柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和四年七月 [永見隆幸先生information]
音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや に再び滞在なさいました。
永見隆幸先生(左)柊家六代目女将 西村明美さん(右)
永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮らし以外の選択肢が無いのかもしれません。
京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊りました。
柊家の玄関
重野成斎 しげの せいさい の書「來者如歸 らいしゃにょき」
来 きた る者 帰るが如し。
柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。
重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう。
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。
永見先生お召の英国製「麻 linen」生地を用いた三揃は、昭和大帝、上皇陛下、今上陛下の三代に亘り 天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。
柊家の応接間
机上のオブジェ
京都の硝子作家である荒川尚也の作品に柊家オリジナルお香立を 配 あしら ったもの
こういう感覚が抜群と永見先生激賞
訶梨勒 かりろく
永見先生にお聞きしたところ、訶梨勒 かりろく は、新年、慶事、茶席などにて飾られる縁起のよい香袋なのだとか。室町時代の柱飾りだそうです。昔から、訶梨勒(訶子 かし)の実は薬用に供されており、魔除けや厄除けとして、訶梨勒の実を袋に入れて柱に飾ったのがはじまりと言われています。
今回の永見先生のご宿泊は 川端康成が よく 奥方と二人で逗留した十四号室
川端康成が執筆に当るのは十六号室、一人で滞在の時も十六号室に泊ることが多かったのだとか。
本間十畳と次の間四畳の伝統的な数寄屋造の座敷で、最も古く、江戸時代にできた部屋だそうです。
次の間
本間
付書院
硯箱
柊家特製「臘月 ろうげつ」
本間にて寛 くつろ がれる永見先生
早速ご挨拶にお越しくださる柊家六代目女将の西村明美さん(右)永見先生(左)
この部屋の庭も永見先生のお気に入り
暫くすると燈籠 とうろう に 灯 あかり が 点 とも りました。
入側の突当りにミニ・カフェ・コーナー
左側が御手洗~ 奥が洋式で手前が和式
右奥が洗面所
御手洗前の障子窓
御手洗前の窓から見える庭の景色
洗面所
漆塗の風呂場 配 あし らわれ ている柊の模様
高野槇 こうやまき の浴槽
夕食は、柊家のご厚意で、新館にてお召上りになりました。
先付
食前酒 招穂 純米吟醸 夏の酒 生貯蔵酒
雲丹 玉蜀黍 トウモロコシ 擂流 すりながし
毛蟹 海素麺(ウミゾウメン/海ぞめ) 生姜酢車厘 ぜりぃ
椀
鱧吉野 蓮根 三度豆 柚子 梅肉
造里
甘鯛 煎酒 いりざけ
鮪 米 玉葱 たまねぎ 海苔
焼物 鮎 あゆ 丸十 新銀杏 飯蒸 田中唐辛子 山椒 さんしょう 垂 たれ
八寸
鱧子玉締 石川芋 枝豆 車海老
鰻冊 うざく
巨峰白和 しらあえ
凌 しのぎ 桃 葛素麺 旨出汁
煮物 太刀魚 縞綱麻 モロヘイヤ 千両茄子 鬼下 おにおろし 一味
食事 大葉御飯 新潟魚沼産越光 コシヒカリ 梅肉
香物 こうのもの 水茄子 青瓜
赤出汁 蓴菜 ジュンサイ 粉山椒
料理が美味しいので、永見先生が花板さんの名前を中居さんにお聞きになったら、ご丁寧に、お名刺をいただいたそうです。
柊家の料理長は岩山泰久さん
水物
果物
無花果 いちじく 甜瓜 メロン 麝香葡萄 マスカット
梅
永見先生が夕食を召上ったお部屋の洗面所
お食事が済んでお泊りの部屋に戻られます。
欄間
食後のお茶の用意
永見先生のお部屋に射込む朝の光
硯箱
朝の中庭を愛でる永見先生
柊家のご厚意で、朝食も、昨晩と同じ新館のお部屋をご用意してくださいました。
水を地下から汲上て循環させているのだとか。
京都に欠かせぬ水を 設 しつら えとして可視化させ 意匠としても素晴らしいと永見先生
坪庭の蹲 つくばい
旭日 きょくじつ に照らされて夜とは異なった表情を見せる床の間
朝御飯 質量ともに極めて満足と永見先生
湯豆腐の桶は 人間国宝 中川清司作
中の豆腐は平野とうふ製
豆腐と共に温められる湯豆腐の汁 つゆ
薬味もたくさん
湯波半老舗の湯葉
蜆汁 しじみじる
御飯の御菜 おかず も盛沢山
香の物
焼海苔
醤油差
お櫃 ひつ
永見先生が朝のデザートがわりに召上るオレンジ・ジュース
永見先生の出立 しゅったつ 前にお部屋で出してくださった冷し飴
柊家六代目女将の西村明美さんが、永見先生のお発ちになる前にお目にかけようと、古い資料を仕舞わずに用意して待っていてくださいました。
右端「第一公式鹵簿京都御所御苑内御進行之光景」と読めます。
左端「今上陛下」右端「秩父宮雍仁親王殿下 仝 どう 勢津子妃殿下」と読めます。
永見先生によると、今上陛下とは昭和大帝、御即位の御大礼に関する資料に間違いないそうです。
女将の指している写真は当時の京都駅の光景
奉祝電車や提灯行列の写真
女将が指し示しているのは往時の柊家の写真
永見先生によると、その上の書状は次のように読めるそうです。
柊家
大禮 御幸ノ節
其ノ旅館ノ供奉員
宿舎ノ指定儀事
昭和三年十月十一日
宮内省
註)供奉員 ぐぶいん:皇室の外出にお供する宮内省関係者
今上(昭和天皇)陛下 御即位 御大礼の行幸に際し、柊家を宮内省関係者の宿舎に指定する。
簡単に現代語訳すると、こんなところでしょうか。柊家クラスにおいて、宮内省関係者とは、間違いなく大臣級ということでしょう。
旅館サービス讀本 昭和十三年=1938年 京都市観光課発行
この旅館サービス読本では、歴史性、精神性、文化性、美術性、自然景観を京都の特性として挙げ、京都は、国内随一の精神都市、文化都市、そして世界的な観光都市と謳 うた われていると記載。
冒頭には「貴方のイメージが京都のイメージに繋がる」と記されており、実質的に昭和初期から行政が おもてなしの指揮を執っていたように思われます。
貴重な生の資料を目の当りにして永見先生も感激していらっしゃいました。
柊家のタオルに包 くる んで何やら手渡された永見先生
飲料水を凍らせたもの
そして塩飴も ~ 熱中症にならないようにという思い遣り
永見先生が仰 おっしゃ るには、「こうした配慮は、子を護る親心の如き心配りのように思います。柊家の玄関に掲げられている『來者如歸 らいしゃにょき』の精神、つまり、客人が我が家に帰って来たように感じる飾らぬ持成 もてな しが、柊家では、至るところで実践されていると自分は考えるのです。それは、川端康成の『昔から格はあっても、ものものしくはなかった。』という柊家評に繋がるのではないでしょうか。」
永見先生(左)を お見送りくださる柊家六代目女将の西村明美さん(右)
柊家 永見隆幸 再訪
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旅館 京都 麩屋町
柊家 旅館 京都 麩屋町
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