ファン・デル・ニュル Eduard van der Null(1812~1868)が建物内部を担当しました。オーストリアの画家モーリッツ・フォン・シュヴィント Moritz Ludwig von Schwind がラウンジのフレスコ画やロッジア loggia にあるモーツアルトのオペラ『魔笛』のフレスコ画サークルを制作しています。
この歌劇場は、ヴィーナー・リング・シュトラーセ Wiener Ringstraße 最初の主要な建物で、ロンバルディア、フランス、ドイツのルネッサンス様式を統一したネオ・ルネサンス様式。建築作業は1861年(江戸時代 文久元年頃)に着手され、1869年(明治二年頃)に完成しました。

宮廷歌劇場の杮 こけら 落しは、1869年5月25日にフランツ・ヨーゼフとエリザベート皇帝夫妻の臨席の下、モーツァルト『ドン・ジョバンニ』によって行われました。このオペラ座披露の評価は散々なもので、繊細な性格の持ち主だったファン・デル・ニュルの自殺の要因はこの酷評からだと言われています。彼の友人だったズィカルツブルクも、ニュルが亡くなった2ヶ月後に脳梗塞で他界。二人とも、オペラ座の完成を見ることは、叶わなかったのです。

ウィーンのオペラ座は、大正九年=1920年まで「帝国王室御用達オペラ劇場 ~ 新しき家 Das Kaiserlicher und Koniglicher Hoflieferant-Operntheater in Wien - Neues Haus」と呼ばれていました。

明治30年=1897年に総監督となった作曲家のグスタフ・マーラーは、積極的に新世代のアーティストを起用しました。オペラ座が最初の最盛期を迎えたのは彼の時代だと言われています。
舞台デザイナーのアルフレート・ロラーなどを雇用、古色蒼然の舞台装置をモダニズムやユーゲント・シュティール風の簡潔なものに変えました。
上演中に照明を落す慣習を作ったのもマーラー。当時のオペラ座は貴族の社交場で、舞台を見ながら飲食するのが常識の時代。マーラーは、オペラに集中させるため、劇場内を、飲食禁止、上演中出入禁止、会話禁止にしました。
舞台転換の間に音楽を挿入することや、ウィーンにオペレッタも持込んだのもマーラーです。ウィーン宮廷歌劇場でのオペレッタ初上演はヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ『こうもり』でした。


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グスタフ・マーラー Gustav Mahler


リヒャルト・シュトラウスが総監督の時代には、『ナクソス島のアリアドネ』改訂版や『影のない女』の初演などが行われ、再び黄金期を迎えました。

しかし、昭和13年=1938年~昭和20年=1945年には、多くのスタッフやアーティストがナチスに迫害され、追放され、殺害され、作品の多くが上演禁止になりました。第二次世界大戦中には、連合軍の爆撃によりオペラ座は大きな被害を受け、120作以上のオペラで使われる舞台装置、15万着もの衣装、大道具や小道具などを焼失しています。

その後、ウィーンのオペラ座は、10年もの月日と莫大な費用をかけて、収容人員2,200人超のウィーン国立歌劇場として再建され、総監督にはカール・ベーム Karl Böhm が再び就任しました。杮 こけら 落しは、昭和30年=1955年11月5日、ベートーヴェン『フィデリオ Fidelio』です。

現在、ウィーン国立歌劇場は、世界で最も重要なオペラ・ハウスの一つとされ、パリのガルニエ宮=パリ・オペラ座とミラノのスカラ座に並ぶヨーロッパ三大歌劇場、スカラ座とメトロポリタン歌劇場に並ぶ世界の三大歌劇場の一つに数えられます。オペラ・シーズンには60万人もが訪れる歌劇場になり、平成11年=1999年、民営化されています。





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ウィーン国立歌劇場内


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Wiener Staatsoper Orchester 1.jpg
[コピーライト] Lois Lammerhuber


ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Wiener Staatsoper Orchester は、ウィーン国立歌劇場の専属オーケストラ。ベルリン・フィルハーモニーと並んでヨーロッパ最高のオーケストラと称される。定員150名(六管編成)。毎年、9月から翌年6月までのシーズンに、約三百回のオペラやバレエの公演を行う。このウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員が、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker を自主運営団体として組織し、コンサート活動を行っている。
1625年(江戸時代 寛永二年頃)にハプスブルク家の皇帝フェルディナントⅡ世の誕生日を祝し、宮廷の大広間でイタリア語劇の上演が行われた。それを嚆矢として、ウィーン宮廷歌劇場に発展したと言われている。1841年、オットー・ニコライ(1810年~1849年)が、ケルン・トナートーア劇場(ウィーンの宮廷劇場)の楽長に任命される。当時のウィーンの音楽界に影響力のある著名人たちに押され、1842年(江戸時代 天保十三年頃)3月28日、大レドゥーテンザール Großen Redoutensaal にて「大コンサート Großes Concert」を帝国王立宮廷歌劇場 k.k. Hof-Operntheaters のオーケストラ全メンバーで行った。元々は「フィルハーモニー・アカデミー Philharmonische Academie」と呼ばれたこのコンサートをもって、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団誕生の時とされる。
歴代の音楽総監督には、グスタフ・マーラー、ブルーノ・ワルター、フェリックス・ワインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、カール・ベーム 、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼール、クラウディオ・アッバードらが就任した。平成14年=2002年9月から平成22年=2010年8月までは小澤征爾が、その後は、フランツ・ウェルザー=メストとフィリップ・ジョルダンが務めている。
現在の規約では、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員のみがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員になることができる。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団する前に、オーディションに合格して採用されなければならない。その後、少なくとも三年間は歌劇場管弦楽団において日々の任務でその力を実証し、はじめて正式の団員になる申請ができる。定年後は、繁忙期などに準団員として、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏する。


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[コピーライト] Wiener Philharmoniker





ウィーン国立歌劇場は、「鉄のカーテン」と題し、アーティストに依頼して防火用の緞帳に絵を描いています。この、シーズン毎に入替る、緞帳に描かれた絵画作品も見所の一つです。


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サイ・トゥオンブリ Twombly


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デイヴィッド・ホックニー David Hockney


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ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky





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アルバン・ベルク記念碑 Alban Berg Denkmal と永見先生

アルバン・ベルク記念碑 Alban Berg Denkmal は、ウィーン国立歌劇場前のヘルベルト・フォン・カラヤン広場にあります。設計は、建築家のヴォルフ・D・プリックス Wolf D. Prix。このモニュメントは、グスタフ・マーラー、アーノルド・シェーンベルク、アントン・フォン・ウェーベルンらも記念しています。





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1900年頃のウィーン国立歌劇場





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ウィーン国立歌劇場の夜景





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ウィーン楽友協会 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Wiener Musikverein [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、オーストリアのウィーンにある ウィーン楽友協会 Wiener Musikverein を訪問されました。



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ウィーン楽友協会 Wiener Musikverein ヴィーナー・ムジークフェラインは、1812年(江戸時代 文化九年頃)に設立された、オーストリアのウィーンにあるクラシック音楽の関係者による団体です。正式名称はゲゼルシャフト・デァ・ムジークフロインデ・イン・ヴィーン Die Gesellschaft der Musikfreunde in Wien ウィーンの音楽愛好家による協会。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Die Wiener Philharmoniker ヴィーナー・フィルハーモニカーの本拠地として知られていますが、ウィーン交響楽団 Die Wiener Symphoniker や ウィーン放送交響楽団 Das ORF Radio-Symphonieorchester Wien も演奏を行っています。





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現在のウィーン楽友協会の建物は、1870年(明治三年頃)に竣工しました。1831年(江戸時代 天保二年頃)に完成したウィーンで最初の公共ホールも700人程しか収容できず、ウィーンには大規模なコンサート・ホールがありませんでした。そこで、かつてのオスマン帝国による包囲戦に備えた壁と堀の趾に環状道路リング・シュトラセ Ringstraße が建設されるに当り、皇帝フランツ・ヨゼフ一世に、協会の関係者らが大規模なコンサートホールの建設を願い出ました。1863年(江戸時代 文久三年頃)、フランツ・ヨゼフ一世は、リング・シュトラセを挟んでカールス教会 Karlskirche に向い合った用地を与えます。デンマーク人建築家テオフィル・ハンセン Theophil van Hansen(1813年=江戸時代 文化十年頃 ~ 1891年=明治二十四年)の設計による建設が開始され、三年がかりで完成しました。 一言で言えば、ギリシャ=ルネッサンス様式。ウィーンの音楽史を今に伝える、重要な歴史的建造物です。





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Wiener Musikverein





協会員には作曲家ヨハネス・ブラームスもいました。1872年=明治五年頃から1875年=明治八年までの三年間にわたる協会主宰コンサートにての指揮、小ホールにおける自身のピアノ作品初演など、多彩な活躍をしています。その功績を称えて、1937年=昭和十二年に小ホールが「ブラームス・ザール Brahms Saal」と名づけられました。





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Brahms Saal [コピーライト] Wolf-Dieter Grabner

 



ウィーン楽友協会の建物には、通称「黄金のホール Goldener Saal」こと「大ホール Großer Saal グローサー・ザール」や 室内楽などの演奏が行われる前述の「小ホール Brahms Saal ブラームス・ザール」のほか、2004年=平成十六年に造られた Glaserner Saal(Magna Auditorium)、Metallener Saal、 Steinerner Saal、Holzerner Saal などのリハーサル・ホールや多目的ホールがあります。資料室も充実しています。





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Großer Saal [コピーライト] David M. Peters





「大ホール Großer Saal グローサー・ザール」は、シューボックス型と呼ばれる直方体。縦48.8メートル、横幅19.1メートル、高さは17.75メートルで、座席数は約二千。カリアティード caryatid と称される女性の形をした柱や、格天井、板張りの床、床下の空間、天井裏の空間、バルコン、装飾に至るまで、全てが素晴らしい音響を生出すような設計になっていて、グローサー・ザールの音響こそが世界一と評価する向きもあります。音響学的に興味のある方は、レオ・リロイ・ベラネク Leo Leroy Beranek「音楽と音響と建築 Music, Acoustics and Architecture 1962」などを参考にしてください。





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レオ・リロイ・ベラネク Leo Leroy Beranek「音楽と音響と建築 Music, Acoustics and Architecture 1962」





オーストリアの画家アウグスト・アイゼンメンゲル August Eisenmenger(1830年=江戸時代 文政十三年頃 ~ 1907年=明治四十年)による天井のフレスコ画『アポロと九人のミューズ Apollo und die neun Musen』も、よく知られています。





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August Eisenmenger "Apollo und die neun Musen"
[コピーライト] Welleschik





多分に漏れず、この記事も永見先生に教えていただいたことを纏めたに過ぎません。

芸術文化について、単なる知識だけに留まらず、先生の造詣の深さは半端ない…





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アン・デァ・ウィーン劇場 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Theater an der Wien [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、オーストリアのウィーンにある アン・デァ・ウィーン劇場 Theater an der Wien を訪問されました。



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モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart のオペラ『魔笛 Die Zauberfloete』の台本で知られるエマヌエル・シカネダー Emanuel Schikaneder(1751~1812)が、アン・デァ・ウィーン劇場を設立しました。1786年(江戸時代 天明六年頃)に皇帝の認可を受け、オーストリアの建築家フランツ・イェーガー Franz Jaeger (1743~1809)による帝政様式の設計で、1801年(江戸時代 享和元年頃)に竣工しています。



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[コピーライト]Theater an der Wien





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アン・デァ・ウィーン劇場エントランス



パパゲーノ門 Papagenotor / Papageno Gate と呼ばれる旧エントランスは、現存する当時の建物です。

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パパゲーノ門 Papagenotor / Papageno Gate





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[コピーライト]Theater an der Wien

アン・デァ・ウィーン劇場内 Theater an der Wien innen

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[コピーライト]Theater an der Wien





オペラやミュージカルを上演する劇場として名高い「アン・デァ・ウィーン劇場」で初演された主な演目は次の通り。


1805年(江戸時代 文化二年頃)
ベートーヴェン『交響曲第3番』(英雄)
Ludwig van Beethoven Symphonie Nr.3 Es-Dur Op.55 "Eroica"

1805年(江戸時代 文化二年頃)
ベートーヴェン オペラ『フィデリオ』
Ludwig van Beethoven Opera "Fidelio" Op.72

1808年(江戸時代 文化五年頃)
ベートーヴェン『交響曲第5番』(運命)
Ludwig van Beethoven Symphonie Nr.5 C-Moll Op.67 "Schicksalssinfonie"

1808年(江戸時代 文化五年頃)
ベートーヴェン『交響曲第6番』(田園)
Ludwig van Beethoven Symphonie Nr.6 F-Dur Op.68 "Pastorale"

1823年(江戸時代 文政六年頃)
シューベルト 劇付随音楽『ロザムンデ』
Franz Schubert "Rosamunde" Op.26 D.797 Musik zu Helmina von Chezy's vieraktigem Schauspiele

1846年(江戸時代 弘化三年頃)
ロルツィング オペレッタ『刀鍛冶』
Albert Lortzing Operette "Der Waffenschmied"

1874年=明治七年
ヨハン・シュトラウス二世 オペレッタ『こうもり』
Johann Strauss Ⅱ. Operette "Die Fledermaus"

1882年=明治十五年
ミレッカー オペレッタ『乞食学生』
Carl Milloecker Operette "Der Bettelstudent"

1885年=明治十八年
ヨハン・シュトラウス二世 オペレッタ『ジプシー男爵』
Johann Strauss Ⅱ. Operette "Der Zigeunerbaron"

1891年=明治二十四年
ツェラー オペレッタ『小鳥売り』
Carl Zeller Operette "Der Vogelhaendler"

1905年=明治三十八年
レハール オペレッタ『メリー・ウィドウ』
Franz Lehar Operette "Die lustige Witwe / The Merry Widow"

1909年=明治四十二年
レハール オペレッタ『ルクセンブルク伯爵』
Franz Lehar Operette "Der Graf von Luxemburg / The Count of Luxembourg"

1968年=昭和四十三年
ミュージカル ドイツ語版『ラ・マンチャの男』
Musical "Der Mann von La Mancha / Man of La Mancha" Deutsche Version

1983年=昭和五十八年
ミュージカル ドイツ語版『キャッツ』
Musical "Cats / Katzen" Deutsche Version

1992年=平成四年
ミュージカル『エリザベート』
Musical "Elisabeth"

1999年=平成十一年
ミュージカル『モーツァルト!』
Musical "Mozart!"





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シュテファン大聖堂 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Domkirche St. Stephan zu Wien:Der Wiener Stephansdom [永見隆幸 海外]




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永見隆幸先生が、ウィーンのシュテファン大聖堂 Domkirche St. Stephan zu Wienr(Der Wiener Stephansdom)を訪問されました。



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シュテファン大聖堂の建築は12世紀に始まり、13世紀から14世紀にかけてハプスブルク家のルドルフ四世 Rudolf IV. の命により、建物主要部分が建て替えられ、外観はゴシック様式、内部の祭壇はバロック様式という現在の姿になりました。西側ファサードとハイデン塔は、13世紀に建造された最古のもので、後期ロマネスク様式です。



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[コピーライト] Bwag - commons
西側ファサードとハイデン塔





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[コピーライト] Bwag - commons
内陣主祭壇の「バロック式高祭壇 Barocker Hochalter」



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[コピーライト] Bwag - commons
ウィーン・ノイシュテッター祭壇 Wiener Neustadter Altar



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[コピーライト] William M. Connolley - commons
シュテファン大聖堂の説教壇 Die Kanzel des Stephansdom





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大聖堂屋内





シュテファン大聖堂は、ハプスブルク家歴代君主の墓所、そして、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの結婚式と葬儀が行われた聖堂として、知られています。

シュテファン大聖堂を含む、ウィーン歴史地区 Das historische Zentrum von Wien が、世界遺産に登録されました。





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ハイリゲンシュタット散策 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Heiligenstadt Wien [永見隆幸 海外]




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永見先生が、ウィーンのハイリゲンシュタットで、散策を楽しまれました。

俗に言う、ベートーヴェンの散歩道ですね。



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ベートーヴェンが交響曲第三番を書いた家とか、交響曲第六番「田園」を着想した場所とか、そういう所には余り興味を示されませんでした。何故なんでしょうね…



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今回の欧州旅行ウィーン滞在で永見先生をサポートしてくださった専属の運転手さん





自分は論理の人間でもありますが、感性の人間でもあります。ですから、教養としての知識には興味が持てず、自分の感性に引っかかったものを楽しんでいるだけなのです。

色々なアプローチがあるのでしょうが、自分の場合、自然からインスピレーションを得ることが多いのです。自分の身体がそれに様々な反応を起こしてリアリティが生れる。ベートーヴェンの散歩を追体験するという意味合いでここにいるのではなく、ハイリゲンシュタットの自然に触れ、日本では感じられない大地の息吹や空気の振動や生き物の鼓動などによって、自分が生きている実感を得る。ヴァーチャルなことだけでは決して手に入れられないものです。特に、芸術に携わる上で、自然と身体性を抜きにして、自分は、前に進むことができません。





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私が、つまらぬことを伺ったのがいけなかったんですが、永見先生は、真摯に語ってくださいました。

考えておられることも実行することも、やっぱり凡人の私とは雲泥の差です。

何が気に入られたのか解りませんが、この階段と小さな泉が気になられたらしく、車を止められ、しばし、自然との交感を楽しんでおられたご様子です。



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ホテル・ザッハー・ウィーン ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Hotel Sacher Wien Österreich [永見隆幸 海外]




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永見隆幸先生が、オーストリアのホテル・ザッハー・ウィーン Hotel Sacher Wien に宿泊されました。



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レセプション rezeption



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ホワィエ empfangshalle



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部屋には永見先生宛の手紙 そして ウェルカム・ドリンクと果物とザッハ・トルテ





ホテル・ザッハー Hotel Sacher は、ウィーンの中心街にあるフィルハーモニカー通りに建つ5つ星ホテルです。ウィーン国立歌劇場の隣、かつてのアントニオ・ヴィヴァルディの居住地に建てられました。シュテファン大聖堂、ホーフブルク王宮、アルベルティーナ美術館、オーストリア国立図書館の至近距離にあります。美術品を収蔵するギャラリーを有し、部屋は約150室。名物のザッハ・トルテもよく知られています。

ザッハ・トルテは、1832年(江戸時代 天保3年頃)、ユダヤ系の敏腕菓子職人フランツ・ザッハーによって作られ、次男エドワードが宮廷御用達菓子屋のデメルで完成させたと言われています。1876年=明治9年にホテルを立上げると、瞬く間に、貴族や芸術家や政治家、世界中の上流階級が集まる場として、国際的に知られるようになります。エドワードが49歳で他界すると、未亡人となったアンナ・ザッハーが力を尽し、ハプスブルク家の黄金期に一時代を築きました。

太上天皇皇后両陛下、皇帝フランツ・ヨゼフ、女王エリザベス二世、マハトマ・ガンディ、J.F.ケネディ大統領などの名士や、ドミンゴ、カラヤン、バーンスタインらの音楽家も訪れています。
そして、我らが永見隆幸先生の常宿でもあります。



ホテル内には、元祖ザッハ・トルテ Die Original Sacher-Torte で名高い「カフェ・ザッハ Café Sacher Wien」、そのほかに「ザッハ・シュトゥーベ Sacher Stube」と「ザッハ・エック Sacher Eck」、三つのカフェがあります。レストランは、赤の「ローテ・バー Rote Bar」と緑の「グリューネ・バー Grüne Bar レストラン・アンナ・ザッハー Restaurant Anna Sacher」の二店舗。もちろんドレスコードがあります。青の「ブラウェ・バー Blaue Bar」は夜遅くまで営業しているバーです。





ローテ・バー
Rote Bar

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グリューネ・バー
Grüne Bar
レストラン・アンナ・ザッハー
Restaurant Anna Sacher

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オーストリアの画家アントン・ファイスタウアー Anton Faistauer(1887年~1930年)の絵画や、ロブマイヤー Lobmeyr のクリスタル製シャンデリアを楽しむことができます。



ブラウェ・バー
Blaue Bar

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カフェ・ザッハー・ウィーン
Café Sacher Wien

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シュタイラーエック ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Steirereck im Stadtpark - Vienna [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生がオーストリアのウィーンあるレストラン「シュタイラーエック・イム・シュタットパーク・ヴィエンナ Steirereck im Stadtpark - Vienna」を訪問されました。



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シュタイラーエック・イム・シュタットパーク Steirereck im Stadtpark



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永見先生にレストラン・シュタイラーエックについて伺いました。


ウィーン市立公園の中にあるレストラン、シュタイラーエック Restaurant Steirereck を、ミシュラン星付き、ゴーミヨ Gault et Milla 高評価、サンペレグリノ「World's 50 Best Restaurants~世界のレストラン・ベスト50」ベスト10ランクイン、ターフェルシュピッツ Tafelspitz 金賞に輝いた名店としてご存知の方も多いことでしょう。ウィーンの、そしてオーストリアのレストラン最高峰という評価を得ています。ヨーロッパで一番と言う方さえいて、シュタイラーエックの洗練された創作料理は、芸術的と表現されることも。厳選食材を用いた料理は実に凝ったもので、そのうえ、自慢のチーズが150種以上もストックされ、パンやワインの品揃えも圧倒的です。





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永見先生がおっしゃるには…

シュタイラーエック Steirereck の真裏にあるウィーン川沿いのマイエライ・イム・シュタットパーク Meierei im Stadtpark も美味しく、ランチや朝食で利用することが多いのですが、実は、シュタイラーエックとマイエライは、経営も建物も同じなのです。入口だけは正反対のところにあります。



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マイエライ・イム・シュタットパーク Meierei im Stadtpark





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ご贔屓様との会食や 舞台の打合せや 美味なる食事を堪能する機会の多い永見先生

オーストリアは、アメリカに次いで、先生にとって第三の故郷だとか… 

羨ましすぎる!





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シェーンブルン宮殿 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Schloß Schönbrunn [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、ウィーンのシェーンブルン宮殿 Schlos Schonbrunn を訪問されました。



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シェーンブルン宮殿 Schlos Schonbrunn は、ヨーロッパで最も美しいバロック建築に数えられます。ここには、マリア・テレジア女帝、フランツ・ヨーゼフ皇帝やエリザベト皇妃も滞在しました。



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[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller



Schonbrunn Palace2.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller



建造物と敷地は1569年(室町時代 永禄12年頃)からハプスブルク家が夏の離宮、避暑地の別荘として所有。神聖ローマ皇帝マティアス Matthias が行った1612年(江戸時代 慶長17年頃)の狩猟の旅で、偶然この地に湧き出す清らかな(schon シェーン)泉(brunn ブルン)を見つけ、この土地に「シェーンブルン Schonbrunn」という名が与えられました。1642年(江戸時代 寛永19年頃)には、皇帝フェルディナント二世 FerdinandⅡ.の皇妃エレオノーラ・フォン・ゴンザーガ Eleonora von Gonzaga(1598年~1655年)が園遊のための宮殿を建てています。

オスマン・トルコ軍による第二次ウィーン包囲の後、「フランスのベルサイユ宮殿に匹敵する宮殿を」との皇帝レオポルド一世 Leopold I.の命で、オーストリアの建築家ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラハ Johann Bernhard Fischer von Erlach の設計により、1696年(江戸時代 元禄9年頃)に新宮殿を着工。1743年(江戸時代 寛保3年頃)からは、マリア・テレジアの指示で、オーストリアとイタリアの建築家ニコラウス・フランツ・レオンハルト・フォン・パカッシ Nikolaus Franz Leonhard von Pacassi(1716年~1790年)が大規模な拡張と改装を行い、現在の姿になりました。

シェーンブルン宮殿外壁の明るい黄色は、「マリア・テレジア・イエロー」とも呼ばれています。宮殿の前に広がるフランス式庭園は、東西約1.2メートル、南北約1キロメートルにも及びます。1830年(江戸時代 文政13年頃)にはフランツ・ヨーゼフ皇帝 Franz JosephⅠ.が生れ、晩年の数年は専らここで過ごしました。



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[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Sascha Rieger



大パルテール
Groses Parterre:幾何学的にレイアウトされた花壇

Schonbrunn Palace, Grosses Parterre.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

Schonbrunn Palace, Great Parterre.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H., - Alexander Eugen Koller



シェーンブルン宮殿には部屋が1441室あって、内装はロココ様式です。六歳のモーツァルトが女帝マリア・テレジアを前に御前演奏を披露したのが「鏡の間 Spiegelsaal」。「丸い中国の間 Chinesische Kabinette」ではマリア・テレジアが側近の宰相ヴェンツェル・アントン・フォン・カウニッツ=リートベルク伯爵 Wenzel Anton Graf von Kaunitz-Rietberg と重要な密談に臨んだと言われます。ナポレオンが会議を行ったのは「古い漆の間 Vieux Laque Zimmer」。「青い中国のサロン Blauer Chinesischer Salon」では、1918年=大正7年、皇帝カール一世が「国事不関与」の書類に署名したことで、ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国は、終焉を迎えました。紫檀の板張りでインドとペルシャの細密画に飾られた「百万の間 Millionenzimmer」は、最も美しいロココ様式の内装の一つ。「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された1814年(江戸時代 文化11年頃)と翌15年のウィーン会議で、全長40メートル、全幅10メートルの大広間「グロセ・ギャラリー Grose Galerie」が、舞踏会の会場になりました。



鏡の間
Spiegelsaal

Schlos Schonbrunn,  Spiegelsaal.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.

Schonbrunn Palace, Mirrors Room.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.





丸い中国の間
Chinesische Kabinette

Chinesische Rundkabinett, Schlos Schonbrunn1.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

Chinesische Rundkabinett, Schlos Schonbrunn2.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





古い漆の間
Vieux Laque Zimmer

Schonbrunn Palace, Vieux-Laque room.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





青い中国のサロン
Blauer Chinesischer Salon

Blauer Chinesischer Salon, Schloss Schoenbrunn.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Edgar Knaack





百万の間
Millionenzimmer

Millionen - zimmer, Schlos Schonbrunn.jpeg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





大広間グロセ・ギャラリー
Grose Galerie

Schlos Schonbrunn Grose Galerie.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Agentur Zolles

Schonbrunn Palace, Grose Galerie.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.





青の階段
Blaue Stiege

Schonbrunn Palace, Blue staircase.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Sascha Rieger





マリー・アントワネットの間
Marie Antoinette Zimmer

Schonbrunn Palace, Marie Antoinette room.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

Marie Antoinette Zimmer.jpg
[コピーライト] Schloss Schoenbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. Alexander Eugen Koller





タペストリー・サロン
Gobelinsalon

Gobelinsalon2.jpg
[コピーライト] Schloss Schoenbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.





皇帝フランツ・ヨゼフ書斎
Arbeitszimmer Franz Josephs

Schonbrunn Palace, Study of Emperor Franz Joseph.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





皇帝フランツ・ヨゼフ寝室
Schlafzimmer Franz Josephs

Schonbrunn Palace, Emperor Franz Joseph Bedroom.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





皇帝フランツ・ヨゼフ 皇后エリザベト 夫妻寝室
Gemeinsames Schlafzimmer

Schonbrunn Palace, Imperial Couple Bedroom.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





式典用大広間
Zeremoniensaal

Schonbrunn Palace, Hall of ceremonies.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller





シェーンブルン宮殿 宮廷劇場
Schlostheater Schonbrunn

Schlostheater Schonbrunn 1.jpg
[コピーライト] C. Cossa



女帝マリア・テレジア Maria Theresia の指示で、オーストリアとイタリアの建築家ニコラウス・フランツ・レオンハルト・フォン・パカッシ Nikolaus Franz Leonhard von Pacassi によって宮殿右棟に劇場が設けられ、1747年(江戸時代 延享4年頃)に開館。 20年後、宮廷付建築家のヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク Johann Ferdinand Hetzendorf von Hohenberg によって拡充されました。
この劇場では、 フランツ・ヨゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn や ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart らが作品を指揮し、数多くのクリストフ・ウィリバルト・グルック Christoph Willibald von Gluck のオペラが初演されています。
ナポレオン・ボナパルト Napoleon Bonaparte がシェーンブルン宮殿を本拠地としていた時期に改装工事が行われ、1809年(江戸時代 文化6年頃)、ジャン・ラシーヌ Jean Racines『フェドラ Phadra』のこけら落しにより再開されました。
オーストリア皇帝フェルディナント一世 Ferdinand I.の時代に全盛期を迎えています。
シェーンブルン宮殿宮廷劇場は、バロック様式の劇場として、帝政時代の宮廷劇場の様子を現在に伝える世界的にも貴重な劇場です。



Schlostheater Schonbrunn 2.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.





この宮殿は、歴史的重要性と比類無き建造物や内装や庭園などによって、ユネスコ世界文化遺産になっています。





Schonbrunn Palace, Round Pool.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Lois Lammerhuber



Schonbrunn Palace, Fair Spring.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller



秘密の花園
Geheimer Garten

Schonbrunn Palace, Privy Garden.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. ? Alexander Eugen Koller





シェーンブルン庭園 Schlospark Schonbrunn の建造物


グロリエッテ
Gloriette

Schonbrunn Palace, Gloriette.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

グロリエッテは、当初、栄誉神殿 ehrentempel として、宮廷付建築家のヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク Johann Ferdinand Hetzendorf von Hohenberg により、1775年(江戸時代 安永4年頃)に建造された初期歴史主義のコロネード colonnade 列柱回廊。コリンの戦いにおけるオーストリア軍の対プロイセン勝利と戦没者の慰霊のために建てられたギリシア建築です。内部は象牙色と褐色の化粧漆喰で、柱はドーリア式、天井にも装飾が施されています。



ネプチューンの噴水池
Neptunbrunnen

Schonbrunn Palace, Neptune fountain.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

1780年(江戸時代 安永9年頃)制作。宮廷建築家ヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク Johann Ferdinand Hetzendorf von Hohenberg(1732年~1816年)の設計だと言われています。彫刻は、ドイツの彫刻ヨハン・ヴィルヘルム・バイエル Johann Wilhelm Beyer(1725年~1796年)によるものです。



ローマの廃墟
Romische Ruinen

Schonbrunn Palace, Roman ruin.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

「ローマの廃墟」は、ヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク Johann Ferdinand Hetzendorf von Hohenberg(1732年~1816年)によって 1778年(江戸時代 安永7年頃)に造られた人工的なローマの廃墟です。老朽化した宮殿の石材が用いられたと伝えられています。イタリアの画家で建築家のジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ Giovanni Battista Piranesi(1720~1778)によるローマのウェスパシアヌスとティトゥス神殿を参考にして造られ、当初はカルタゴの廃墟と呼ばれていました。 2003年=平成15年に修復作業が行われています。 全長35.4メートル、全幅20.35メートル、全高15.75メートル。 柱にはコリント式の装飾が見られます。 正面アーチの下にヘラクレス像が、手前の島にはモルダウ川とエルベ川を象徴する像があります。



オベリスクブルンネン~オベリスクの噴水
Obeliskbrunnen

Schonbrunn Palace, Obelisk fountain.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

オベリスクブルンネン Obeliskbrunnen は、1777年(江戸時代 安永6年頃)にヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルク Johann Ferdinand Hetzendorf von Hohenberg(1732年~1816年)によって建てられました。彫刻は、ドイツの彫刻ヨハン・ヴィルヘルム・バイエル Johann Wilhelm Beyer(1725年~1796年)の設計で、ドイツ・オーストリアの彫刻家で建築家のベネディクト・ヘンリツィ Benedict Henrici(1749年~1799年)によるものです。全高31.2メートル。



ボスケ
Bosquet

bosquet Facher, Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Herzi Pinki

ボスケ Bosquet とは、(庭園の)茂み, 木立、植込みの意。西洋式庭園の作庭技法の一つであるフランス平面幾何学式庭園では、骨格を造って平面の意匠を担う樹林帯のことを指し、このボスケによって両側に並木のある見通しが強調されます。



シェーンブルンの迷路
Schonbrunner Irrgarten

Irrgarten,  Schlos Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Julius Silver

シェーンブルン宮殿の迷路庭園は、1698年(江戸時代 元禄11年頃)から1740年(江戸時代 元文5年頃)にかけて作られ、異なった形の六つの迷路から成り立っていました。全長三キロメートルもあったそうです。その後、簡素化され、1892年=明治25年には無くなってしまいましたが、1998年=平成10年の秋、当時の設計を基に再建されています。





パルメンハウス
Palmenhaus

palmenhaus, Schlos Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.

Palmenhaus Innen, Schlos Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Schlos Schonbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H. - Alexander Eugen Koller

シェーンブルン宮殿の庭園にあるパルメンハウス Palmenhaus は、ヨーロッパ大陸で最大の温室。地中海、熱帯、亜熱帯の植物が数多く収集され、気候帯によって三つの展示館 pavilion に分れています。
パルメンハウスは、1882年=明治15年、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世 Franz JosephⅠ.の命で、オーストリアの建築家フランツ・クサフェル・ゼーゲンシュミット Franz Xaver Segenschmid(1839年~1888年)の設計により建てられました。全長111メートル、建築面積二千五百平方メートル、硝子屋根延べ四千九百平方メートル、四万五千枚の硝子板が使われています。





シェーンブルン動物園
Tiergarten Schonbrunn

Luftbild Kaiserpavillon, Tiergarten Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Tiergarten Schonbrunn

Kaiserpavillon, Tiergarten Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Tiergarten Schonbrunn

Kaiserpavillon Innen,  Tiergarten  Schonbrunn.jpg
[コピーライト] Tiergarten Schonbrunn - Norbert Potensky

現存する世界最古のシェーンブルン動物園は、ヨーロッパ最高の動物園に五回も選ばれています。
1752年(江戸時代 宝暦2年頃)、神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世 FranzⅠ. が、シェーンブルン宮殿の隣に帝国小動物園 Kaiser Menagerie として造らせたものです。 動物の飼育場は、皇帝の休憩所 カイザー・パヴィリオン Kaiser Pavillion を中心にして、放射線状に十三箇所あります。
カイザー・パヴィリオン Kaiser Pavillionは、1759年(江戸時代 宝暦9年頃)に建てられました。フランツ一世とマリア・テレジア皇帝夫妻が、ここで動物を見ながら朝食を楽しんだと言われています。
カイザー・パヴィリオン Kaiser Pavillion と 帝国小動物園 Kaiser Menagerieを建設したのは、ロートリンゲンの建築家ジャン・ニコラ・ジャド・ド・ヴィル=イッセイ Jean Nicolas Jadot de Ville-Issey (1710年~1761年)です。





帝国馬車博物館
Kaiserliche Wagenburg

Kaiserliche Wagenburg Schlos Schonbrunn.jpg

Kaiserliche Wagenburg Innen Schloss Schonbrunn 1.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Kaiserliche Wagenburg Innen Schloss Schonbrunn 2.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

シェーンブルン庭園の一角にある帝国馬車博物館 Kaiserliche Wagenburg カイゼリッヒェ・ヴァーゲンブルクには、ハプスブルク家の人々が宮廷で使っていた多種多様な馬車や衣装が展示されています。
特に目を引く「宮廷用四輪馬車 インペリアル・コーチ Imperialwagen」は、1735年(江戸時代 享保20年)~1740年(江戸時代 元文5年)頃、神聖ローマ皇帝カール六世 Karl Ⅵ.のために制作されたと考えられています。印象深いのは、黒い霊柩馬車 Leichenwagen で、皇妃エリザベト Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach(1898年=明治31年)、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世 Franz JosephⅠ(1916年=大正5年)、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇妃ツィタ Zita von Bourbon-Parma(1989年=平成元年)の葬儀に使われました。唯一現存する1914年=大正3年製の宮廷用自動車も見ることができます。



帝国馬車
Imperialwagen

Imperialwagen, Kaiserliche Wagenburg.jpeg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Imperialwagen, Kaiserliche Wagenburg2.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Imperialwagen, Kaiserliche Wagenburg3.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



ロココ・ベルリン馬車(馬具付)
プリンツ祝祭馬車
Rokoko-Berline mit Prunkgeschir
Prinzengalawagen

Prachtvolle Rokoko Berline mit Prunkgeschirr.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Rokoko Berline, Prinzengalawagen.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



ナポレオン一世ミラノ戴冠式馬車
Mailander Kronungswagen

Mailander Kronungswagen Kaiser Napoleons I..jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



霊柩馬車
Leichenwagen

Leichenwagen Kaiserin Elisabeths, Kaiserliche Wagenburg.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



法廷の正式な喪服~礼装四輪大型馬車
哀しみの追悼馬車
Hoftrauer-Galawagen
Trauer-Huldigungswagen

Hoftrauer-Galawagen, Trauer- Huldigungswagen.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



皇帝フランツ一世ピルシュ
ピルシュ:軽い幌で半分覆われた馬車
Pirutsche von Kaiser Franz I.

Pirutsche von Kaiser Franz I..jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



マリア・テレジア金色カルーセル馬車
Maria Theresias Karussellwagen

Maria Theresias Karussellwagen.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



ウィーン王宮法廷ベルリン馬車
Berline des Wiener Hofes Wien

Berline des Wiener Hofes Wien, um 1814.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



khm-museumsverband 1.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

khm-museumsverband 2.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



khm-museumsverband 3.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband



1914年=大正3年製 宮廷用自動車
Kaiserwagen 1914

Graf & Stift 40~45 1914 Kaiserwagen2.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Graf & Stift 40~45 1914 Kaiserwagen3.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband

Graf & Stift 40~45 1914 Kaiserwagen.jpg
[コピーライト] KHM-Museumsverband





Kaiserliche Wagenburg Schloss Schonbrunn.jpg





送っていただいた画像データをもとに、資料を集めて記事をまとめようと思ったのですが、終ってみれば何のことはない。永見先生に質問して教えていただいたことが、この記事の全てと言っても過言ではありません。何にでも通暁してみえると言うか、芸術文化のあらゆる分野において造詣が深くていらっしゃる。

驚くのを通り越して、怖いくらいです。歴史的な洞察も凄いし。いくら20代と30代の殆どを欧米で過ごされたと言っても…





Kaiserliches Lustschloss Schonbrunn, Hofseite Canaletto.jpg
「皇帝切望の宮殿シェーンブルン~中庭」
作者:カナレット~ベルナルド・ベロット(1758年:江戸時代 宝暦8年頃)
Kaiserliches Lustschloss Schonbrunn, Hofseite
Canaletto - Bernardo Bellotto, 1758





tak schloss schonbrunn 2.JPG
ベルヴェデーレ宮殿からシェーンブルン宮殿を眺める





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ベルヴェデーレ宮殿 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Schloss Belvedere [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿 Schloss Belvedere を訪問されました。



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ベルヴェデーレ上宮



ウィーンのベルヴェデーレ宮殿は、18世紀前半にオスマン・トルコ軍との戦いでウィーンを救った英雄サヴォイア公プリンツ・オイゲン Eugen Franz von Savoyen-Carignan の「夏の離宮」、つまり避暑地の別荘として、ハプスブルク家に仕えていた当時を代表する建築家ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント Johann Lukas von Hildebrandt の設計によって建てられた、バロック様式の宮殿です。

オイゲンは、フランス生れの貴族で、サヴォイア家の血を引く男系男子ゆえに、プリンツ(公子)の称号で呼ばれました。

「ベルヴェデーレ Belvedere」はイタリア語で「麗しき眺め」の意で、世界遺産にも登録されている歴史的建造物です。

ベルヴェデーレ宮殿には、迎賓館として使われた上宮 Oberes Belvedere と実際にオイゲン公が居住した下宮 Unteres Belvedere の二つの建物があり、1714年(江戸時代 正徳四年頃)から1716年(江戸時代 享保元年頃)にかけて下宮が、1720年(江戸時代 享保五年頃)から1723年(江戸時代 享保八年頃)にかけて上宮が建設されました。オプリンツ・オイゲンは相続すべき子を遺さず、没後の1752年(江戸時代 宝暦二年頃)、ハプスブルク家のマリア・テレジアの手に渡りました。

現在は、美術館 オーストリア・ギャラリー・ベルヴェデーレ Österreichische Galerie Belvedere として、中世から現代にいたるオーストリアの美術品を展示しています。
特に上宮には、世界最大のグスタフ・クリムト Gustav Klimt のコレクションがあります。その中には「接吻」や「ユーディト」も含まれ、エゴン・シーレ Egon Schiele やオスカー・ココシュカ Oskar Kokoschka の代表作なども収蔵されています。



unteres belvedere.jpg
ベルヴェデーレ下宮





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ベルヴェデーレ宮殿の敷地内に、作曲家アントン・ブルックナーが晩年を過ごした邸宅があります。1895年=明治28年7月、フランツ・ヨーゼフ皇帝2世により、宮殿の管理人用宿舎が無償貸与されました。足が弱ってきたブルックナーのために平屋が用意されたといいます。この家で、交響曲第9番の作曲に取組みましたが、完成を見ることなく、1896年=明治29年10月11日、永眠しました。享年73歳。



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ベルベデーレ宮殿に収蔵されている美術品の中で、クリムト、シーレ、ココシュカを別にして、よく知られている作品から三点を挙げてみましょう。

もちろん永見先生のチョイスですよ。私なんか、美術に疎い上に、ドイツ語はおろか、英語だってチンプンカンプンなんですから…





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Napoleon am Großen St. Bernhard
Jacques Louis David

ジャック・ルイ・ダヴィット「グラン・サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」



am fronleichnamsmorgen.jpg
Am Fronleichnamsmorgen
Ferdinand Georg Waldmüller

フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「聖体祭の朝」



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Die bösen Mütter
Giovanni Segantini

ジョヴァンニ・セガンティーニ「悪しき母親」





ベルベデーレ宮殿に収蔵されているグスタフ・クリムト作品の一部



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Der Kuss (Liebespaar)
接吻(恋人同士)



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JudithⅠ
ユディトⅠ



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Freundinnen (Wasserschlangen I)
女友達(水蛇Ⅰ)



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Adam und Eva
アダムとイヴ



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Die Braut
花嫁



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Mutter mit zwei Kindern (Familie)
母と二人の子(家族)



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Sonja Knips
ソニア・クニプス



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Fritza Riedler
フリッツァ・リードラー



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Blühender Mohn
花開くケシ



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Bauerngarten mit Sonnenblumen
ヒマワリの咲くコテージ・ガーデン



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Sonnenblume
ヒマワリ



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Schloss Kammer am Attersee III
アッター湖畔のカンマ-城Ⅲ



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Bauernhaus in Buchberg (Oberösterreichisches Bauernhaus)
ブーフベルクの農家(上オーストリア州の農家)



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Allee zum Schloss Kammer
カンマ-城への並木道



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Forsthaus in Weißenbach I (Landhaus am Attersee)
ヴァイセンバッハの森の家Ⅰ(アッター湖畔のカントリー・ハウス)





ベルベデーレ宮殿に収蔵されているエゴン・シーレ作品の一部



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Tod und Mädchen
死と乙女



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Die Umarmung
抱擁



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Kauerndes Menschenpaar (Die Familie)
蹲る人間の夫婦(家族)



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Mutter mit zwei Kindern III
母と二人の子供Ⅲ



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Bildnis Dr. Franz Martin Haberditzl
フランツ・マルティン・ハベルディッツル博士の肖像



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Dr. Hugo Koller
ヒューゴ・コラー博士



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Bildnis der Frau des Künstlers, Edith Schiele
芸術家の妻の肖像 エディト・シーレ



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Reinerbub (Bildnis Herbert Reiner)
ライナー君(ヘルベルト・ライナーの肖像)



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Eduard Kosmack
エドゥアルト・コスマック



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Vier Bäume
四本の木



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Hauswand (Fenster)
家の壁(窓)



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Sonnenblumen I
ひまわりⅠ





ベルベデーレ宮殿に収蔵されているオスカー・ココシュカ作品の一部



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Der Maler Carl Moll
画家カール・モール



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Romana Kokoschka, die Mutter des Künstlers
ロマナ・ココシュカ、芸術家の母



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Der Rentmeister
管財人



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Mutter und Kind, einander umarmend
母と子、互いに抱きしめて



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Herodot
ヘロドトス



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Heimsuchung
天罰



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Tigerlöwe
タイガーライオン





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グスタフ・マーラー 墓参 ~ 永見隆幸ヨーロッパを行く Gustav Mahler Grinzinger Friedhof [永見隆幸 海外]



永見隆幸先生が、ウィーン Wien のグリンツィング墓地 Grinzinger Friedhof にあるグスタフ・マーラーの墓を訪ねられました。



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生前、グスタフ・マーラーは、「私の墓を訪ねてくれる程の人なら、私が何者かを知っている筈です。ほかの人に用はない。」と述べ、飾りのない墓石に名前のみ刻んで欲しいと依頼したそうです。





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グスタフ・マーラー
Gustav Mahler
作曲家 指揮者

1860年(江戸時代 万延元年頃)、7月7日、オーストリア帝国ボヘミア・イーグラウ近郊のカリシュト(現在のチェコのカリシュチェ Kaliště)において、ユダヤの家庭に生れる。
1875年、15歳でウィーン楽友協会音楽院(ウィーン国立音楽大学)に入学。
1878年、ウィーン楽友協会音楽院を卒業。
1881年、ライバッハ市立歌劇場指揮者に就任。
1883年、オルミュッツ帝国歌劇場指揮者に就任。カッセル王立劇場の楽長とカルル劇場合唱団の指揮者を兼務する。
1884年、ハンス・フォン・ビューローに弟子入りを希望するも叶わず。
1885年、プラハのドイツ劇場の次席指揮者に就任する。
1886年、ライプツィヒ歌劇場の次席指揮者に就任する。
1888年、ブダペスト王立歌劇場の芸術監督に就任する。
1891年、ハンブルク市立歌劇場第一楽長に就任。
1897年5月にウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)第一楽長、7月に次席監督、10月には芸術監督に就任する。
1898年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任する。
1901年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を辞任する。
1903年、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世から第三等鉄十字勲章を授与される。
1904年、シェーンベルクとツェムリンスキーがウィーンに設立した「創造的音楽家協会」の名誉会長に就任する。
1907年、心臓病と診断される。楽団員との軋轢とユダヤ排斥運動の中でウィーン国立歌劇場芸術監督を辞任。メトロポリタン歌劇場の指揮者に就任する。
1908年、メトロポリタン歌劇場の指揮者を辞任する。
1909年、ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者に就任する。
1911年=明治44年2月、アメリカで感染性心内膜炎と診断され、4月にパリへ治療に赴く。5月にウィーンに戻るも、5月18日、敗血症により永眠。グリンツィング墓地に埋葬された。享年50歳



マーラーの代表作:

交響曲第1番ニ長調(1884~1888)
交響曲第2番ハ短調(1888~1894)
交響曲第3番ニ短調(1893~1896)
交響曲第4番ト長調(1899~1900)
交響曲第5番嬰ハ短調(1901~1902)
交響曲第6番イ短調(1903~1904)
交響曲第7番ホ短調(1904~1905)
交響曲第8番変ホ長調(1906)
交響曲『大地の歌』イ短調(1908)
交響曲第9番ニ長調(1909)
交響曲第10番嬰ヘ長調(1910)
カンタータ嘆きの歌 Das klagende Lied
若き日の歌 Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit
さすらう若人の歌 Lieder eines fahrenden Gesellen
少年の魔法の角笛 Des Knaben Wunderhorn
リュッケルトの詩による5つの歌曲 Rückert-Lieder
亡き子を偲ぶ歌 Kindertotenlieder
ほか





孤高の音楽家マーラーは、「私は三重の意味で無国籍者だった。オーストリアではボヘミア生れ、ドイツではオーストリア人、世界ではユダヤと、いずこにても歓迎された事が無かった。」と語っています。





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