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伏見永幸稲荷 永見隆幸 企画 立案 プロデュース 再訪  [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生は、令和五年三月末、御自身が 企画、立案、プロデュースされた「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」に 参拝されました。



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伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり 御本殿





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そこかしこに咲誇っている蒲公英 たんぽぽ





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ラヴェンダー lavender を見つけられた永見先生


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見頃を迎えた椿と桜





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満開の桜を愛でられる永見先生





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伏見永幸稲荷の直ぐ傍 そば にある永見先生の御祖父様の銅像

御祖父様のご葬儀に際しては、大蔵事務次官だった石野真一が葬儀委員長を務めたそうです。





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中央の「永見善之君の像」と記されているのは、ノーベル平和賞を受賞した内閣総理大臣 佐藤栄作 大勲位の書。

右側「偉業の辞」は、先生の御祖父様と親交があり、昭和三十六年=1961年から昭和四十八年=1973年まで三期十二年にわたり名古屋市長を務めた杉戸清が記したもの。

左側「今日も亦一歩前進」は、永見先生生の御祖父様の書。
生生の御祖父様は、実に達筆で、その書が売買される程の腕前だったとか。





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伏見永幸稲荷 竣工祭 奉祝祭 斎行
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伏見永幸稲荷 稲荷宮神苑 完成
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伏見永幸稲荷 入魂祭
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伏見永幸稲荷 参拝 令和五年一月
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伏見永幸稲荷 初午祭 斎行 令和四年
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伏見永幸稲荷
メリー・アーティスツ・カンパニー公演成功祈願祭
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伏見永幸稲荷 神紋 注連縄
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永見隆幸 ポートレート 清水博孝 撮影 第二弾 東京 目黒 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督である 永見隆幸先生のポートレートを、カメラマンの清水博孝 しみず ひろたか さんが撮影してくださいました。


誠に恐れ入りますが 「写真や画像やロゴ等の転載は厳禁」ですので ご了承ください。
Sorry but the reproduction of the photograph and the logotype is strictly forbidden.



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東京 目黒にある清水博孝さんのフォトスタジオにて
永見隆幸先生(左)清水博孝さん(右)



写真家の清水博孝さんが、今までにポートレートを撮影された、舞台に関係のある人々。


☆音楽家 順不同

大友直人 指揮者
大上英次 指揮者
井上道義 指揮者
佐渡裕 指揮者
小山実稚恵 ピアニスト
中道郁代 ピアニスト
上原彩子 ピアニスト
小林愛美 ピアニスト
諏訪内晶子 ヴァイオリニスト
葉加瀬太郎 ヴァイオリニスト
中丸三千繪 オペラ歌手
鈴木慶江 オペラ歌手
東儀秀樹 雅楽師
日野皓正 ジャズ・トランペッター
小曽根真 ジャズ・ピアニスト
木住野佳子 ジャズ・ピアニスト
矢野沙織 ジャズ・サックス奏者
シャルル・デュトワ 指揮者
チョン・ミョンフン 指揮者
マイケル・ナイマン 作曲家 ピアニスト
エレーヌ・グリモー ピアニスト
アン・ アキコ・マイヤーズ ヴァイオリニスト
ミルトン・ナシメント MPBソング・ライター
ウテ・レンパー シャンソン歌手
ウー・ルーチン 呉汝俊 京胡演奏家
シュイ・クゥ 許可 二胡奏者
ほか多数


☆演出家と映画監督 順不同

蜷川幸雄
毛利臣男
宮本亜門
串田和美
佐藤信
岡本喜八
今村昌平
大林宣彦
岩井俊二
宮崎駿
スティーブン・ソダーバーグ
ジム・ジャームッシュ
パトリス・ ルコント
ジャック・ペラン
ジャン・ジャック・ベネックス
リュック・ベッソン
ミカ・カリウスマキ
ロン・ハワード
ヴィム・ヴェンダース
マル ティーヌ・デュゴヴソン
ブノワ・ジャコ
エミール・クストリッツァ
ジャン・ジャック・アノー
ほか多数


☆俳優とダンサー 順不同

唐澤寿明
浅野忠信
豊川悦司
長塚京三
竹内豊
南原清隆
三倉茉奈
山崎樹範
近藤芳正
兼崎健太郎
堀部圭亮
榎木孝明
辺見えみり
坂井真紀
近藤真彦
東山紀之
本木雅弘
稲垣吾郎
城島茂
山口達也
国分太一
松岡昌弘
長瀬智也
松本潤
安室奈美恵
藤原竜也
夏木マリ
小栗旬
嵯川哲郎
攘晴彦
麻美れい
蒼井優
中島朋子
菊池凛子
井川遥
鈴木京香
黒谷友香
山崎静代
川島なお美
水野真紀
片桐はいり
田中裕子
筒井道隆
松島尚美
酒井敏也
高島政宏
草刈民代
熊川哲也
東儀秀樹
坂東三津五郎
尾上菊之助
市川亀治郎
中村福助
片岡孝太郎
イ・ビョンホン
リュ・シウォン
チョン・ウソン
キム・ミンジュン
セロ
ハリソン・フォード
メル・ギブソン
ニコール・キッドマン
キリアン・マーフィー
スティーブン・ドーフ
ピート・ポスルス・ウェイト
リヴァー・フェニックス
マシュー・モディーン
イーサン・ホーク
リブ・タイラー
スーザン・サランドン
アンディ・マクドウェル
アントニオ・バンテラス
レティシア・カスタ
ジョシュ・デュアメル
マイケル・ピット
エマニュエル・ベアール
イザベル・ユペール
アンナ・ガリエナ
モニカ・ベルッチ
ジャン・ユーグ・アングラード
シャルロッ ト・ゲンズブール
ヴァンサン・カッセル
ロマーヌ・ボーランジェ
エルザ・シルベルスティン
ジュディット・ゴドレシュ
イレー ヌ・ジャコブ
ジュリー・デルピー
ジェーン・マーチ
アンヌ・ブロシェ
ほか多数



その他にも、作家、デザイナー、画家、建築家、科学者、政治家、実業家、アスリートなど、清水博孝さんがポートレートを手掛た著名人は、枚挙に暇がありません。





さて、それでは、お待ちかね、永見先生のポートレート第2弾です。





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やはり永見先生は、様 さま になると言うか、絵になります。





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永見隆幸
NAGAMI Takayuki


音楽家/著作家/舞台ディレクター
20代から30代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

ヘンデルなどのバロック・オペラや、モーツァルトの『魔笛』タミーノ、『コジ・ファン・トゥッテ』フェランド、『後宮からの誘拐』デルモンテや、ヴェーバー『魔弾の射手』マックスなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

ヴェルヴェット・ヴォイスのマエストロと称され、トリノ王立歌劇場やカーネギー・ホールなどに出演する。数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演をはじめ、常に脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『カーテン・アップ』グラン公爵役、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン Gershon 役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『ザ☆ブロードウェイ』バーディ・ウォリントン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感や抜群の表現力が高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO のリード・ヴォーカリスト Lead Vocalist。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。現在、新録音進行中。

東海地方においても活躍。芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。放送300回を超えて長寿番組となった毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
美術にも造詣が深く、「目利き めきき」や「見巧者 みごうしゃ」と呼ばれている。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。

現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director、東京二期会 会員、ほか。
(プロフィール作成:ザ・ディライトフル・カンパニー)





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清水さんがポートレートを撮った動物行動学者の日高敏隆さんや随筆家の山本夏彦さんを、永見先生がご存知だった事もあって、話は弾み、永見先生の欧米時代の恋愛事情や政治経済の話題にまで及びました。すっかり意気投合されたご様子です。


清水さんについて永見先生に伺ったところ、アーティスト 芸術家 の 感性と アルティザン 職人 の 技術を持ったフォトグラファーだそうです。ナチュラル、やさしい、繊細、透明感のある写真を撮るという評判は、全くその通りですが、撮られている本人の気付かない内面を抉 えぐり 出して見せる驚くべき技術も持合せていらっしゃるそうです。表面だけを飾ったような写真は撮らない印象を受けたとも仰 おっしゃ っていました。
気さくだけれども気骨のある方なのだとか。


実に楽しい 充実した ひと時だったと御機嫌の永見先生。是非また機会を設けたいような御様子でいらっしゃいました。





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清水博孝 永見隆幸 ポートレート撮影
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第一弾 東京 目黒


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清水博孝 永見隆幸 ポートレート撮影 東京 目黒 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督である 永見隆幸先生のポートレートを、カメラマンの清水博孝 しみず ひろたか さんが撮影してくださいました。


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東京 目黒にある清水博孝さんのフォトスタジオにて
永見隆幸先生(左)清水博孝さん(右)



写真家の清水博孝さんが、今までにポートレートを撮影された、舞台に関係のある人々。


☆音楽家 順不同

大友直人 指揮者
大上英次 指揮者
井上道義 指揮者
佐渡裕 指揮者
小山実稚恵 ピアニスト
中道郁代 ピアニスト
上原彩子 ピアニスト
小林愛美 ピアニスト
諏訪内晶子 ヴァイオリニスト
葉加瀬太郎 ヴァイオリニスト
中丸三千繪 オペラ歌手
鈴木慶江 オペラ歌手
東儀秀樹 雅楽師
日野皓正 ジャズ・トランペッター
小曽根真 ジャズ・ピアニスト
木住野佳子 ジャズ・ピアニスト
矢野沙織 ジャズ・サックス奏者
シャルル・デュトワ 指揮者
チョン・ミョンフン 指揮者
マイケル・ナイマン 作曲家 ピアニスト
エレーヌ・グリモー ピアニスト
アン・ アキコ・マイヤーズ ヴァイオリニスト
ミルトン・ナシメント MPBソング・ライター
ウテ・レンパー シャンソン歌手
ウー・ルーチン 呉汝俊 京胡演奏家
シュイ・クゥ 許可 二胡奏者
ほか多数


☆演出家と映画監督 順不同

蜷川幸雄
毛利臣男
宮本亜門
串田和美
佐藤信
岡本喜八
今村昌平
大林宣彦
岩井俊二
宮崎駿
スティーブン・ソダーバーグ
ジム・ジャームッシュ
パトリス・ ルコント
ジャック・ペラン
ジャン・ジャック・ベネックス
リュック・ベッソン
ミカ・カリウスマキ
ロン・ハワード
ヴィム・ヴェンダース
マル ティーヌ・デュゴヴソン
ブノワ・ジャコ
エミール・クストリッツァ
ジャン・ジャック・アノー
ほか多数


☆俳優とダンサー 順不同

唐澤寿明
浅野忠信
豊川悦司
長塚京三
竹内豊
南原清隆
三倉茉奈
山崎樹範
近藤芳正
兼崎健太郎
堀部圭亮
榎木孝明
辺見えみり
坂井真紀
近藤真彦
東山紀之
本木雅弘
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城島茂
山口達也
国分太一
松岡昌弘
長瀬智也
松本潤
安室奈美恵
藤原竜也
夏木マリ
小栗旬
嵯川哲郎
攘晴彦
麻美れい
蒼井優
中島朋子
菊池凛子
井川遥
鈴木京香
黒谷友香
山崎静代
川島なお美
水野真紀
片桐はいり
田中裕子
筒井道隆
松島尚美
酒井敏也
高島政宏
草刈民代
熊川哲也
東儀秀樹
坂東三津五郎
尾上菊之助
市川亀治郎
中村福助
片岡孝太郎
イ・ビョンホン
リュ・シウォン
チョン・ウソン
キム・ミンジュン
セロ
ハリソン・フォード
メル・ギブソン
ニコール・キッドマン
キリアン・マーフィー
スティーブン・ドーフ
ピート・ポスルス・ウェイト
リヴァー・フェニックス
マシュー・モディーン
イーサン・ホーク
リブ・タイラー
スーザン・サランドン
アンディ・マクドウェル
アントニオ・バンテラス
レティシア・カスタ
ジョシュ・デュアメル
マイケル・ピット
エマニュエル・ベアール
イザベル・ユペール
アンナ・ガリエナ
モニカ・ベルッチ
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シャルロッ ト・ゲンズブール
ヴァンサン・カッセル
ロマーヌ・ボーランジェ
エルザ・シルベルスティン
ジュディット・ゴドレシュ
イレー ヌ・ジャコブ
ジュリー・デルピー
ジェーン・マーチ
アンヌ・ブロシェ
ほか多数



その他にも、作家、デザイナー、画家、建築家、科学者、政治家、実業家、アスリートなど、清水博孝さんがポートレートを手掛た著名人は、枚挙に暇がありません。





さて、それでは、お待ちかね、永見先生のポートレートです。





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やっぽり永見先生は、絵になると言うか、様 さま になります。





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永見隆幸
NAGAMI Takayuki


音楽家/著作家/舞台ディレクター
20代から30代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

ヘンデルなどのバロック・オペラや、モーツァルトの『魔笛』タミーノ、『コジ・ファン・トゥッテ』フェランド、『後宮からの誘拐』デルモンテや、ヴェーバー『魔弾の射手』マックスなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

ヴェルヴェット・ヴォイスのマエストロと称され、トリノ王立歌劇場やカーネギー・ホールなどに出演する。数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演をはじめ、常に脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『カーテン・アップ』グラン公爵役、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン Gershon 役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『ザ☆ブロードウェイ』バーディ・ウォリントン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感や抜群の表現力が高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO のリード・ヴォーカリスト Lead Vocalist。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。現在、新録音進行中。

東海地方においても活躍。芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。放送300回を超えて長寿番組となった毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

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美術にも造詣が深く、「目利き めきき」や「見巧者 みごうしゃ」と呼ばれている。
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清水さんがポートレートを撮った動物行動学者の日高敏隆さんや随筆家の山本夏彦さんを、永見先生がご存知だった事もあって、話は弾み、永見先生の欧米時代の恋愛事情や政治経済の話題にまで及びました。すっかり意気投合されたご様子です。


清水さんについて永見先生に伺ったところ、アーティスト 芸術家 の 感性と アルティザン 職人 の 技術を持ったフォトグラファーだそうです。ナチュラル、やさしい、繊細、透明感のある写真を撮るという評判は、全くその通りですが、撮られている本人の気付かない内面を抉 えぐり 出して見せる驚くべき技術も持合せていらっしゃるそうです。表面だけを飾ったような写真は撮らない印象を受けたとも仰 おっしゃ っていました。
気さくだけれども骨のある方なのだとか。


実に充実した 楽しい ひと時だったと御機嫌の永見先生。是非また機会を設けたいような口ぶりでいらっしゃいました。





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志摩観光ホテル ザ・クラシック 永見隆幸 再訪 三重 志摩 令和五年二月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 三重の志摩にある 志摩観光ホテル「ザ・クラシック」を再訪されました。



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志摩観のお部屋にて寛 くつろ がれる永見隆幸先生





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志摩観光ホテルは、昭和二十六年=1951年の開業以来、伊勢志摩、賢島の高台に戦後初の純洋式ホテルとして、皇族をはじめ、多くの賓客を持成して来た。
伊勢志摩国立公園内に位置し、「日本の夕陽百選」にも選ばれた英虞湾の夕景や、緑豊かなリアス海岸、真珠筏が浮かぶ日本の原風景を楽しむ事が出来る。
第五代 高橋忠之総料理長が生出した「鮑ステーキ」や「伊勢海老クリームスープ」などの「海の幸フランス料理」は ホテルの伝統料理として今も引継がれている。
耐震改装工事を経て「ザ・クラシック」に改名し、平成二十八年=2016年6月、リニューアルオープン。G7伊勢志摩サミット2016のメイン会場にもなった。


昭和大帝が初めて行幸あそばされたのは昭和二十六年=1951年11月。
翌年の正月に発表された御製
「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」
爾来5回に亘って行幸あそばされている。上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下におかせられても、行幸啓あらせられた。
故に、皇室御用達ホテルと称せられ、伊勢志摩の迎賓館と謳われている。
大勲位 安倍晋三総理大臣、オバマ米国大統領、EUで最も強力な権限を持つ欧州委員会委員長ジャン=クロード・ユンケル(第12代)、EU 欧州連合の元首に当る欧州理事会議長ドナルド・トゥスク(第2代)、文学者の三島由紀夫、芥川賞作家の井上靖ら、数多くの著名人が宿泊している。


志摩観光ホテル ザ・クラシックは、旧赤坂離宮の迎賓館本館や日生劇場などを手掛けた昭和を代表する建築家の「巨匠」村野藤吾が設計、60歳の折に竣工した代表作と言われている。


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村野藤吾 MURANO Togo
明治二十五年=1891年~昭和五十九年=1984年
日本建築家協会会長、イギリス王立建築学会名誉会員、アメリカ建築家協会名誉会員などを歴任。


志摩観光ホテル「ザ・クラブ」は、昭和十八年=1943年に村野藤吾の設計で建てられた三重の鈴鹿海軍工廠第一会議所の主要部分を移築改装し、昭和二十六年=1951年に建設された。ホテルのデザインは自ら手がけた「叡山ホテル」がモデル。
鈴鹿海軍工廠の建設に際しては、百五銀行頭取であった川喜田久太夫政令 かわきた きゅうだゆう まさのり 号 半泥子が、自邸「千歳山荘」の洋館と書院と共に、邸内に自生する大量の松の大木を海軍に献納、第一会議所の建物はこの時の松材を用いて建てられた。


小説家の山崎豊子も、昭和三十年=1955年より平成十九年=2007年まで、頻繁に志摩観光ホテルを利用した。映画化ドラマ化もされた『華麗なる一族』の舞台になったのが当ホテル。デビュー作『暖簾』から『白い巨塔』や『沈まぬ太陽』に至るまで、新作を執筆する際には必ず宿泊していたと言われている。





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チェック・イン check in される永見先生





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永見先生が仰 おっしゃ るには、格はあってもシンプルで物々しくないのが志摩観光ホテル。





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永見先生がお泊りになった御部屋「クラシック・アンバサダー Classic Ambassador」

村野藤吾の設計によるもので、家具なども含め、当時の姿を最もよく留めている部屋なのだそうです。


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部屋の内側から入口を見たところ





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パーラー・ルーム Parlor Room の デスク

永見先生お召しのモーニング・コート morning dress は、フォーマル用世界最高級ヴィンテージ生地と謳われる レッサー&サンズ H.Lesser & Sons のものを用いて、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。
縞ズボン striped trousers も同様に、1836年=天保六年(第百二十代 仁考天皇 江戸幕府第十一代征夷大将軍 徳川家斉)、ロンドンのボンドストリートで創業した世界最古のマーチャントであるホーランド&シェリー Holland & Sherry の生地を用いて服部晋さんが仕立ててくださいました。


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パーラー・ルーム Parlor Room の 応接セット


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寝室の入口から見た パーラー・ルーム Parlor Room





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寝室


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寝室の鏡台





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バスルーム bathroom の 洗面台


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浴槽 bathtub


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シャワー・ルーム shower room(左手奥)





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永見先生の御部屋「クラシック・アンバサダー Classic Ambassador」から見る英虞湾の景色


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ザ・クラッシックの「ラ・メール La Mer」が改修中のため利用できなかったので ザ・ベイスイートで御食事を召上る永見先生





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志摩観光ホテル「ザ・ベイスイート」のフレンチ・レストラン「ラ・メール La Mer」


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このディレクターズ・スーツも、最高級英国生地を用いて、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんに仕立てて戴いたものです。





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志摩観光ホテル「ザ・ベイスイート」のフレンチ・レストラン「ラ・メール La Mer」の永見先生





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アミューズ・ブーシュ amuse-bouche 生ハム 苺





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ラ・メール特製サラダ





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コーン・ポタージュ Potage creme de mais





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ラ・メール特製 鮑ステーキ





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ラ・メール特製パン





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松阪牛フィレ肉ステーキ トリュフ・ソース 





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フルーツ盛合





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御茶菓子 mignardises ミニャルディーズ





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永見先生はエスプレッソ espresso をダブルで注文されました。





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志摩観光ホテル「ザ・ベイスイート」の ラ・メールから眺める景色

左下に見られるのが 賢島大橋 かしこじま おおはし
英虞湾に浮ぶ賢島の入口に当る橋だそうです。





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志摩観光ホテル「ザ・クラブ」の入口

この入口は、志摩観光ホテル旧本館のエントランスに当る。


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ザ・クラブは、平成十八年=2006年頃まで宿泊施設として使われていたそうですが、現在は、カフェ&ワインバー「リアン Lien」、鉄板焼レストラン「山吹」 、茶室「愚庵」、伊勢志摩サミットギャラリーなどの入るパブリック・スペースとして用いられています。





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村野藤吾設計の階段 蹴上120mm 踏面350mm

開業時のホテルの玄関だった ザ・クラブ入口から2階へ上るこの階段は、移築した時にホテルに合せて作られたそうです。





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スイスのシイベルヘグナー SiberHegner & Co.製大時計


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昭和五年=1930年から昭和四十五年=1970年まで、近鉄の標準時計として活躍していたのだとか。





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2016年に開催されたG7伊勢志摩サミットの際、ザ・クラブの カフェ&ワインバー「リアン」における各国首脳のワーキングランチで使われたテーブルが、ロビーに展示されている。





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京都出身の和紙デザイナー堀木エリ子の手になる作品「光壁」

古来伝わる「透かし」の抄紙技術が用いられているのだとか。和紙に合せガラス加工し、和紙の質感を損なわぬよう、ガラス表面に無反射加工を施しているそうです。





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永見先生が腰掛けていらっしゃるのは 小説家 山崎豊子が執筆に用いた机と椅子


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志摩観光ホテル宿泊棟「ザ・クラッシック」とパブリック・スペース「ザ・クラブ」の境界になっている壁の装飾





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ザ・クラッシックの通路に掛けられている 小磯良平のエッチング 銅版画





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ミキモト MIKIMOTO





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宿泊客限定の ゲスト・ラウンジ Guest Lounge 入口





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ゲスト・ラウンジで軽食を済まされた永見先生


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ゲスト・ラウンジのリーディング・ルーム

永見先生の背後にあるのがリスニング・ルーム


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ゲスト・ラウンジで寛 くつろ がれる永見先生





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皇大神宮 永見隆幸 参拝 神宮 伊勢神宮 内宮 令和五年二月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 皇大神宮 こうたいじんぐう を参拝されました。


皇大神宮は、一般的に、神宮 内宮 ないくう の 正宮 しょうぐう と呼ばれ、親しまれています。


実は「神宮」が、伊勢神宮の正式名称です。ですから「神宮」と言えば、伊勢神宮のことなのです。
そして、内宮は「ないくう」と読み「ないぐう」と濁らないそうです。



誠に恐れ入りますが 「写真や画像やロゴ等の転載は厳禁」ですので ご了承ください。
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内宮 神楽殿にての永見隆幸先生





永見先生は、単に博識というだけではなく、豊かな見識や卓抜な洞察力をお持ちの芸術家です。神仏のことについても、誠に造詣が深くていらっしゃいます。ちゃんと把握できているか否か心許ないのですが、先生に教えていただいたことを基に本記事を書き進めて参りましょう。





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宇治橋の永見先生





第十一代 垂仁 すいにん 天皇 二十六年より、神路山 かみじやま、島路山 しまじやま の麓、五十鈴川のほとりに鎮まります 皇大神宮 こうたいじんぐう は、皇室の御祖神 みおやがみ であり日本人の 大御祖神 おおみおやがみ である 天照大御神 あまてらすおおみかみ をお祀りしています。
今から二千年前、皇位の 璽 しるし として受継がれる三種の神器の一つである 八咫鏡 やたのかがみ を御神体として伊勢の地にお祀りし、平安末期より、国家の守護神として崇める伊勢信仰が全国に広がったそうです。





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五十鈴川に架かる宇治橋


宇治橋は、全長101.8m、巾8.4mで、欄干の上に十六個の擬宝珠を据えた純日本風の反り橋です。床板や欄干は檜 ひのき で作られ、橋脚の部分は水に強い欅 けやき を用いるそうです。

宇治橋は、傷みが酷くなると修繕や架替えを行っていましたが、明治二十二年=1889年の第五十六回より、式年遷宮に合せて二十年に一度架替えられるようになり、今の宇治橋は、平成二十一年十一月三日に渡始式が行われています。
第二次世界大戦後の混乱によって第五十九回式年遷宮が昭和二十八年=1953年に延期されましたが、宇治橋だけは予定通り昭和二十四年に架替えられ、爾来 じらい、遷宮四年前の架替えが恒例になりました。

宇治橋の外側西と内側東に高さ7.44mの大鳥居が立っています。内側東の大鳥居は、内宮の旧正殿の棟持柱 むなもちばしら が、外側西の大鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱が用いられます。更に20年が経つと、内側東の大鳥居は鈴鹿峠の麓の「関 せき の追分 おいわけ」、外側西の大鳥居は桑名の「七里 しちり の 渡 わた し」の鳥居になります。正殿の棟持柱となってから、六十年の勤めを果たすのです。





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神宮 神苑 しんえん





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大正天皇陛下 御手植の松





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火除橋 ひよけばし





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内宮 一の鳥居





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火除橋の永見先生





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永見先生がお召しになっているチェスターフィールド・コート Chesterfield coat は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、世界最高と言われる英国フォーマル生地を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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正宮 しょうぐう 皇大神宮 こうたいじんぐう 御垣内 みかきうち 参拝をされる永見隆幸先生





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内玉垣南御門外の 御垣内参拝が出来る 永見先生の特別参宮章


伊勢神宮の正殿は、外から、板垣、外玉垣、内玉垣、穂垣、に囲まれています。一般参拝は、板垣を通って、外玉垣南御門外に掛けられている白い御幌 みとばり の前で行われます。

それとは別に、御垣内 みかきうち 参拝や 神宮特別参拝と呼ばれる正式参拝があります。
御垣内参拝には三種あり、参拝する場所が、内玉垣に近い順に、内玉垣南御門外、中重御鳥居際、外玉垣南御門内、と異なるそうです。

永見先生は、御正殿に最も近い内玉垣南御門外で参拝されます。
総理大臣と雖 いえど も、こちらより前では参拝することができないのだとか。



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霊気 れいき 満溢 みちあふ れる 神宮の杜 もり





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皇大神宮 神楽殿


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永見先生がお召しになっているモーニング・コート Morning dress は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、世界最高と謳 うた われるヴィンテージの英国フォーマル生地を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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御祈祷待合所の永見先生





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・御饌殿 みけでん(左)⼀般的な御祈祷「御饌 みけ」を⾏う。

・神楽殿 かぐらでん(右)奏楽や舞を伴う「御神楽 おかぐら」を行う。


宇治橋から正宮 皇⼤神宮に⾄る参道の中間地点、左側にある銅板葺 どうはんぶき、⼊⺟屋造 いりもやづくり の建物が、内宮 神楽殿です。





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神楽殿にて御神楽を奉納される永見先生





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御祈祷を受けられた永見先生


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参拝を済まされた永見先生





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御厩 みうまや の 神馬 しんめ

皇大神宮御料御馬 草新 くさしん





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永見先生が語りかけられると それに応えるような素振りを見せる草新号





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神宮参拝を済まされた永見先生の向われた先は「おかげ横丁」





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永見先生が注文された善哉 ぜんざい と 御薄 おうす





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この赤い釜は 三宝荒神 さんぼうこうじん 様の 依代 よりしろ なのだとか。


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永見隆幸 豊受大神宮 参拝 神宮 伊勢神宮 外宮 令和五年二月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 豊受大神宮 とようけだいじんぐう を参拝されました。


豊受大神宮は、豊受大御神 とようけのおおみかみ をお祀りしています。一般的に、神宮 外宮 げくう の 正宮 しょうぐう と呼ばれ、親しまれています。


実は「神宮」が、伊勢神宮の正式名称です。ですから「神宮」と言えば、伊勢神宮のことなのです。
そして、外宮は「げくう」と読み「げぐう」と濁らないそうです。





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永見先生は正式な御垣内 みかきうち 参拝をなさいます。





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神宮 内玉垣南御門外の 御垣内参拝が出来る永見先生の特別参宮章


伊勢神宮の正殿は、外から、板垣、外玉垣、内玉垣、穂垣、に囲まれています。
一般参拝は、板垣を通って、外玉垣南御門外に掛けられている白い御幌 みとばり の前で行われます。

それとは別に、御垣内 みかきうち 参拝や 神宮特別参拝と呼ばれる正式参拝があります。
御垣内参拝には三種あり、参拝する場所が、内玉垣に近い順に、内玉垣南御門外、中重御鳥居際、外玉垣南御門内、と異なるそうです。

永見先生は、御正殿に最も近い内玉垣南御門外で参拝されます。
総理大臣と雖 いえど も、ここより前で参拝することは出来ないのだとか。



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右側が外宮正宮の御垣内略図





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正宮 しょうぐう 豊受⼤神宮(左)古殿地 こでんち(右)


古殿地は、正宮と同じ広さがあり、前回の遷宮まで御殿が立っていた場所で、次の遷宮で社殿が造営される御敷地 みしきち
中央には「心御柱 しんのみはしら」を納めお守りするための覆屋 おおいや があります。心御柱は正殿中央の床下の柱で、古くから神聖なものとされ、大切にされているそうです。





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御祈禱待合所にての永見先生





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神楽殿





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永見先生がお召しになっているチェスターフィールド・コート Chesterfield coat も モーニング・コート Morning dress も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、世界最高と言われるヴィンテージの英国フォーマル生地を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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御祈祷待合室





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御祈祷を受けられるために昇殿される永見先生





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ミキモト MIKIMOTO 本店 永見隆幸 再訪 東京 銀座 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 東京 銀座にある宝飾店 ミキモト MIKIMOTO を再訪されました。



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宝飾店大手 ミキモト MIKIMOTO は、真珠の販売で世界一のシェアを誇ります。宮内省御用達。





【ミキモト MIKIMOTO 略年表】


1893年=明治二十六年:御木本幸吉翁が世界初の半円真珠養殖に成功。

1899年=明治三十二年:京橋区弥左衛門町に御木本真珠店を開店。

1902年=明治三十五年:御木本真珠店を京橋区元数寄屋町に移転。

1905年=明治三十八年:真円真珠の養殖に成功。

1906年=明治三十九年:御木本真珠店を京橋区銀座四丁目に移転。

1913年=明治四十三年:ロンドン支店を開設。

1921年=大正十年:宝石卸売業者組合が、フィガロ Le Figaro、ル・タン Le Temps、ル・マタン Le Matin、ル・ジュルナル Le journal 四紙に「ミキモトの真珠は模造品で販売が詐欺に当る」旨の広告記事を掲載。

1924年=大正十三年:原告の御木本パリ支店長ポールが「パリ真珠裁判」に勝訴。
御木本の真珠が人造偽物という情報の流布が準不法行為に当り、原告に損害を発生させたと認定された。
宝石卸売業者組合と代表者トロエンに、連帯して有罪判決が下されている。
被告に、本訴訟の費用、フィガロ、ル・タン、ル・マタン、ル・ジュルナル四紙および宝石卸業者組合の会報に本判決を掲載する費用、それらの支払いを損害賠償の名目で命じられた。
本判決においては、件 くだん の養殖真珠が厳密に天然真珠と同じか否かの判断を保留しているものの、「当該分野の自然科学者やそのほかの専門研究者の間では、いかなる者も日本真珠を模造真珠と形容することは許されないという合意が形成されている。」と述べられている。

1926年=大正十三年:ペンシルベニア州フィラデルフィアで開催された米国独立150周年記念万国博覧会に、1万2760個の養殖真珠を配 あしら った「御木本五重塔」を出品。

1933年=昭和八年:シカゴ万国博に「ワシントン生家」を出品。

1937年=昭和十二年:パリ万博に帯留「矢車」を出品。

1939年=昭和十四年:ニューヨーク万国博覧会に「自由の鐘」を出品。

1951年=昭和二十六年:三重県鳥羽市に御木本真珠島を開業。

1954年=昭和二十九年:創業者 御木本幸吉翁 逝去。

1972年=昭和四十七年:ミキモトへ社名改称。

2002年=平成十四年~2007年=平成十九年:ミス・ユニバースのメイン・スポンサーを務め、ミキモト製の王冠 パール・クラウン が用いられている。

2017年=平成二十九年:銀座のミキモト本店ビル建替えグランド・オープン。


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ニューヨーク万国博覧会に出品された「自由の鐘」と御木本幸吉翁(右)


現在、ミキモト MIKIMOTO は、東京、大阪、名古屋、神戸、鳥羽ほかに事務所を構え、ニューヨーク、コスタメサ、ラスベガス、ビバリーヒルズ、パリ、ロンドン、上海、北京、マカオ、香港、台北、バンコク、シンガポールなどに海外店舗を展開しています。





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永見隆幸先生とミキモト初代 御木本幸吉翁の胸像


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御木本幸吉 みきもと こうきち

世界で初めて真珠の養殖に成功し、真珠王と謳 うた われた。


1858年3月10日=安政五年一月二十五日、志摩国答志郡鳥羽城下大里町に生れる。幼名、吉松。

1878年=明治十一年、二十歳にして家督を相続、御木本幸吉と改称。

1880年=明治十三年、鳥羽町議会議員に選ばれる。幸吉、二十二歳。

1890年=明治二十三年、数学者、和算家、海軍少将、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候 きんけいのま しこう であった大日本水産会の 柳楢悦 やなぎ ならよし の紹介で、東京帝国大学の箕作佳吉と岸上謙吉を訪ね、学理的に養殖が可能なことを知り、両人の指導のもと、現在のミキモト真珠島である相島 おじま と 神明浦の二箇所で実験を開始。幸吉、三十二歳。

1893年=明治二十六年、初めて世界博覧会に天然真珠および真珠貝を出品。実験中のアコヤ貝の中に半円真珠の付着を発見。幸吉、三十五歳。

1896年=明治二十九年、所謂 いわゆる 半円真珠の特許と言われる特許第2670号 真珠素質被着法の特許を取得。

1898年=明治三十一年、明治大帝に厳選真珠五個を献上。

1905年=明治三十八年、真円真珠の養殖に成功。明治大帝が神宮(伊勢)に行幸あそばされた砌 みぎり、山田行在所にて拝謁の栄誉を与えられる。幸吉、四十七歳。

1906年=明治三十九年、緑綬褒章 受章。この年から毎年、宮内省調度寮より御用命を承る。幸吉、四十八歳。

1907年=明治四十年、明治大帝へ真円真珠の中から十二個を選んで献上。 特許第13673号 真珠素質被着法の特許を取得。

1911年=明治四十四年、昭憲皇太后陛下が二見浦にて養殖真珠採取を御覧あそばされる。

1916年=大正五年、特許第3002号 真珠素質被着法の特許を取得。

1918年=大正七年、全巻式と呼ばれる真円真珠の養殖技術完成、特許第33640号取得。

1920年=大正九年、多徳島郵便局 局長になる。幸吉、六十二歳。

1923年=大正十二年、昭和大帝が皇太子殿下であらせられた頃、ご成婚に際して皇太子妃殿下の洋装身具一切の御用命を承る。幸吉、六十五歳

1924年=大正十三年、母貝が子貝を生育てるための「仔蟲 しちゅう 被着器」の特許33640号外を取得。貴族院議員に互選される。宮内省御用達になる。幸吉、六十六歳

1926年=大正十五年、帝国発明協会より恩賜記念賞、名誉大賞牌を受ける。幸吉、六十八歳。

1927年=昭和二年、渋沢栄一の紹介状を携え、ニューヨーク郊外に住む発明王トーマス・エジソン Thomas Alva Edison の自宅を訪ねる。この会見における「自分に出来なかったものが2つだけある。一つはダイヤモンド、もう一つは真珠。貴方が動物学上不可能とされていた真珠を発明し、完成させたことは、まさに世界の驚異。」というエジソンの賛辞を、ニューヨーク・タイムズが取上げた。
勲四等瑞宝章 受章。幸吉、六十九歳。

1928年=昭和三年、秩父宮殿下ご婚儀に際して調度品制作。幸吉、七十歳。

1930年昭和五年、宮中晩餐会に発明家として招待される。高松宮殿下ご婚儀に際して調度品制作。幸吉、七十二歳。

1932年=昭和七年、伏見宮博義王殿下、真珠島に御成り。

1933年=昭和八年、秩父宮擁仁親王殿下、五ケ所養殖場に御成り。

1935年=昭和十年、東久邇聡子内親王殿下、多徳島に御成り。

1936年=昭和十一年、秩父宮殿下御夫妻、英国王戴冠式へ御成りに際し、冠と胸飾りの御用命を承る。

1937年=昭和十二年、貞明皇太后陛下、真珠島、鳥羽御木本邸へ行啓あそばされる。秩父宮殿下ご夫妻、多徳島へ御成り。幸吉、七十九歳。

1941年=昭和十六年、昭和大帝の母君にあらせられる貞明皇太后陛下より杖一杖を賜る。幸吉、八十三歳。

1947年=昭和二十二年、文部省発行 小学五年 国語 に掲載される。文部省発行 小学六年 科学 に掲載される。幸吉、八十九歳。

1949年=昭和二十四年、義宮殿下、多徳養殖場に御成り。三笠宮殿下、鳥羽御木本邸に御成り。中日文化賞を、真珠養殖事業による国際親善に対して受賞。幸吉、九十一歳。

1951年=昭和二十六年、昭和大帝 香淳皇后陛下が志摩の多徳 たとく 養殖場へ行幸啓あそばされた折、貞明皇后陛下より下賜された杖を持って桟橋までお出迎えする。幸吉、九十三歳。

1952年=昭和二十七年、高松宮殿下御夫妻、真珠島に御成り。幸吉、九十四歳。

1953年=昭和二十八年、当時皇太子殿下にあらせられた今上陛下が真珠島に行幸あそばされる。義宮殿下、真珠島に御成り。幸吉、九十五歳。

1954年=昭和二十九年、9月21日、逝去。享年九十六歳。
天皇皇后両陛下より金一封を賜る。
正四位勲一等に叙せられ、瑞宝章が贈られる。
戒名、真寿院殿玉誉幸道無二大居士。
御木本幸吉の出資と助言により建てられ、国の登録有形文化財に指定された鳥羽小学校校舎にて葬儀が営まれた。





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ミキモトのパール・クラウン(ミキモト真珠島 真珠博物館 蔵)

左:ミキモト・パール・クラウン 昭和五十三年=1978年制作 真珠872粒使用

右:ミキモト・パール・クラウンⅡ世 昭和五十四年=1979年制作 真珠796粒使用





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何処へ いらっしゃっても VIP待遇の永見先生


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熱田神宮 永見隆幸 参拝 令和五年一月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、熱田神宮にて御垣内 みかきうち 参拝をされました。

御垣内参拝は、拝殿内側 御神域にての参拝です。



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熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ 草薙神剣 くさなぎのみつるぎ の鎮座に始まるのだとか。第十二代 景行天皇 四十三年、日本武尊 やまとたけるのみこと は、氷上姉子神社 ひかみあねごじんじゃ の辺りで 尊の后 きさき になった宮簀媛命 みやすひめのみこと の許に神剣を留め置いたまま、鈴鹿山脈の東麓 とうろく 伊勢の能褒野 のぼの にてお隠れになりました。そして、宮簀媛命 みやすひめのみこと が神剣を熱田の地に祀られたそうです。


主祭神の熱田大神は、三種の神器の一つである草薙神剣 くさなぎのみつるぎ を 御霊代 みたましろ 御神体とされる天照大神のことです。


五神様 ごしんさま と称される相殿神 あいどのしん は、天照大神 あまてらすおおかみ、素盞嗚尊 すさのおのみこと、日本武尊 やまとたけるのみこと、宮簀媛命 みやすひめのみこと、建稲種命 たけいなだねのみこと


およそ六万坪の敷地を有す熱田神宮は、延喜式名神大社勅祭社に列せられています。式内社、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。境内境外には、本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社が祀られています。


近年では、明治大帝、大正天皇、昭和の帝、上皇陛下、今上陛下が、熱田神宮へ行幸あそばされました。


国宝の短刀「銘 来国俊 らいくにとし」や 国登録有形文化財「龍影閣 りょうえいかく」「又兵衛 またべえ」をはじめ、数え切れぬ程の文化財を所有しているそうです。龍影閣は、明治大帝が愛知県に行幸された折に造られたもので、二階の玉座は当時のまま保存されています。


これらは全て永見先生の受売りです。
言うまでもありませんが、先生は芸術文化全体に極めて造詣が深くいらっしゃいます。





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熱田神宮会館の梅は丁度見頃。


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桜もほころんでいます。





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熱田神宮 東門 大鳥居





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参道にて粛々と歩を進められる永見先生


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手水舎 てみずしゃ/ちょうずや/てみずや

永見先生は「ちょうずや」と読む方を好まれます。


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永見先生がお召の チェスターフィールド・コート Chesterfield coat も コートの下の モーニング Morning dress も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、最高級 英国生地を厳選して、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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手水舎にて身を清められる永見先生


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大楠

御神木
伝 弘法大師 御手植
保存樹 熱田四号 指定
樹齢 千年以上
樹高 20メートル 直径7.7メートル





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愈々 いよいよ 御垣内 みかきうち 参拝





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御垣内 拝殿内側 御神域にお入りになる永見先生


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玉串奉奠 たまぐしほうてん





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再拝 二拍手 一拝 の参拝作法





御供物の数々



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熱田大神宮 御神札





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御供物 おさがり





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神楽殿


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西楽所 にしがくしょ

切妻造 きりづまづくり 平入 ひらいり 檜皮葺 ひわだぶき


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貞享三年=1686年 江戸幕府 五代征夷大将軍 徳川綱吉により再建

幕府御用 大工頭 岡部又右衛門 施工


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空襲により多くの社殿が焼失した中で西楽所は戦災を免れた数少ない建物の一つ

祭事は 五月一日の舞楽神事と 五月八日の豊年祭


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熱田神宮の西楽所は龍影閣と並んで永見先生のお好きな建造物


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永見隆幸 熱田神宮 参拝 
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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和五年一月 その弐 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや を再訪されました。





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永見隆幸先生(右)柊家六代目女将 西村明美さん(左)柊家 玄関にて





永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、日本と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮し以外の選択肢が無いのかもしれません。


言うまでもありませんが、多方面の芸術文化に造詣が深い永見先生のお話を基に、この記事を纏めました。


京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊ったそうです。





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次の間の化粧室


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部屋の入口 次の間





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本間





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床の間の前に着座される永見先生





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付書院


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硯箱





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欄間にも趣があると永見先生





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漆塗りの風呂場 ~ ステンドグラスも楽しめます。

浴槽は高野槇





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二階の階段前





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お出ましになる永見先生 柊家 玄関にて


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柊家の玄関には、重野成斎 しげの せいさい の書額「來者如歸 らいしゃにょき」が掛けられています。


きた る者 帰るが如し。
柊家の三代目が揮毫して戴いたのだとか。柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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永見先生に伺ったところ、これは餅花 もちばな という正月や小正月に飾る縁起物だそうです。白膠木 ぬるで えのき 柳などに小さく切った紅白の餅や団子を挿すのだとか。その年の、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などを祈念して 拵 こしら えます。左義長 さぎちょう や どんど焼きと称される小正月の火祭りに焼いて食べると無病息災でいられるという言伝えもあるそうです。


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往時は入口から玄関まで人力車も出入していたので広々とした間口





柊家の本館は木造二階建の数寄屋造で、新館は現代的な和風の鉄筋三階建。

塀の周囲には駒寄せの柵が廻らされています。

京都 老舗旅館御三家 筆頭の呼声も高い柊家。

柊家は、昔、柊屋であったらしいという説もありますが、今は柊家。「屋」ではなく「家」です。

京野菜など四季折々の新鮮な旬の素材を厳選、腕によりをかけた京懐石も味わうことが出来ます。





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柊家の看板をご覧になる永見先生


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文政元年(第百二十代 仁孝天皇/江戸幕府第十一代征夷大将軍 徳川家斉)=1818年、福井から京に上った初代庄五郎が庄屋として京都に居を構え、運送業や鯖街道を下って入って来る魚を扱う海産物商を始めたのが柊家の始まりだそうです。

左京区にあって正式には賀茂御祖神社と称される世界遺産の下鴨神社、その境内にある比良木神社が柊家という屋号の由来です。邪気を祓う柊の木が自生する比良木神社に、初代庄五郎が深く帰依したのだとか。

二代目庄五郎を名乗った定次郎は、柊家政貫と号すほど、本業よりも刀の鍔 つば 目貫 めぬき の技に長じていました。街道沿いに店があって仲間の商人の求めに応じて宿も営んでいたので、文久元年(第百二十一代 孝明天皇/江戸幕府第十四代征夷大将軍 徳川家茂)=1864年、東海道の終点に位置する三条の地で旅籠を本業にしました。幕末には維新の志士が泊り、明治になってからは各大臣が定宿にしていたそうです。

三代目庄五郎の頃になると、明治政府の要人は言うまでもなく、皇族、公家、華族、文人墨客にも愛されるようになりました。大正天皇の即位式が京都で行われた折には、大臣が 挙 こぞ って柊家を利用したそうです。第一次世界大戦中には、東郷平八郎元帥をはじめ、軍人の定宿としても繁盛していたのだとか。

柊家の宿泊客には、政財界はもとより、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、正岡子規、宇野千代、林芙美子ら、各界の著名人が名を連ねています。特に、川端康成と三島由紀夫は、頻繁に利用していたらしく、柊家が別宅と言われるほどでした。海外からの来訪者も、各国の王族、政財界の重鎮、チャーリー・チャップリンや アラン・ドロンら、枚挙に暇 いとま がありません。





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ヴィキューナ Vicuna のオゥヴァー・コートも三つ揃も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。
ヴィキューナ Vicuna の ロング・コートとしては世界で一番丈の長いものかも知れないと、ある服飾専門家が指摘していました。永見先生の御意向で、ポケットをお付けにならず、ゆったりとしたカフもコートを一段と風格あるものしています。





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柊家の貸切風呂 浴室が二つあります。


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源定信『誠為寶』 

源定信とは、幕府世臣白河城主従四位下行左近衛権少将兼越中守源朝臣定信、即ち松平定信のこと。松平定信は、二十二、三歳の頃、田安家の家臣であった山本又三郎に狩野派の絵を学んだと伝えられる。
松平定信は、宝暦八年十二月二十七日=1759年1月25日、御三卿の田安徳川家の初代当主 徳川宗武の七男として江戸田安邸にて生れる。江戸時代後期の将軍補佐兼老中。久松松平定綱家第九代当主。江戸幕府第八代将軍 徳川吉宗の孫。幼名は賢丸、字は貞卿、号は旭峯、楽翁、風月翁、花月翁など。
安永三年=1774年、白河藩松平定邦の養子になる。安永四年閏十二月、従五位下上総介。天明三年=1783年 十月、陸奥白河十一万石 襲封、藩主となる。従四位下越中守。天明の大飢饉を切抜け、藩治の実効をあげて諸大名の間に名声が高まる。天明七年=1787年 六月、御三家一門、将軍家斉の実父である一橋治済 ひとつばし はるさだ などの推挙により老中首座になり、侍従に任じ、寛政の改革を推進。
寛政五年=1793年 七月、老中ならびに将軍補佐役を辞職、左近衛権少将 さこのえごんのしょうしょう に昇任し、家格も溜間詰 たまりのまづめ に昇格。再び白河藩政に心を砕いた。
幼少より大塚孝綽 たかすえ に師事、十二歳で己の信条を記した『自教鑑 じきょうかがみ』を著したのをはじめ、二百部にも及ぶ著作を残した。誕生から老中辞職までの自叙伝『宇下人言 うげのひとこと』、政 まつりごと の基本を説いた『国本論』、雅文随筆『花月草紙』、自選和歌集『三草集』、古書画や古器物を摸写編集した『集古十種』などが著名。
近代日本経済の父と謳 うた われる渋沢栄一 しぶさわえいいち が、松平定信を厚く敬愛していた事もよく知られている。
文政十二年=1829年 五月十三日逝去。享年七十二歳。守国院殿崇運社天誉保徳楽翁大居士。墓所は江戸深川の霊巌寺。後に伊勢 桑名の照源寺に装束と歯骨を斂める。辞世「今更に 何か恨みむ 憂きことも 楽しきことも 見果てつる身は」。





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永見先生に風呂場の案内をしてくださった柊家の男衆





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ピカピカ ツルツルではなく、こういう古色を帯びた質感にこそ趣があると仰 おっしゃ る永見先生。


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天井の一枚板


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浴室内の壁が大理石で浴槽は檜。明治時代末期に制作されたステンドグラス作品『大原女の図』が飾られています。





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日本初のステンドグラス作家と謳 うた われる 小川三知 おがわ さんち の作品『大原女の図』


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小川三知 おがわ さんち
日本初のステンドグラス作家。

慶応三年五月二十九日=1867年7月1日、静岡藩医 小川清斎の次男として生れる。
慶応三年生れには、夏目漱石、森鴎外、正岡子規らがいる。
小川三知は、医者になるべく上京し、東京大学の前身である第一高等中学校に入学。しかし、絵画への思いを断ち切れず、東京美術学校が設立されると、明治二十三年=1890年、次弟の剣三郎に家督を譲り、一高を中途退学して東京藝術大学の前身である東京美術学校日本画科に入学、橋本雅邦に学んだ。
小川三知の東京美術学校同窓生には、横山大観、菱田春草、下村観山、板谷波山らがいる。
明治三十三年=1900年、単身アメリカへ渡ってシカゴ美術院に入学、日本画教師をしながら装飾美術科で学ぶ。
明治三十四年=1903年、農商務省実業研究生となり、4年間、輸出漆器のデザインの研究を委嘱される。
明治三十七年=1904年、米国セントルイスの万国博覧会にて、日本政府の日本工芸館の仕事に従事。
明治三十八年=1905年、アーティスティック・グラス・ペインティング社に見習工として入社、ステンドグラス制作の修業を開始する。その後、ディトンのディトン美術硝子工場、オハイオ州コロンバスのフォン・ゲレヒテン美術硝子工場、ニューヨークのピッツバーグ板硝子会社、ゴーラム製作会社、ピッツバーグのウィレットスタジオ、セントルイスのカンジニール会社などでステンドグラス製作技術を習得した。
明治四十四年年十一月三日、満を持して帰国。依頼された慶応大学図書館の大ステンドグラス製作のため、同年十一月二十三日、代々木山谷にアトリエを構える。
大正二年=1913年 二月、板谷波山に誘われてアトリエを田端に移転、その工房は「小川スツヂオ」と呼ばれた。小川三知は、この小川スツヂオから次々と名作を世に送りだして行く。
昭和三年=1928年10月24日逝去。享年六十三歳。





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ステンドグラスと対をなすように、金彩を用いた魚の陶板画、四方連作皿三枚が配 あしら われています。これは、昭和三十八年に、名工 六世 清水六兵衛 きよみずろくべえ が、四代目柊家主人の西村善三さんに寄贈した陶板画だそうです。





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こちらは屋形船のような漆塗の浴室


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質量ともに定評のある柊家の朝食





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紅茶を淹れていただいて大層御機嫌麗しい永見先生


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柊家 玄関にて 永見隆幸先生(右)柊家六代目女将 西村明美さん(左)





永見先生は、「柊家の『古色 こしょく』とは、『使い込まれた質感の輝き』なのであって、『手垢 てあか に 塗 まみ れた不潔さ』などとは全く無縁です。自分は、それをレトロ感覚とは解さず、ノスタルジックにも捉えません。柊家は、過去の遺物では断じて無く、今も息づく日本の文化です。柊家の『古色 こしょく』は、歴史と伝統が放つ艶消の光。そう考えるのです。」と仰 おっしゃ います。


そして、「川端康成の『格はあっても物々しくない』という言葉が柊家の本質を表して過不足ない」と付加えられました。





鋭い感性と卓越した審美眼をお持ちの永見先生でなければ理解出来ない柊家の世界があるに違いありません。
及ばずながら、少しでも先生に近づく事が出来るように精進しようと、改めて決意しました。





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柊家にまつわるエピソードを色々教えてくださる柊家六代目女将 西村明美さん(左)


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熱心に耳を傾ける永見先生(右)





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雨露さえ凌ぐ事が出来れば、泊るのは、どこでも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ います。
しかし、先生を招聘 しょうへい する側の方々が、そういう訳には行かないと、然るべき宿を探してしまうのだとか。





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令和五年一月 京都 麩屋町


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伏見稲荷大社 永見隆幸 再訪 京都 深草 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が 京都の深草にある 伏見稲荷大社 ふしみいなりたいしゃ を参詣されました。



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伏見稲荷大社 外拝殿 げはいでん 入母屋造 いりもやづくり 国指定 重要文化財

天保11年=1840年(江戸時代:第百二十代 仁孝天皇/江戸幕府 第十二代 征夷大将軍 徳川家慶)建立





いつものように永見先生に伺ったお話をもとにこの記事を纏めています。
芸術文化に造詣の深い事は言うまでもなく、先生は本当に何でもよくご存じで、尊敬措く能わざる芸術家でいらっしゃいます。





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伏見稲荷大社 第二鳥居 にのとりい と 楼門


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日本全国に三万社余あると言われる稲荷社の総本宮が伏見稲荷大社です。
奈良時代 和銅四年=711年2月初午 はつうま に、伊侶巨秦公 いろこのはたのきみ(秦伊呂具 はたのいろぐ)が勅命を受けて創建したとされています。





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御祭神である 稲荷大神 いなりのおおかみ 五柱

宇迦之御魂大神 うかのみたまのおおかみ 中央座の下社に鎮座
佐田彦大神 さたひこのおおかみ 北座の中社に鎮座
大宮能売大神 おおみやのめのおおかみ 南座の上社に鎮座
田中大神 たなかのおおかみ 最北座の下社摂社に鎮座
四大神 しのおおかみ 最南座の中社摂社に鎮座

五柱の かみさまを 一宇相殿 いちうあいどの に奉祀。

一宇相殿とは、一棟の建物に二柱 ふたはしら 以上の かみさまを合せてお祀りする事です。





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永見隆幸先生と伏見稲荷大社の楼門


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永見先生が企画、立案、プロデュースされた「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」に、伏見稲荷大社の本大斎祀式 御神璽 おみたま を 勧請 かんじょう されています。


伏見稲荷大神の御分霊 わけみたま である 御神璽 おみたま を授かって守護神として祀ることを、稲荷勧請 いなりかんじょう や 御神璽勧請 おみたまかんじょう と称します。
御神璽の神徳については、色々なことが言われていますが、伏見稲荷大社に祀られている親神様と何ら変らないそうです。





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伏見稲荷大社 楼門 ろうもん 国指定 重要文化財 天正十七年=1589年 豊臣秀吉 造営


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伏見稲荷大社の楼門 ろうもん は、正門に当り、京都市内の神社の楼門の中で最も古く最も大きいのだとか。





勘違いしている人をよく見かけますが、稲荷神社は狐を「かみさま」として祀っているのではありません。
稲荷神 いなりのかみ の 使いが 白狐 びゃっこ で、その白狐も人の目には見えるものではなく、野山を駆回る狐とは異なります。
永見先生が仰 おっしゃ るには、伏見稲荷大神の神徳は広大無辺。悪意を以て酷いことをする輩ならいざ知らず、庶民を虐 しいた げる事があろう筈はなく、狐の祟 たた りなどとも全く無縁だそうです。
かみさまではなく人間が創作した物語を全て真に受けてはいけないようですね。





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楼門に掛る 伏見稲荷大社の 神額 しんがく


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永見隆幸先生が 企画 立案 プロデュースされた「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」の 両部鳥居に掛る 神額

この御神額は、橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠を筆頭に、福善堂坂井看板店さんや指物益田さんら、腕利きの江戸職人が大勢携わって出来上ったものです。





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国指定 重要文化財の 伏見稲荷大社 外拝殿 げはいでん

永見先生が手にしていらっしゃるのは御祈祷のおさがり「御神饌」





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伏見稲荷大社 内拝殿 ないはいでん 国指定 重要文化財


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左:本殿
右:内拝殿 ないはいでん





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伏見稲荷大社 本殿 国指定 重要文化財


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伏見稲荷大社本殿(国指定 重要文化財)背後





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伏見稲荷大社 両宮社 主祭神は天照大御神と豊受皇大神

元禄七年=1694年造営 二間社見見世棚切妻造 檜皮葺 国指定 重要文化財


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永見先生が御祈祷にて受けられた御神札





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御祈祷の御供物 御神饌 所謂 いわゆる おさがり





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伏見稲荷大社のホームページより
御本殿(左)内拝殿 ないはいでん(右)ともに 国指定 重要文化財





永見先生は、神宮(伊勢神宮)や 明治神宮へも参詣なさいますし、龍谷山、高野山、比叡山、成田山、ほかにも縁のあるところにはお出かけになられます。狭い教義や些末な拘りや因習に囚われず、おおらかに人々の豊かな生と幸を祈るという姿勢を貫かれているところが素晴らしく、先生の大きな魅力の一つになっています。





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永見隆幸 伏見稲荷大社参詣 京都 深草
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御神璽勧請 本大斎祀式 稲荷勧請


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