永見隆幸 トリノ王立歌劇場 出演 Teatro Regio di Torino イタリア [永見隆幸 海外]
永見隆幸先生が、イタリアのトリノ王立歌劇場 Teatro Regio di Torino に出演されました。
お泊りになっているホテル「マジェスティック」を出発なさる永見先生
トリノ王立歌劇場の全景
サルデーニャ王国の中心都市として繁栄し始めたトリノ中心部の新しい劇場として、建築家ベネデット・アルフィエリ Benedetto Alfieri の設計によって1730年=江戸時代の享保15年に建設が開始されました。
杮落しは、1740年=江戸時代の元文五年、フランチェスコ・フェオ Francesco Feo の『アルサーチェ Arsace』。
トリノ王立歌劇場のファサード~焼失を免れた旧劇場の外壁
ミラノのスカラ座やヴェネツィアのフェニーチェ劇場が台頭して来るまでは、北イタリアで最高の歌劇場という評判を恣にしていました。
1865年=江戸時代の慶応元年に実力派指揮者のカルロ・ペドロッティ Carlo Pedrotti が音楽監督に就任すると、その後15年間にわたって全演目を指揮し、ハイ・レヴェルなヴェルディのオペラを上演して高い評価を得ます。
1895~8年と1905~6年にかけてアルトゥーロ・トスカニーニが音楽監督に就任して黄金期を迎えます。
ジャコモ・プッチーニの『ラ・ボエーム』と『マノン・レスコー』や アルフレード・カタラーニの『ローレライ』が トリノ王立歌劇場で初演されています。
リヒャルト・シュトラウス『サロメ』のイタリア初演は、作曲者自身の指揮によって当歌劇場で行われました。
その後も、ヴィットリオ・グイなどの名指揮者が監督を歴任しました。
リヒャルト・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』やモーリス・ラヴェル『スペインの時計』のイタリア初演なども、この歌劇場で行われています。
外壁から見えるエントランス
焼失したトリノ王立歌劇場は、建築家カルロ・モッリーノ Carlo Mollino とマルチェッロ・ザベラーニ・ロッシ Marcello Zavelani Rossi の設計により、1973年=昭和48年に再建されました。旧劇場で焼け残った外壁はそのまま残して、内側に新劇場を入れ込む構造になっています。
モダンな新劇場
出演者専用エントランス
トリノ王立歌劇場のロゴ
いずれの歌劇場も経営は厳しいそうですが、イタリアでは、採算のとれている歌劇場が三つだけあると言われています。ミラノのスカラ座、ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場、そして、ここ、トリノ王立歌劇場です。
永見先生と青銅のゲート
正門の青銅のゲートは彫刻家ウンベルト・マストロヤンニの作品
ウンベルト・マストロヤンニ Umberto Mastroianni は、日本にも馴染み深い彫刻家です。
1985年=昭和60年のヘンリー・ムーア大賞展に招待され、『ヒロシマ』を出品して大賞を受賞しました。その作品は、箱根 彫刻の森美術館に展示されています。
1989年=平成元年には、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。
作品のタイトルは『ミュージカル・オデュッセイ Musical Odyssey』
エントランスに立つ永見先生
別の角度から見るエントランス
「← artisti アーティスト attori アクター」のサイン(出演者専用通路)
永見先生の楽屋
燕尾を着用して公演前のドレス・リハーサルに臨まれる永見先生
残響を把握して発声を調整なさる先生
丁寧にチェックを重ねる先生
公演のチケットがとれないという噂を耳にされても、永見先生は、「そんなにお客様がお越しになるはずがありません。しかし、ひとりでもお越しくだされば、全力を傾注して歌います。」とおっしゃっていました。
出番をお待ちになる永見先生
あにはからんや 開場と同時に大勢のお客様
開演時には最上段まで満席の大盛況
客席のイタリア人のお客様から「カッコイイ!」と日本語で声が掛かります。
永見先生が「ブォナセラ トリーノ! Buona-sera Torino!」(今晩はトリノ!)と挨拶なさると、割れんばかりの拍手と大歓声が湧き起こりました。
一瞬にしてトリノの聴衆の心を捉える永見先生
燕尾に着替えて準備万端の永見先生
公演の掉尾を飾ったのは『コン・テ・パルティロ Con Te Partirò 君と旅立とう』(Time To Say Goodbye)
フィナーレの曲目を知らされていなかった客席は、イントロが始まるや否や ざわつきます。そして、永見先生がフィナーレのロング・トーンを歌い切ると、「ブラーヴォ Bravo の嵐」と「万雷の拍手」。暫し客席の興奮が収まりませんでした。
カーテン・コールに応える永見先生
全てのお客様が劇場を後にされたのは、夜中の11時に近かったそうです。
イタリアの聴衆は厳しいことで知られています。どんな有名なアーティストであっても容赦しません。
ミラノのスカラ座でも、高名なオペラ歌手でさえ、アリアをしくじればブーイングは当り前で、トマトを投げられることもあります。管理人の友人も、あっという間にトマトの山が舞台の上に出来るところを目撃したそうです。
そんな中、イタリア人の誰もが知っている『コン・テ・パルティロ Con Te Partirò』をイタリア語で歌ってイタリアの聴衆を熱狂させてしまうとは…
常に挑戦する姿勢を弛めない永見先生。そのターゲットは「おのれ自身」。ほかの何かではなく、永見先生ご自分自身がどこまで出来るのか、それがチャレンジの対象なのです。
永見先生のダンサーとアシスタントという大役を務めた目次恭子(左)と 安藤麻実(右)
永見先生が楽屋に戻られる途中、たくさんのお客様やスタッフに囲まれ、口々に「Congratulazioni!」と、祝福を受けていらっしゃった様子を伺いました。「おめでとうございます」という意味でよく使われるイタリア語は、どんな状況でも使うことの出来る「auguri」だそうです。「congratulazioni」は「成功おめでとうございます」という用法に限定されるらしいので、この公演は大成功だったと言ってよいのかもしれませんね。
公演前から永見先生は賓客としての待遇を受けていらっしゃいましたが、舞台がハネてからは特に、皆が先生を「マエストロ Maestro」(先生 師匠)と呼んで、格別の敬意が払われるようになったそうです。
いや本当に"マエストロ"永見先生は海外公演にも お強い… Congratulazioni!
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