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熱田神宮 永見隆幸 参拝 令和五年一月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、熱田神宮にて御垣内 みかきうち 参拝をされました。

御垣内参拝は、拝殿内側 御神域にての参拝です。



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熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ 草薙神剣 くさなぎのみつるぎ の鎮座に始まるのだとか。第十二代 景行天皇 四十三年、日本武尊 やまとたけるのみこと は、氷上姉子神社 ひかみあねごじんじゃ の辺りで 尊の后 きさき になった宮簀媛命 みやすひめのみこと の許に神剣を留め置いたまま、鈴鹿山脈の東麓 とうろく 伊勢の能褒野 のぼの にてお隠れになりました。そして、宮簀媛命 みやすひめのみこと が神剣を熱田の地に祀られたそうです。


主祭神の熱田大神は、三種の神器の一つである草薙神剣 くさなぎのみつるぎ を 御霊代 みたましろ 御神体とされる天照大神のことです。


五神様 ごしんさま と称される相殿神 あいどのしん は、天照大神 あまてらすおおかみ、素盞嗚尊 すさのおのみこと、日本武尊 やまとたけるのみこと、宮簀媛命 みやすひめのみこと、建稲種命 たけいなだねのみこと


およそ六万坪の敷地を有す熱田神宮は、延喜式名神大社勅祭社に列せられています。式内社、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。境内境外には、本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社が祀られています。


近年では、明治大帝、大正天皇、昭和の帝、上皇陛下、今上陛下が、熱田神宮へ行幸あそばされました。


国宝の短刀「銘 来国俊 らいくにとし」や 国登録有形文化財「龍影閣 りょうえいかく」「又兵衛 またべえ」をはじめ、数え切れぬ程の文化財を所有しているそうです。龍影閣は、明治大帝が愛知県に行幸された折に造られたもので、二階の玉座は当時のまま保存されています。


これらは全て永見先生の受売りです。
言うまでもありませんが、先生は芸術文化全体に極めて造詣が深くいらっしゃいます。





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熱田神宮会館の梅は丁度見頃。


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桜もほころんでいます。





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熱田神宮 東門 大鳥居





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参道にて粛々と歩を進められる永見先生


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手水舎 てみずしゃ/ちょうずや/てみずや

永見先生は「ちょうずや」と読む方を好まれます。


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永見先生がお召の チェスターフィールド・コート Chesterfield coat も コートの下の モーニング Morning dress も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、最高級 英国生地を厳選して、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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手水舎にて身を清められる永見先生


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大楠

御神木
伝 弘法大師 御手植
保存樹 熱田四号 指定
樹齢 千年以上
樹高 20メートル 直径7.7メートル





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愈々 いよいよ 御垣内 みかきうち 参拝





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御垣内 拝殿内側 御神域にお入りになる永見先生


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玉串奉奠 たまぐしほうてん





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再拝 二拍手 一拝 の参拝作法





御供物の数々



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熱田大神宮 御神札





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御供物 おさがり





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神楽殿


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西楽所 にしがくしょ

切妻造 きりづまづくり 平入 ひらいり 檜皮葺 ひわだぶき


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貞享三年=1686年 江戸幕府 五代征夷大将軍 徳川綱吉により再建

幕府御用 大工頭 岡部又右衛門 施工


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空襲により多くの社殿が焼失した中で西楽所は戦災を免れた数少ない建物の一つ

祭事は 五月一日の舞楽神事と 五月八日の豊年祭


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熱田神宮の西楽所は龍影閣と並んで永見先生のお好きな建造物


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永見隆幸 熱田神宮 参拝 
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味満ん 河豚料理 永見隆幸 再訪 東京 六本木 令和五年一月 [永見隆幸 飲食店]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、東京の六本木にある河豚料理「味満ん あじまん」を再訪されました。



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永見隆幸先生(右)味満ん店主 松原貞夫さん(左)


味満ん大将 松原貞夫さんの目利きの確かさには定評があります。用いるのは天然の虎河豚 とらふぐ のみ。主に下関のものを扱いますが、日向灘や豊後水道、シーズンによっては日本海側のものなど、その日の最高の河豚を仕入るのだそう。産地直送は、玉石混交で意外にダメ。直接確認することが大切なのだとか。
味満んの刺身は厚めに引いた牡丹造 ぼたんづくり。食べた時に刺身と自家製のぽん酢の味が口の中で同時に無くなる厚さを追求した結果だそうです。
永見先生が大将に直接 「刺身が抜群に美味しかった」とお伝えになると、松原貞夫さんは「自分には腕がないから薄く切れないんですよ」と返されました。
粋な返答に永見先生は甚 いた く感じられた御様子。その場で大将のファンになってしまったようです。





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味満んは東京を代表する河豚料理の老舗。紹介制です。食通の間では、味満んの河豚は別格、最高峰の河豚料理店、日本一の河豚専門店などと高い評価を得ています。家族経営で丁寧な調理と接客が評判、常連客の多いことでも知られるミシュラン星付の名店です。





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永見先生がお食事を召上る味満で一番小さな個室





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入口に置かれた書家の 三松菴 金井健翁 かないけんおう の色紙

武蔵野の 桔梗 苅萱 かるかや 女郎花 おみなえし 招く尾花に浮々 うかうか と 月も心で品定め 何れに宿らん露の上

こういう端唄の類までご存知の永見先生、守備範囲の広さも尋常ではありません。ご本人は、知らない事の方が圧倒的に多いと、謙虚に仰 おっしゃ いますが、永見先生は、あらゆる芸術文化について造詣が深くていらっしゃいます。





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味満ん名物の口取「白魚と長芋」





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河豚煮凝 にこごり





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御機嫌麗しい永見先生





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鉄刺 てっさ 河豚刺身 これで一人前!





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巨大な白子 絶品!





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河豚塩焼





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河豚唐揚二切 凄いヴォリューム!


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味も桁外れに美味しいそうです。





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味満ん自家製ぽん酢





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鉄ちり 河豚鍋





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河豚のしゃぶしゃぶ


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もう一枚


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河豚粗





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水物 苺





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永見先生に「味満ん」について伺いました。


最高級の天然虎河豚 とらふぐ という極上の食材を用い、素材の旨さを最大限に引出していると思います。日本全国の河豚料理店を制覇した訳ではありませんが、河豚料理最高峰の一角を占める事は間違いないでしょう。家族経営の丁寧で気さくなホスピタリティにも大いに好感が持てます。





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味満ん店主 松原貞夫さん(左)永見隆幸先生(右)





ご贔屓様のお招きや舞台の打合せなど 美味しいものを召上る機会の多い永見先生…

高級な料理しか召上らないかと思いきや、意外や意外、何でも口にされます。



永見先生曰 いわ く「人間も食物連鎖の中にいて、動物や植物の命をいただいて生きているのですから、アレルギーや病気でない限り、何でも感謝して有難く口に運ぶべきだと思います。腕利きの職人による高級食材を用いた料理も、家庭料理も、B級グルメも、楽屋弁当も、それぞれに異なる美味しさがあって、自分は、いずれも楽しんで食べています。至高の料理を追求することも大きな楽しみですが、だからと言って、食の多様性に背を向けるのは、豊かな食生活を自ら否定するようなものではないでしょうか。」



本質的な所で多様性の意義をご理解していらっしゃいますね。

世界各地で研鑽を積んで来られた方は 流石に仰 おっしゃ ることが違います!





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この日のご宿泊はモチロン定宿の帝国ホテル





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帝国ホテルのホスピタリティは比類なしと永見先生は仰 おっしゃ います。





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常々、雨露さえ凌ぐ事が出来れば、泊るのは、どこでも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ います。
しかし、先生を招聘 しょうへい する側の方々が、そういう訳には行かないと、然るべき宿を探してしまうのだとか。





永見隆幸 味満ん 訪問
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河豚料理 東京 六本木


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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和五年一月 その弐 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや を再訪されました。





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永見隆幸先生(右)柊家六代目女将 西村明美さん(左)柊家 玄関にて





永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、日本と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮し以外の選択肢が無いのかもしれません。


言うまでもありませんが、多方面の芸術文化に造詣が深い永見先生のお話を基に、この記事を纏めました。


京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊ったそうです。





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次の間の化粧室


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部屋の入口 次の間





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本間





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床の間の前に着座される永見先生





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付書院


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硯箱





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欄間にも趣があると永見先生





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漆塗りの風呂場 ~ ステンドグラスも楽しめます。

浴槽は高野槇





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二階の階段前





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お出ましになる永見先生 柊家 玄関にて


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柊家の玄関には、重野成斎 しげの せいさい の書額「來者如歸 らいしゃにょき」が掛けられています。


きた る者 帰るが如し。
柊家の三代目が揮毫して戴いたのだとか。柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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永見先生に伺ったところ、これは餅花 もちばな という正月や小正月に飾る縁起物だそうです。白膠木 ぬるで えのき 柳などに小さく切った紅白の餅や団子を挿すのだとか。その年の、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などを祈念して 拵 こしら えます。左義長 さぎちょう や どんど焼きと称される小正月の火祭りに焼いて食べると無病息災でいられるという言伝えもあるそうです。


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往時は入口から玄関まで人力車も出入していたので広々とした間口





柊家の本館は木造二階建の数寄屋造で、新館は現代的な和風の鉄筋三階建。

塀の周囲には駒寄せの柵が廻らされています。

京都 老舗旅館御三家 筆頭の呼声も高い柊家。

柊家は、昔、柊屋であったらしいという説もありますが、今は柊家。「屋」ではなく「家」です。

京野菜など四季折々の新鮮な旬の素材を厳選、腕によりをかけた京懐石も味わうことが出来ます。





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柊家の看板をご覧になる永見先生


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文政元年(第百二十代 仁孝天皇/江戸幕府第十一代征夷大将軍 徳川家斉)=1818年、福井から京に上った初代庄五郎が庄屋として京都に居を構え、運送業や鯖街道を下って入って来る魚を扱う海産物商を始めたのが柊家の始まりだそうです。

左京区にあって正式には賀茂御祖神社と称される世界遺産の下鴨神社、その境内にある比良木神社が柊家という屋号の由来です。邪気を祓う柊の木が自生する比良木神社に、初代庄五郎が深く帰依したのだとか。

二代目庄五郎を名乗った定次郎は、柊家政貫と号すほど、本業よりも刀の鍔 つば 目貫 めぬき の技に長じていました。街道沿いに店があって仲間の商人の求めに応じて宿も営んでいたので、文久元年(第百二十一代 孝明天皇/江戸幕府第十四代征夷大将軍 徳川家茂)=1864年、東海道の終点に位置する三条の地で旅籠を本業にしました。幕末には維新の志士が泊り、明治になってからは各大臣が定宿にしていたそうです。

三代目庄五郎の頃になると、明治政府の要人は言うまでもなく、皇族、公家、華族、文人墨客にも愛されるようになりました。大正天皇の即位式が京都で行われた折には、大臣が 挙 こぞ って柊家を利用したそうです。第一次世界大戦中には、東郷平八郎元帥をはじめ、軍人の定宿としても繁盛していたのだとか。

柊家の宿泊客には、政財界はもとより、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、正岡子規、宇野千代、林芙美子ら、各界の著名人が名を連ねています。特に、川端康成と三島由紀夫は、頻繁に利用していたらしく、柊家が別宅と言われるほどでした。海外からの来訪者も、各国の王族、政財界の重鎮、チャーリー・チャップリンや アラン・ドロンら、枚挙に暇 いとま がありません。





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ヴィキューナ Vicuna のオゥヴァー・コートも三つ揃も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。
ヴィキューナ Vicuna の ロング・コートとしては世界で一番丈の長いものかも知れないと、ある服飾専門家が指摘していました。永見先生の御意向で、ポケットをお付けにならず、ゆったりとしたカフもコートを一段と風格あるものしています。





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柊家の貸切風呂 浴室が二つあります。


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源定信『誠為寶』 

源定信とは、幕府世臣白河城主従四位下行左近衛権少将兼越中守源朝臣定信、即ち松平定信のこと。松平定信は、二十二、三歳の頃、田安家の家臣であった山本又三郎に狩野派の絵を学んだと伝えられる。
松平定信は、宝暦八年十二月二十七日=1759年1月25日、御三卿の田安徳川家の初代当主 徳川宗武の七男として江戸田安邸にて生れる。江戸時代後期の将軍補佐兼老中。久松松平定綱家第九代当主。江戸幕府第八代将軍 徳川吉宗の孫。幼名は賢丸、字は貞卿、号は旭峯、楽翁、風月翁、花月翁など。
安永三年=1774年、白河藩松平定邦の養子になる。安永四年閏十二月、従五位下上総介。天明三年=1783年 十月、陸奥白河十一万石 襲封、藩主となる。従四位下越中守。天明の大飢饉を切抜け、藩治の実効をあげて諸大名の間に名声が高まる。天明七年=1787年 六月、御三家一門、将軍家斉の実父である一橋治済 ひとつばし はるさだ などの推挙により老中首座になり、侍従に任じ、寛政の改革を推進。
寛政五年=1793年 七月、老中ならびに将軍補佐役を辞職、左近衛権少将 さこのえごんのしょうしょう に昇任し、家格も溜間詰 たまりのまづめ に昇格。再び白河藩政に心を砕いた。
幼少より大塚孝綽 たかすえ に師事、十二歳で己の信条を記した『自教鑑 じきょうかがみ』を著したのをはじめ、二百部にも及ぶ著作を残した。誕生から老中辞職までの自叙伝『宇下人言 うげのひとこと』、政 まつりごと の基本を説いた『国本論』、雅文随筆『花月草紙』、自選和歌集『三草集』、古書画や古器物を摸写編集した『集古十種』などが著名。
近代日本経済の父と謳 うた われる渋沢栄一 しぶさわえいいち が、松平定信を厚く敬愛していた事もよく知られている。
文政十二年=1829年 五月十三日逝去。享年七十二歳。守国院殿崇運社天誉保徳楽翁大居士。墓所は江戸深川の霊巌寺。後に伊勢 桑名の照源寺に装束と歯骨を斂める。辞世「今更に 何か恨みむ 憂きことも 楽しきことも 見果てつる身は」。





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永見先生に風呂場の案内をしてくださった柊家の男衆





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ピカピカ ツルツルではなく、こういう古色を帯びた質感にこそ趣があると仰 おっしゃ る永見先生。


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天井の一枚板


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浴室内の壁が大理石で浴槽は檜。明治時代末期に制作されたステンドグラス作品『大原女の図』が飾られています。





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日本初のステンドグラス作家と謳 うた われる 小川三知 おがわ さんち の作品『大原女の図』


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小川三知 おがわ さんち
日本初のステンドグラス作家。

慶応三年五月二十九日=1867年7月1日、静岡藩医 小川清斎の次男として生れる。
慶応三年生れには、夏目漱石、森鴎外、正岡子規らがいる。
小川三知は、医者になるべく上京し、東京大学の前身である第一高等中学校に入学。しかし、絵画への思いを断ち切れず、東京美術学校が設立されると、明治二十三年=1890年、次弟の剣三郎に家督を譲り、一高を中途退学して東京藝術大学の前身である東京美術学校日本画科に入学、橋本雅邦に学んだ。
小川三知の東京美術学校同窓生には、横山大観、菱田春草、下村観山、板谷波山らがいる。
明治三十三年=1900年、単身アメリカへ渡ってシカゴ美術院に入学、日本画教師をしながら装飾美術科で学ぶ。
明治三十四年=1903年、農商務省実業研究生となり、4年間、輸出漆器のデザインの研究を委嘱される。
明治三十七年=1904年、米国セントルイスの万国博覧会にて、日本政府の日本工芸館の仕事に従事。
明治三十八年=1905年、アーティスティック・グラス・ペインティング社に見習工として入社、ステンドグラス制作の修業を開始する。その後、ディトンのディトン美術硝子工場、オハイオ州コロンバスのフォン・ゲレヒテン美術硝子工場、ニューヨークのピッツバーグ板硝子会社、ゴーラム製作会社、ピッツバーグのウィレットスタジオ、セントルイスのカンジニール会社などでステンドグラス製作技術を習得した。
明治四十四年年十一月三日、満を持して帰国。依頼された慶応大学図書館の大ステンドグラス製作のため、同年十一月二十三日、代々木山谷にアトリエを構える。
大正二年=1913年 二月、板谷波山に誘われてアトリエを田端に移転、その工房は「小川スツヂオ」と呼ばれた。小川三知は、この小川スツヂオから次々と名作を世に送りだして行く。
昭和三年=1928年10月24日逝去。享年六十三歳。





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ステンドグラスと対をなすように、金彩を用いた魚の陶板画、四方連作皿三枚が配 あしら われています。これは、昭和三十八年に、名工 六世 清水六兵衛 きよみずろくべえ が、四代目柊家主人の西村善三さんに寄贈した陶板画だそうです。





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こちらは屋形船のような漆塗の浴室


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質量ともに定評のある柊家の朝食





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紅茶を淹れていただいて大層御機嫌麗しい永見先生


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柊家 玄関にて 永見隆幸先生(右)柊家六代目女将 西村明美さん(左)





永見先生は、「柊家の『古色 こしょく』とは、『使い込まれた質感の輝き』なのであって、『手垢 てあか に 塗 まみ れた不潔さ』などとは全く無縁です。自分は、それをレトロ感覚とは解さず、ノスタルジックにも捉えません。柊家は、過去の遺物では断じて無く、今も息づく日本の文化です。柊家の『古色 こしょく』は、歴史と伝統が放つ艶消の光。そう考えるのです。」と仰 おっしゃ います。


そして、「川端康成の『格はあっても物々しくない』という言葉が柊家の本質を表して過不足ない」と付加えられました。





鋭い感性と卓越した審美眼をお持ちの永見先生でなければ理解出来ない柊家の世界があるに違いありません。
及ばずながら、少しでも先生に近づく事が出来るように精進しようと、改めて決意しました。





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柊家にまつわるエピソードを色々教えてくださる柊家六代目女将 西村明美さん(左)


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熱心に耳を傾ける永見先生(右)





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雨露さえ凌ぐ事が出来れば、泊るのは、どこでも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ います。
しかし、先生を招聘 しょうへい する側の方々が、そういう訳には行かないと、然るべき宿を探してしまうのだとか。





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宮脇賣扇庵 京都本店 永見隆幸 再訪 京扇子 老舗 京都 六角富小路 令和五年一月 [永見隆幸 扇子]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都の六角富小路にある京扇子の老舗「宮脇賣扇庵 みやわき ばいせんあん」を再訪されました。



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宮脇賣扇庵は、宮内省御用達の名店としても知られています。
令和五年=2023年を以て創業二百周年を迎える京扇子の老舗です。


京扇子と呼ぶことが出来る品は、京都扇子団扇商工協同組合の組合員が、扇面、扇骨、仕上加工まで国内生産したものだけなのだとか。





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宮脇賣扇庵の玄関に佇む永見隆幸先生





永見先生から教えて戴いた事を基にこの記事を纏めました。
芸術文化に造詣の深い事は言うまでもなく、先生は本当に何でもよくご存じで、尊敬措く能わざる芸術家でいらっしゃいます。





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宮脇賣扇庵の創業は文政六年=1823年(江戸時代:第百二十代 仁孝天皇/第十一代将軍 徳川家斉)。美濃国出身の初代が、近江屋新兵衛の株を買受けて創業しました。以来、現在の場所から殆ど動いていません。蛤御門の変で全焼し、少し西に移りましたが、同じ大黒町にあります。
現在の屋号が用いられるようになったのは、書画を嗜み文人墨客とも深い交流があった 三代目 新兵衛 の時だそうです。明治二十年=1887年、日本画家の富岡鉄斎によって、賣扇桜という京の銘木に因んで名付けられました。 商標の 美也古扇 みやこせん は 冷泉為紀 れいぜい ためもと の筆によります。





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富岡鉄斎の書額





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宮脇賣扇庵 京都本店 一階


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仁風在握:仁徳による教化は掌中にある。


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階段室へ





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中二階 和室の入口


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二階 展示室


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富岡鉄斎の書額





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扇子の親骨





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富岡鉄斎の書額





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展示室では旧店舗から移設された欄間やランプなどの歴史を物語る様々の調度も楽しめます。





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扇子の博物館とも称すべき宮脇賣扇庵作品展示室入口の左右に掛けられているのは 行啓 ぎょうけい あそばされた 当時の美智子皇后陛下と清子内親王殿下(現在の 太上皇后陛下と伊勢神宮祭主 黒田清子様)の御写真


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宮脇賣扇庵 京都本店 二階


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林美木子作品



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天井画扇面散 桐扇箱 小





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菊置上 御所手箱





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錦花鳥図 扇子


林美木子 はやし みきこ
有職 ゆうそく 彩色 さいしき 絵師

1966年 京都生れ(昭和四十一年)
1986年 京都芸術短期大学日本画コース卒業(昭和六十一年)
1994年 初個展(平成六年)
 爾来 じらい 数多 あまた の展覧会に出品
2012年『王朝のかたち』文:猪熊兼樹/作品:林美木子(淡交社)刊行(平成二十四年)
2018年「ブルガリ・アウローラ・アワード BVLGARI AVRORA AWARDS 2018」受賞(平成三十年)





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正真正銘 本物の煤竹の扇子 宮脇賣扇庵 謹製


煤竹 すすたけ は、昔ながらの日本家屋における古い茅葺屋根 かやぶきやね の屋根裏や天井から採取される。百年以上、ものによっては数百年を経たものもある。囲炉裏 いろり で 燻 いぶ され、自然に、独特の黒色、茶褐色、飴色などに色づく。煤 すす は炎や煙に含まれる炭素の微粒子で、染み込む事により竹が変色する。煙が当った処は濃く、縄の跡や煙が直接当らなかった処は薄く、独特の美しい濃淡が形成される。煤竹は、元々高級品として扱われて来た上に、年々希少価値が高くなっている。
焼竹や煮竹を煤竹と偽ったり、人工的に作った煤竹を本物と偽ったり、そんな輩もいるので要注意。





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永見隆幸 宮脇賣扇庵 再訪 令和四年七月
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伏見稲荷大社 永見隆幸 再訪 京都 深草 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 京都の深草にある 伏見稲荷大社 ふしみいなりたいしゃ を参詣されました。



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伏見稲荷大社 外拝殿 げはいでん 入母屋造 いりもやづくり 国指定 重要文化財

天保11年=1840年(江戸時代:第百二十代 仁孝天皇/江戸幕府 第十二代 征夷大将軍 徳川家慶)建立





いつものように永見先生に伺ったお話をもとにこの記事を纏めています。
芸術文化に造詣の深い事は言うまでもなく、先生は本当に何でもよくご存じで、尊敬措く能わざる芸術家でいらっしゃいます。





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伏見稲荷大社 第二鳥居 にのとりい と 楼門


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日本全国に三万社余あると言われる稲荷社の総本宮が伏見稲荷大社です。
奈良時代 和銅四年=711年2月初午 はつうま に、伊侶巨秦公 いろこのはたのきみ(秦伊呂具 はたのいろぐ)が勅命を受けて創建したとされています。





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御祭神である 稲荷大神 いなりのおおかみ 五柱

宇迦之御魂大神 うかのみたまのおおかみ 中央座の下社に鎮座
佐田彦大神 さたひこのおおかみ 北座の中社に鎮座
大宮能売大神 おおみやのめのおおかみ 南座の上社に鎮座
田中大神 たなかのおおかみ 最北座の下社摂社に鎮座
四大神 しのおおかみ 最南座の中社摂社に鎮座

五柱の かみさまを 一宇相殿 いちうあいどの に奉祀。

一宇相殿とは、一棟の建物に二柱 ふたはしら 以上の かみさまを合せてお祀りする事です。





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永見隆幸先生と伏見稲荷大社の楼門


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永見先生が企画、立案、プロデュースされた「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」に、伏見稲荷大社の本大斎祀式 御神璽 おみたま を 勧請 かんじょう されています。


伏見稲荷大神の御分霊 わけみたま である 御神璽 おみたま を授かって守護神として祀ることを、稲荷勧請 いなりかんじょう や 御神璽勧請 おみたまかんじょう と称します。
御神璽の神徳については、色々なことが言われていますが、伏見稲荷大社に祀られている親神様と何ら変らないそうです。





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伏見稲荷大社 楼門 ろうもん 国指定 重要文化財 天正十七年=1589年 豊臣秀吉 造営


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伏見稲荷大社の楼門 ろうもん は、正門に当り、京都市内の神社の楼門の中で最も古く最も大きいのだとか。





勘違いしている人をよく見かけますが、稲荷神社は狐を「かみさま」として祀っているのではありません。
稲荷神 いなりのかみ の 使いが 白狐 びゃっこ で、その白狐も人の目には見えるものではなく、野山を駆回る狐とは異なります。
永見先生が仰 おっしゃ るには、伏見稲荷大神の神徳は広大無辺。悪意を以て酷いことをする輩ならいざ知らず、庶民を虐 しいた げる事があろう筈はなく、狐の祟 たた りなどとも全く無縁だそうです。
かみさまではなく人間が創作した物語を全て真に受けてはいけないようですね。





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楼門に掛る 伏見稲荷大社の 神額 しんがく


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永見隆幸先生が 企画 立案 プロデュースされた「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」の 両部鳥居に掛る 神額

この御神額は、橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠を筆頭に、福善堂坂井看板店さんや指物益田さんら、腕利きの江戸職人が大勢携わって出来上ったものです。





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国指定 重要文化財の 伏見稲荷大社 外拝殿 げはいでん

永見先生が手にしていらっしゃるのは御祈祷のおさがり「御神饌」





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伏見稲荷大社 内拝殿 ないはいでん 国指定 重要文化財


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左:本殿
右:内拝殿 ないはいでん





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伏見稲荷大社 本殿 国指定 重要文化財


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伏見稲荷大社本殿(国指定 重要文化財)背後





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伏見稲荷大社 両宮社 主祭神は天照大御神と豊受皇大神

元禄七年=1694年造営 二間社見見世棚切妻造 檜皮葺 国指定 重要文化財


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永見先生が御祈祷にて受けられた御神札





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御祈祷の御供物 御神饌 所謂 いわゆる おさがり





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伏見稲荷大社のホームページより
御本殿(左)内拝殿 ないはいでん(右)ともに 国指定 重要文化財





永見先生は、神宮(伊勢神宮)や 明治神宮へも参詣なさいますし、龍谷山、高野山、比叡山、成田山、ほかにも縁のあるところにはお出かけになられます。狭い教義や些末な拘りや因習に囚われず、おおらかに人々の豊かな生と幸を祈るという姿勢を貫かれているところが素晴らしく、先生の大きな魅力の一つになっています。





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永見隆幸 伏見稲荷大社参詣 京都 深草
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御神璽勧請 本大斎祀式 稲荷勧請


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サウンド・ステップス 令和五年 2023 1月放送その二 FM AICHI 80.7 Sound Steps 永見隆幸 黒江美咲 [本 新聞 テレビ ラジオ 等]



エフエム愛知のラジオ番組 ~ 毎週土曜日15:55 オン・エアー FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス Sound Steps」


我らの メリー・アーティスツ・カンパニー 永見隆幸 芸術監督がレギュラー・ゲスト!!

パーソナリティは「好きなDJランキングFM部門 全国一位」に輝く実績を持つ お馴染みの 黒江美咲さん ♬

番組ディレクターは「God Hand 神の手を持つ男」の異名をとる 須渕康夫さん!


お届けするのは 歌やダンスや演劇や演奏 そんな舞台の魅力です ♬





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永見隆幸(左:レギュラー・ゲスト)
黒江美咲(右:パーソナテリティ)





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サウンド・ステップス 1月は 永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー2023ミュージカル『ラヴ・レター・フローム・コール Love Letter from COLE』に関する話題と永見隆幸&メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO 新録音についてお送り致します!


どうぞ お楽しみに ♬





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左から:
・番組ディレクターの須渕康夫さん
・パーソナテリティの黒江美咲さん
・レギュラー・ゲストの永見先生


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出演者控室にて出番を待つお二人





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毎週土曜日15:55オン・エアー!

エフエム愛知のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス ~ Sound Steps」

歌やダンスや演劇や演奏 そんな舞台の魅力をお届けします ♬

どうぞ お楽しみに。

皆様のおかげで「サウンド・ステップス Sound Steps」は 昨年7月16日(土)に放送300回を迎えることが出来ました! 愈々 いよいよ 長寿番組の仲間入り。
そのほかにもサウンド・ステップスに縁起のよい話題が多く、我々にとっては慶事の重なる年になりました。これも偏 ひとえ に、リスナーの皆様、ご協力くださっている方々のおかげと、謹んで厚く御礼申し上げます。

本年は、放送350回を迎える予定です。皆様に喜んでいただける番組づくりに励み、更なる高みを目指して参ります。

今後共 どうぞ宜しく お願い申し上げます。





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サウンド・ステップス 放送300回記念
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菊乃井本店 永見隆幸 再訪 京都 東山 高台寺 老舗料亭 懐石 [永見隆幸 飲食店]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 京都の老舗料亭 菊乃井 きくのい を再訪されました。



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永見隆幸先生(左)菊乃井本店 女将 村田京子さん(右)





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菊乃井の先祖は、豊臣秀吉の北政所 きたのまんどころ「ねね」が茶の湯に用いた「菊水の井」を守って来た茶坊主で、北政所が大阪城から高台寺に移った慶長四年≒1600年頃、共にこの地へ隠居したそうです。この辺 あたり は高台寺の山林だった処で、願い出て三百坪を切拓いたのが始まり。大正元年=1912年、この地で三代目より料理屋として創業しました。





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天道大日如来

永見先生によると、天道大日如来は、天道念仏の信仰により小さな祠に石仏として祀られた大日如来のことだそうです。地蔵盆と習合して祀られているので地蔵菩薩と間違われ易いのだとか。密教では大日如来が最高至上にして絶対的な仏として敬われています。





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菊乃井は、ミシュラン・ガイドや ゴ・エ・ミヨなどの世界的なレストラン・ガイドでも高く評価されています。





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まろうど が 再び「帰る」ようにと置かれた縁起物の石の「蛙」





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菊乃井の玄関


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菊乃井 待合にての永見先生





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菊乃井の待合


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菊乃井が旅館を営んでいた頃の看板





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徳不孤 永見先生に論語の里仁篇にあると教えていただきました。

子曰 徳不孤 必有隣「論語 里仁篇 第四 二十五」
子曰ク 徳ハ孤ナラズ 必ズ隣有リ





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稲宝来 いねほうらい

永見先生に伺ったところ、稲宝来とは、新しい年の豊かな実りと、招福吉兆、家内安全、商売繁盛、無病息災を祈る、新春を迎えるに相応 ふさわ しい縁起物で、豊穣の象徴である稲穂と清浄を表す植物「日蔭蔓 ひかげのかずら」に、「宝と福」を呼ぶ「寳來寶來」と記された、東山下弁天町にある安井金比羅宮伝来の御神札。松竹梅なども 配 あしら われています。


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永見先生が食事を召上る部屋の入口


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竹が葺いてある天井





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屋形船を模したような形の部屋





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永見先生によると、窓の右側に見えるのは大津垣つまり窓からの景色を琵琶湖のそれに見立てている訳です。





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屋形船の趣


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ご着座される永見隆幸先生





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メニューをご覧になる永見先生


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ディディエ・ドール・ペティアン・セミヨン
Didier d'or Pétillant Sémillon

ディディエ・ドールは "Didier" ブランドの中でも最高級。原材料にセミヨンを使用したノンアルコール・シャンパンは世界に唯一これだけと言われています。フランス・ボルドー産白ワイン葡萄品種セミヨンから造られており、無農薬、無添加。フレンチの巨匠アラン・デュカスも絶賛、彼のレストランでも採用されています。





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八寸 花弁寿司 小川唐墨 菜種辛子和 黒豆 豆慈姑 くわい 千車唐 ちしゃとう 味噌漬 子持昆布 鱓 ごまめ





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京都銘茶「宇治玉露 玉兎 たまうさぎ

かつて宇治は「菟道」と書いて「うじ」と呼ばれていたそうです。宇治の地の守り神である菟道稚郎子命 うじのわきいらつこのみこと を兎が道案内したという伝説から、宇治上神社や宇治神社では兎のモティーフが用いられるなど、兎は宇治にとって非常に縁の深い生物です。そこで、玉露の「玉」の字と組合わせ、「玉兎 たまうさぎ」と命名されたのが、この宇治玉露なのだとか。
何と、京都府、(公社)京都府茶業会議所、京都府茶協同組合の共同開発だそうです。





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猪口


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赤飯蒸 汲上湯葉 金柑 鼈甲餡 鶯菜 山葵


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ご挨拶にお越しくださった 菊乃井本店 女将 村田京子さん(右)





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向付


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明石鯛 車海老 配 あしらい 一式


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鮪 黄身醤油 辛子





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鍋物


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鱶鰭 鼈 聖護院蕪 焼葱 露生姜





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部屋にて目の前で調理してくださいます。


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焼物 焼蟹 幾度かに分けて焼いていただけます。


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蟹味噌


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蟹味噌スープ


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河豚白子もあったのですが写真を撮り損ねて仕舞いました。申し訳ありません。





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強肴


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伊勢海老金鍔 きんつば 白味噌汁仕立 西洋松露 トリュフ 絵馬慈姑 くわい  豆腐 小蕪 梅柚子





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御飯


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蒸寿司 穴子 錦糸卵 焼海苔 小梅人参 柚子 生姜





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止椀


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粕汁 大根 人参 揚 芹 七味





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水物 八朔杏仁豆腐 八朔沙司 ソース





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菓子 饅頭 御薄





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永見先生に菊乃井について伺いました。


噂に違わず、何をいただいても美味しい。素材がよく吟味されており、仕込や下拵えもしっかりしています。分量も充分過ぎる程で、質量ともに満喫出来ます。数寄屋造の建物も設えも見事で、五感全てを働かせて味わうべき場と言えましょう。





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菊乃井玄関にての永見先生





ご贔屓 ひいき 様のお招きや舞台の打合せなど 美味しいものを召上る機会の多い永見先生…

高級な料理しか召上らないかと思いきや、意外や意外、何でも口にされます。



永見先生 曰 いわ く「人間も食物連鎖の中にいて、動物や植物の命をいただいて生きているのですから、アレルギーや病気でない限り、何でも感謝して有難く口に運ぶべきだと思います。腕利きの職人による高級食材を用いた料理も、家庭料理も、B級グルメも、楽屋弁当も、それぞれに異なる美味しさがあって、自分は、いずれも楽しんで食べています。至高の料理を追求することも大きな楽しみですが、だからと言って、食の多様性に背を向けるのは、豊かな食生活を自ら否定するようなものではないでしょうか。」



本質的な所で多様性の意義をご理解していらっしゃいますね。

世界各地で研鑽を積んで来られた方は 流石に 仰 おっしゃ ることが違います!





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車折神社 芸能神社 京都 嵯峨 嵐山 太秦 永見隆幸 再訪 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が、京都の嵯峨にある車折神社 くるまざきじんじゃ 芸能神社を参詣されました。芸能神社は 車折神社の境内社の一社です。



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永見先生は 車折神社 芸能神社に 朱塗玉垣と石玉垣を奉納されています。





車折神社 芸能神社について、永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。





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言うまでもありませんが、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。





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車折神社の入口に当る御神門


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御神門の直ぐ近くにある 永見先生の石玉垣


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清めの社

清めの社にある円錐の立砂 たてずな は、石をモチーフ Motif にしており、神社と石との深い関りを窺い知ることが出来ます。


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車折神社 くるまざきじんじゃ の御祭神 清原頼業 きよはら の よりなり 公は、平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫に当ります。学問で有名な広澄流清原氏の出で、一族には、三十六歌仙の一人である清原元輔 きよはら の もとすけ や、その娘の清少納言らがいました。
頼業公は、太政官 だいじょうかん の官職の一つである 大外記 だいげき の職を二十四年の長きに亘って任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比と謳 うた われました。晩年には、九条兼実 くじょう かねざね から政治の諮問に預り、兼実より「その才、神といふべく尊ぶべし」と称 たた えられています。

平安時代末期の文治五年=1189年に頼業公が逝去されると、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。頼業公の法名「宝寿院殿」に因んで「宝寿院」という寺が営まれますが、天龍寺が創建され、その末寺になりました。頼業公は、殊に桜を愛でられたので、その廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」とも呼ばれていたそうです。

法律に長けていた清原頼業公は、「法律の かみさま」すなわち「約束を違 たが えない かみさま」として信仰されるようになります。
加えて、頼業 よりなり という御名前が、「人が "より" 集って 客が 鈴 "なり"」「お金が寄 "より" 付き 商売が成 "なり" 立つ」に重なるとして、商人の信仰も集めるようになったのだとか。





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車折石 くるまざきいし

後嵯峨天皇が嵐山の大堰川 おおいがわ に 御遊幸 みゆき の 砌 みぎり、社前において牛車の轅 ながえ が折れて動かなくなってしまいました。御神威を畏れて、後嵯峨天皇は、門前右の石を「車折石 くるまざきいし」と称 とな え、「車折大明神」の御神号と「正一位」の御神階を贈られました。この後 のち「車折神社」と称せられるようになったそうです。





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芸能神社は、車折神社の境内社の一社で、昭和三十二年=1957年、他の末社より御祭神の 天宇受売命 あめのうずめのみこと を御分祀申し上て創建した神社です。

天宇受売命が芸術や芸能の祖神として古来より崇敬される所以 ゆえん は「神代の昔、天照大御神 アマテラスオオミカミ が、弟君である素戔鳴尊 スサノヲノミコト の行いに心を痛められ、天岩戸 あまのいわと にお隠れになり、この世が暗闇になりました。天宇受売命 アメノウズメノミコト が岩戸の前で演舞され、天照大御神の御神慮を只管 ひたすら お慰め申し上たところ、大御神が御出現になり、この世に再び光を取り戻した。」という故実に基きます。

アメノウズメノミコトは、『古事記』では 天宇受賣命、『日本書紀』では 天鈿女命と表記されています。天岩戸神話の踊りが今も神前で奉納される神楽 かぐら の原型とされ、『古事記』や『日本書紀』に「巧みに俳優 わざおぎ をなし」と記されていることから、俳優の始祖とも言われます。現在では、芸術芸能全般の「かみさま」として信仰を集めています。





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貴賓殿


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御本殿に向われる永見先生





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御本殿と拝殿の間 はざま


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富岡鉄斎の手になる御本殿の御神額

近代日本画の巨匠と謳 うた われる富岡鉄斎 とみおかてっさい は、石上神宮 いそのかみじんぐう の少宮司や大鳥神社の大宮司を任めた後、明治二十一年=1888年から明治二十六年=1893年まで車折神社 くるまざきじんじゃ の宮司を任めました。
故に車折神社には鉄斎の作品 百余点が伝えられています。裏参道入口の社号標、本殿の扁額、表参道脇の車折神社碑などもあり、用いた筆を二千本以上納めた筆塚も存在します。





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永見先生が 車折神社 芸能神社 御参拝の折には 必ず御祈祷をお受けになります。





車折神社 芸能神社 おさがり





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芸能大神 御神符





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御札型 祈念神石





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象彦の漆塗豆皿





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御神饌


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竹の店いしかわの干支に因んだ兎の置物





一陽来復 いちようらいふく 御札 御守



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陰気を去らしめ、陽気を呼び、開運招福、起死回生の御札 御守と言われています。


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一陽来復 いちようらいふく 御札





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御本殿の大鳥居に佇む永見先生





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永見隆幸 車折神社 芸能神社 再訪 
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京都 嵯峨 朱塗玉垣 石玉垣 御祈禱


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朱塗玉垣 石玉垣 奉納 御祈祷


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龍谷山本願寺 御正忌報恩講法要 永見隆幸 参加 京都 浄土真宗本願寺派 西本願寺 本山 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都にある 龍谷山本願寺 りゅうこくざん ほんがんじ の 御正忌報恩講法要 ごしょうき ほうおんこう ほうよう の日中法要にご参加されました。


龍谷山本願寺は、浄土真宗本願寺派、俗に言う西本願寺の本山です。御正忌報恩講法要は龍谷山本願寺の国宝 御影堂 ごえいどう にて営まれました。


既にご存知の方も多いとは存じますが、永見先生は、龍谷山本願寺の参与でいらっしゃいます。





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龍谷山本願寺 大玄関門

左右に門番屋を持つ薬医門で 第二十代 廣如上人の 弘化四年=1847年に新築されたと伝えられる。江戸幕府十万石以上の大名家格式に準ずるとされる。





龍谷山本願寺では、宗祖 親鸞聖人の命日について、毎月15日と16日に「宗祖聖人月忌法要」を行い、祥月 しょうつき 命日の1月16日に際しては、 毎年1月9日から16日までの8日間、「御正忌報恩講」が営まれています。





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大玄関 瓦葺 かわらぶき 入母屋造 いりもやづくり 妻入唐破風 つまいり に からはふ 公式行事等の来賓用玄関





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三つ揃もカシミアのオゥヴァー・コートも、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国生地を厳選し、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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明治大帝も行幸 ぎょうこう/みゆき あそばされました。





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唐門 からもん 国宝

桃山時代の豪華な装飾彫刻が施された檜皮葺 ひわだぶき 唐破風 からはふ の 四脚門 しきゃくもん。彫刻の見事さに日が暮るのを忘れて見惚 みと れると言われることから日暮らし門とも呼ばれる。

令和四年=2022年3月31日 文化財指定建造物修復工事 完了
永見先生が前回お出ましになられた時、唐門自体の修復は完了していたものの、辺りがまだ工事中だったので、今回は改めて「見違える程の荘厳な美しさを感じた」と 仰 おっしゃ っています。





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黒書院 国宝


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永見先生が手にしておられる巨大な御数珠は黄金海松 きんみる





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御正忌報恩講法要 ごしょうき ほうおんこう ほうよう の営まれた御影堂 ごえいどう 国宝





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白書院 国宝


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国宝の白書院入口 が 御斎 おとき 会場入口





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仏教においては「食事 じきじ」と呼ばれる、午前十時から正午までの間に食事をする習わしがあり、この時の料理を「斎 とき」と呼ぶそうです。

龍谷残本願寺では、毎年一月十日から十五日まで、御正忌報恩講 日中法要後に 御斎 おとき の接待を 国宝の対面所「鴻の間」にて行っています。





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龍谷山本願寺御用達商の皆さんが、御用達商「開明社」社員として御正忌報恩講の「御斎の接待」に出仕して戴きました。
主膳、御酒、白味噌汁、御飯、白湯 さゆ、果物、菓子、抹茶と、順にお出しくださり、手際よく片付けてくださいます。御飯や味噌汁はお代りもあるので、結構たいへんな仕事です。
それに加えて 何と 開明社の皆さんは全員が黒紋付袴姿!
永見先生は幾度も「有難し有難し」と繰返していらっしゃいました。





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龍谷山本願寺の御斎は、動物性の食材を一切用いず、一汁五菜 いちじゅうごさい を基本にした精進料理。


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永見先生は白味噌汁が大のお気に入り

御斎献立 本膳仕様
・茶津 ちゃつ 胡麻豆腐 山葵醤油
・汁椀 しるわん 蕪 豆腐 白味噌仕立
・留津 るつ 辛子和 六条麩
・二椀 にのわん 蕪 蕗 湯葉
・椿皿 つばきざら 沢庵 紫漬
・飯椀 めしわん 白米 全国の門徒より供えられた仏飯米
・折詰 おりづめ 笹巻饅頭 花麩 蓮根 椎茸 高野豆腐 蕪酢漬 金時豆 飛龍頭 ひろうす





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・京都「亀屋陸奥」の 鞍掛饅頭 くらかけまんじゅう ふたつ
・有田北組より進納された紀州有田の蜜柑ふたつ


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お薄も供せられます。





永見先生は、主膳の折詰、紀州有田の蜜柑ひとつ、亀屋陸奥の鞍掛饅頭ひとつ、そして御酒をお土産にお持ち帰りになったそうです。





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御斎 おとき の接待が行われた 国宝の対面所「鴻の間 こうのま

撮影が禁じられていますので本願寺のホームページから転載させていただきました。





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龍谷山本願寺のインタヴューを受けられる永見隆幸先生


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永見隆幸 本願寺 参与会 出席
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龍谷山本願寺 参与


永見隆幸 龍谷山本願寺 訪問
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龍谷山本願寺 参与


永見隆幸 大谷本廟 訪問
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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和五年一月  [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや を再訪されました。



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永見隆幸先生(右)柊家六代目女将 西村明美さん(左)





永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、日本と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮し以外の選択肢が無いのかもしれません。


いつものように、多方面の芸術文化に造詣が深い永見先生のお話を基に、この記事を書き進めて参ります。


京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊ったそうです。





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柊家の本館は木造二階建の数寄屋造で新館は現代的な和風の鉄筋三階建

塀の周囲に廻らされているのは駒寄せの柵

京都 老舗旅館御三家 筆頭の呼声も高い柊家

柊家は、昔、柊屋であったらしいという説もありますが、今は柊家。「屋」ではなく「家」です。

京野菜など四季折々の新鮮な旬の素材を厳選、腕によりをかけた京懐石も味わうことが出来ます。





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柊家の門松は 寸胴 ずんどう と呼ばれる伝統的な節止 ふしどめ の松飾り

元々門松は寸胴で、削ぎと呼ばれる門松が普及してからも武家はずっと寸胴を用いていたそうです。
堅気は寸胴、水商売は削ぎと言われて来ましたが、今は厳密に区分が出来なくなっているのだとか。





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文政元年(第百二十代 仁孝天皇 江戸幕府第十一代征夷大将軍 徳川家斉)1818年、福井から京に上った初代庄五郎が庄屋として京都に居を構え、運送業や鯖街道を下って入って来る魚を扱う海産物商を始めたのが柊家の始まりだそうです。

左京区にあって正式には賀茂御祖神社と称される世界遺産の下鴨神社、その境内にある比良木神社が柊家という屋号の由来です。邪気を祓う柊の木が自生する比良木神社に、初代庄五郎が深く帰依したのだとか。

二代目庄五郎を名乗った定次郎は、柊家政貫と号すほど、本業よりも刀の鍔目貫 つばめぬき の技に長じていました。街道沿いに店があって仲間の商人の求めに応じて宿も営んでいたので、文久元年(第百二十一代 孝明天皇 江戸幕府第十四代征夷大将軍 徳川家茂)1864年、東海道の終点に位置する三条の地で旅籠を本業にしました。幕末には維新の志士が泊り、明治になってからは大臣が定宿にしていたそうです。

三代目庄五郎の頃になると、明治政府の要人は言うまでもなく、皇族、公家、華族、文人墨客にも愛されるようになりました。大正天皇の即位式が京都で行われた折には、大臣が 挙 こぞ って柊家を利用したそうです。第一次世界大戦中には、東郷平八郎元帥をはじめ、軍人の定宿としても繁盛していたのだとか。

柊家の宿泊客には、政財界はもとより、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、正岡子規、宇野千代、林芙美子ら、各界の著名人が名を連ねています。特に、川端康成と三島由紀夫は、頻繁に利用していたらしく、柊家が別宅と言われるほどでした。海外からの来訪者も、各国の王族、政財界の重鎮、チャーリー・チャップリンや アラン・ドロンら、枚挙に暇 いとま がありません。





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永見先生は、「柊家の『古色 こしょく』とは、『使い込まれた質感の輝き』なのであって、『手垢 てあか に 塗 まみ れた不潔さ』などとは全く無縁です。自分は、それをレトロ感覚とは解さず、ノスタルジックにも捉えません。柊家は、断じて過去の遺物ではなく、今も息づく日本の文化です。柊家の『古色 こしょく』は、歴史と伝統が放つ艶消の光。そう考えているのです。」と仰 おっしゃ います。





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往時は入口から玄関まで人力車も出入していたので広々とした間口





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柊家の玄関に腰掛ける永見先生


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正月の設え 紅白梅盆栽寄植 俵熨斗 たわらのし 干支に因んだ 兎の置物

永見先生に伺ったところ、俵熨斗は、米俵を熨斗 のし で拵 こしら えた物だそうです。縁起のよい奇数の三ツ俵に稲飾りが添えられています。米俵は、五穀豊穣つまり豊かな実りの象徴で、それを重ねて「家内安全」「商売繁盛」を祈念するものなのだとか。京都伝統の正月飾で、床の間や玄関先、お茶席などにも飾られるそうです。





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重野成斎 しげの せいさい の書「來者如歸 らいしゃにょき


きた る者 帰るが如し。
柊家の三代目が揮毫して戴いたのだとか。柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう。
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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柊家の御帳場


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柊家の応接間



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神楽鈴 かぐらすず

永見先生によると、古来より鈴は魔を祓い福を呼ぶと考えられ、縁起物の正月飾りや床飾りとして神楽鈴を用いる事があるそうです。





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仏手柑 ぶっしゅかん 学名 Citrus medica var. sarcodactylus

主に観賞用で、茶席の生花や正月飾りとして用いられ、身は少ないものの食用にもされると、永見先生から伺いました。インド原産で、国内では殆どが鹿児島産ですが、和歌山や佐賀などでも生産されているそうです。





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賀茂比良木大神の御札


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訶梨勒 かりろく

永見先生にお聞きしたところ、訶梨勒 かりろく は、新年、慶事、茶席などにて飾られる縁起のよい香袋なのだとか。室町時代の柱飾りだそうです。昔から、訶梨勒(訶子 かし)の実は薬用に供されており、魔除けや厄除けとして、訶梨勒の実を袋に入れて柱に飾ったのが始まりと言われています。





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応接間の天井





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永見先生が本日お泊りのお部屋は二階



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永見先生のお部屋の入口

小説『放浪記』『晩菊』『浮雲』などで知られる女流文学者の 林芙美子も、この部屋に泊まったそうです。


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次の間から見る部屋の入口





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三条実美の書『霊心平氣』

三条実美 さんじょう さねとみ 三條實美
天保八年二月七日=1837年3月13日~明治24年=1891年2月18日薨去 享年53歳
正一位大勲位公爵。第三十一代 三条家当主。公卿、政治家。
幕末における尊王攘夷討幕派の中心人物とされる。明治維新以降、元勲として、右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任。明治二十二年十月から十二月、内大臣の三条実美が内閣総理大臣を兼任した。薨去の直前には明治大帝が親しく三条実美をお見舞いあそばされ、国葬を以て送られている。





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本間から見た次の間


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寛がれる永見隆幸先生





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御着菓子 ウェルカム・スウィーツ


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ほう じ茶も、汲出 くみだし を、茶托ではなく、蓋付の茶台に載せて供せられます。

汲出 くみだし とは何か永見先生に伺ったところ、来客用の湯呑茶碗を指して言うのだそうです。普段使いの湯呑とは区別されるのだとか。





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付書院





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如意寶 にょいほう

如意寶は、如意宝珠や如意珠ともいう。サンスクリット語のチンターマニ cintāmai の訳。チンターは思惟 しゆい、マニは珠を指す。龍王の脳の中から出て、いかなる願望をも成就し、意の儘に財宝を得る事が出来、病気や苦悩を癒すという空想上の宝珠。毒にも侵されず、火にも焼かれず、濁った水を清らかにし、悪を誅し、災禍を免れる功徳があると言われる。如意輪観音、馬頭観音、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩などの持物 じもつ、三昧耶形 さんまやぎょう とされる。真言宗をはじめとして密教において重んじられる。


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洗面所から見たステンドグラス


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風呂場から見たステンドグラス


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電気を消すとより鮮やか





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日本に洋式トイレが普及し始めたのが1960年頃で昭和の中頃までは殆どが和式の雪隠 せっちん


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何と 洋式トイレも隣にあります!





永見先生は食事を柊家新館でお召上りになりました。





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栃の木を刳り貫いて作られた洗面台





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新しい感覚の床の間


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床の間の奥にある坪庭


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自然に完璧に隠されているエアコン


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網代





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鴨居の上には長押や欄間などが何も無く開放的


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柊家の料理長は岩山泰久さん





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柊家六代目女将 西村明美さん(左)が ご挨拶にお越しくださいました。





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富翁 純米吟醸原酒 濁酒





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先付


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甘鯛 千枚漬 鯑 数の子 出汁ジュレ 振柚子


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菜種胡麻和 大徳寺麩





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蛤真丈 椎茸 蕗 木芽





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造里


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焼物 鯧 まながつお 垂焼 たれやき 金柑 大徳寺納豆 松葉





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八寸 車海老 黒豆 長老喜 ちょろぎ 唐墨 青味大根





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凌 鮭卵 いくら 飯蒸 銀杏 振柚子





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合鹿椀のような高台の高い大振りの御椀


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煮物 海老芋揚出汁 雲子 一味下 浅葱 旨出汁





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食事 香物 三種


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零余子 むかご 御飯 新潟魚沼産越光 こしひかり


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留椀 


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赤出汁 牛蒡 芹 粉山椒


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果物


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紅聖母 べにまどんな 苺





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お茶の御用意


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お茶請は京都三条菓子司「寛永堂」の干支煎餅





永見先生は朝食も新館にて摂られました。

新館廊下の設えも楽しめるそうです。





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松篁の絵

上村松篁 うえむら しょうこう

明治三十五年=1902年11月4日~平成十三年=2001年3月11日
・1902年(明治35年) 京都に生れる
・1921年(大正10年)『閑庭迎秋』で帝展初入選
・1924年(大正13年) 現在の京都市立芸術大学の前身である京都市立絵画専門学校を卒業
・1928年(昭和3年) 『蓮池群鴦図』帝展特選
・1948年(昭和23年) 奥村厚一、秋野不矩、山本丘人らと日本画の団体『創造美術 現在の創画会の前身』を結成
・1959年(昭和34年) 芸術選奨文部大臣賞 受賞
・1967年(昭和42年) 日本芸術院賞 受賞
・1968年(昭和43年) 京都市立芸術大学名誉教授になる
・1973年(昭和48年) 勲三等瑞宝章 受章
・1981年(昭和56年) 日本芸術院会員になる
・1983年(昭和58年) 文化功労者に選定される
・1984年(昭和59年) 文化勲章 受章
・1994年(平成6年) 松伯美術館 開館
・2001年(平成13年) 逝去 享年98歳
代表作
『金魚 』1929年 松伯美術館蔵
『星五位』1958年 東京国立近代美術館蔵
『樹下幽禽』1966年 日本芸術院蔵
『万葉の春』1970年 松伯美術館蔵
『閑鷺』1977年 山種美術館蔵





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鏡餅 かがみもち は 餅を神仏に供える日本の伝統的な正月飾り、床飾りです。穀物神すなわち食べ物のかみさまである歳神 としがみ 様への供物であり、歳神様の依代 よりしろ とされています。
昔の鏡の形に似ている事から鏡餅と呼ばれるようになったそうです。当時の鏡は丸形の青銅製で主に神事に用いられていたのだとか。三種の神器の一つである 八咫鏡 やたのかがみ を形取ったものとも言われます。三種の神器、八尺瓊勾玉 やさかにのまがたま に見立てた物が橙 だいだい で 天叢雲剣 あめのむらくものつるぎ に見立てた物が串柿とされます。





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瓢箪形襖引手





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昨晩の床の間とは打って変った朝の表情





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朝食も極めて充実していると喜ばれる永見先生





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湯豆腐の桶と御櫃 おひつ


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湯豆腐の桶は 人間国宝 中川清司作





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薬味





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湯豆腐の桶は 何と 炭で温められています!


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明治三十九年=1906年創業「平野とうふ」の豆腐


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豆腐嫌いだった筈の白洲次郎に気に入られた「平野とうふ」の豆腐





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風呂吹大根 ふろふきだいこん





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笹鰈





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新潟魚沼産越光 こしひかり





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永見先生のお部屋から眺める庭の景色


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柊家四代目女将の句碑

朧夜乃 おぼろよの 阿可 あか りが星 ほし う 愛宕山 あたごやま





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御薄と饅頭


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お出掛けの準備が整い柊家の玄関に佇む永見先生





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永見先生に伺ったところ、これは餅花 もちばな という正月や小正月に飾る縁起物だそうです。白膠木 ぬるで えのき 柳などに小さく切った紅白の餅や団子を挿すのだとか。その年の、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などを祈念して 拵 こしら えます。左義長 さぎちょう や どんど焼きと称される小正月の火祭りに焼いて食べると無病息災でいられるという言伝えもあるそうです。


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カシミアのオゥヴァー・コートも三つ揃も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国生地を厳選し、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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お出ましになられる永見先生





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柊家 旅館 永見隆幸 再訪
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令和四年八月 京都 麩屋町


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令和四年一月 永見隆幸 訪問


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