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橘右之吉 揮毫 角大師 大入袋 永見隆幸 元三大師 慈恵大僧正良源 [永見隆幸& UNOS]



橘流寄席文字書家で、江戸文字の大家と謳われる橘右之吉さんが、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督 永見隆幸先生の依頼を快くお引受けいただき、角大師を揮毫 きごう してくださいました。



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揮毫なさった角大師をお持ちになる橘右之吉さん(東京都文京区湯島の工房にて)





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丁寧に梱包されて送られて来た角大師


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角大師についても、書かれている文言 もんごん についても、知識すら全くありませんでしたので、永見先生に伺いました。



Q:角大師とは何ですか。

A:比叡山延暦寺の高僧、良源大僧正の別称です。貞観二年=984年に疫病が流行した折、自ら鬼の姿に身を変えて、疫病を退散させたという説話があります。その時に角が生えたという言い伝えから角大師とも称されているのです。


Q:なぜ角大師の揮毫をお願いされたのですか。

A:コロナの影響で閉塞感が漂う今、お世話になっている方々に何か意味のあるものをお送りしようと考えていました。アマビヱもよいですが、もう少し現実的なものを選びたいし、比叡山の角大師の御札も選択肢の中に当然ありましたが、宗教的なものを避けられる方もいらっしゃるので、どうしたものかと思案しておりました。そんな時に偶然、橘右之吉師匠の Twitter に行当りまして、師匠が描いてらした角大師を拝見し、「これだ!」と、膝を打ったのです。


Q:なぜ橘右之吉さんの角大師をご覧になって、これだと思われたのですか。

A:御札の角大師は、異形 いぎょう ではあるものの、余りリアリティを感じられなかったのですが、右之吉師匠の角大師は確かに鬼でした。説話に、目はぐりぐりと丸くなり、耳まで口が裂け、角も生え、骨と皮ばかりの鬼の姿に変ったとあるのですが、その点も、よく描かれていると思います。しかも、その鬼の姿に、良源師が疫病に苦しむ人々を救わんとする強靭な意志さえも感じ取ることができたのです。
江戸文字を生業 なりわい にしていらっしゃる方は、自分が思っていたよりも多いのですが、以前から師匠の字が格別に好きだったこともあるでしょうね。
師匠の Twitter には、ご自身で書かれたコロナの文字が、鋭い鋏か何かで真っ二つに切裂かれていました。書家にとって文字は魂、武士の刀に例えてもよいでしょう。自ら書いた文字を真っ二つに切裂いた師匠の強い思いも本物だと深く感じました。


Q:江戸文字を生業 なりわい にしていらっしゃる方は、先生が思っていたよりも多いとおっしゃいましたが、何故その中で橘右之吉さんの江戸文字が格別にお好きなんでしょうか。

A:一言で言うと、風格と品位でしょうね。師匠の字は、堂々としていますが、押付けがましくない。力強いのに、力みがない。きっちりした線でも、柔らか味があって、決して生硬 せいこう にならない。繊細な線で描かれても、弱弱しくない。歴史と伝統を踏まえながら、アシンメトリーの均衡なども見事。手仕事の味わいが凝縮されており、筆舌に尽し難い趣があるのです。
言霊 ことだま という言葉がありますが、右之吉師匠の字を拝見していると、文字にも文字霊 もじだま のようなものがあるのではないかと感じます。名は体を表すと言いますけれども、字は人となりを表すものだと信じています。





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橘右之吉さん揮毫の角大師を手にして喜ばれる永見先生





Q:「出楞嚴定 降魔伏邪」を判り易く説明していただけますか。

A:勇猛堅固な三昧である首楞嚴定 しゅりょうごんじょう を成就された慈恵大僧正は、悪魔を抑え鎮めて邪鬼をひれ伏させる。


Q:三昧とは何ですか。

A:心を一処 ひとところ に留めて、静かで安らかな動じない状態になることです。瞑想によって精神の集中が深まり切って安定した状態を指して言います。無我の境地に近いと言ってもよいでしょうか。


Q:首楞厳定とは何ですか。

A:śūraṃgama-samādhi の訳、首楞厳三昧 しゅりょうごんざんまい の事です。第十地の仏と菩薩が得る三昧で、優れた将軍の軍隊を率いるが如くに一切の三昧が随従し、転輪聖王 てんりんじょうおう の強敵を降伏させるが如く悪魔を平伏させる、勇猛堅固な三昧です。菩薩がこの三昧に入ると、貪欲 とんよく、瞋恚 しんに、愚痴 ぐち の、三毒の煩悩が消え去る程の功徳をもった三昧と言われています。「徹底して自分自身の思うが儘にする」という随自意三昧が成就すれば首樗厳定を得るとも言われます。
大乗仏教における般若波羅蜜の実践は極めて厳しい修行で、必然的に気力溢れる烈しい性格の禅になりました。この激しい修行を支えるものこそ勇健三昧とも訳される首楞厳三昧なのです。「śūra」とは、勇気ある戦士の意で、成仏 じょうぶつ という大望を抱く菩薩に例えられます。菩薩には厳しく激しい修行を成遂げる不撓不屈 ふとうふくつ の精神が不可欠で、その精神を湧立たたせる三昧が首楞厳定という訳です。


Q:転輪聖王とは何ですか。

A:統治の輪を転がす王、即ち、四天下を統一して正法をもって世を治める王という意味です。この転輪聖王が世に出る時は、天の輪宝 りんぽう が現れ、その先導によって、武力を用いずに世界を平定するとされます。言わば、理想の帝王です。仏の代名詞とされることもあります。優曇華 うどんげ は、如来や転輪聖王が出現した時にだけ花開くと言われたそうです。


Q:「大悲化身 悪厄退散」を判り易く説明していただけますか。

A:生きとし生けるもの全てを救済せずにはおかぬという菩薩の大いなる慈悲により、人に姿を変えてこの世に現れた慈恵大僧正が、不吉な禍事 まがごと を散り散りに消し去る。





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次の文章は、永見先生に伺った角大師の話を纏め、私が理解できなかったところを山田恵諦『元三大師』などの資料を参考にして補い、先生に手直ししていただいたものです。





『角大師の御札 つのだいしのおふだ


貞観 じょうがん 二年のある夜、良源様が唯お一人、居室に端坐 たんざ して止観 しかん を行じておられますと、一陣の風が巻起り、怪しき影が現れました。
「そこに居るは何者ぞ。」と、お訊 たず ねになりますと、「疫病 えきびょう を司る厄病神 やくびょうがみ。いま疫病が天下に流行し、貴方様も罹 かか らねばなりませぬ。御身体を侵 おか しに参りました。」と申します。

「疫病の神とな。我もまた逃れられぬか。唯円教意 ゆいえんきょうい 逆即是順 ぎゃくそくぜじゅん と言う。何 いず れの処にか逆境やあらん。因縁を逃れ得ぬも止むを得まい。これに憑くがよい。」と、小指を差出されました。
厄病神が触れるや、良源様は、忽 たちま ち熱を発し、堪え難い苦痛を覚えられたので、心を寂静 じゃくじょう に澄 すま し、円融 えんにゅう の三諦 さんたい を観じて弾指 だんし せられると、弾き出された厄病神は、伏し転 まろ びながら逃げ失せます。

良源様の苦痛は、忽 たちま ち恢復 かいふく せられました。「僅 わず かに一指を悩めるさえ、かような苦しみを覚ゆる。全身を侵 おか されながらも逃るる術を知らぬ人々を、何としても、一刻も早く救わねばならぬ。」と、思 おぼし 召され、夜明けを待たずに弟子達を集められました。

「鏡を持て。我が姿を写す故 ゆえ、心ある者が写し取れ。」と、お命じになられた良源様は、小判形の姿見の前に座を占められ、観念の眼 まなこ を閉じ、静かに禅定 ぜんじょう に入られます。すると、見る間に痩せこけて肋骨 あばらぼね が浮き、目はぐりぐりと丸くなり、耳まで口が裂け、角も生え、骨と皮ばかりの鬼の姿に変化 へんげ なされました。

弟子達は、恐ろしさの余り、その場にひれ伏してしまいましたが、明普 みょうしん 阿闍梨 あじゃり だけは、気丈な上に絵心第一、恐るることなく、鏡に映った良源様の姿を見事に写し取りました。

禅定からお出ましなされた良源様は、それを御覧になり、「これでよい。直ぐ版木におこし、御札に摺れ。」と、お示しになられます。
摺り上がった御札に、御自 おんみずか ら開眼 かいげん の御加持を施され、「早く戸口に貼るよう、皆に申し付けよ。邪鬼は怖れをなして寄りつかず、疫病はもとより一切の厄災を逃るる事が出来る。」と、仰せつけられました。

病に罹 かか った人々は、護符のおかげで程なく快癒 かいゆ。天下に流行した恐ろしい疫病も、忽 たちま ち消え失せました。爾来 じらい、この御札を角大師と称 とな え、御利益をいただいているのであります。


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註壱)貞観 じょうがん 二年は、西暦984年。

註弐)唯円教意 ゆいえんきょうい 逆即是順 ぎゃくそくぜじゅん とは、「究極の完全な教えにおいては、この世における順逆は、結局、仮の姿であって、逆も順も区別なく、実は、同じである。」の意。

註参)円融 えんにゅう の三諦 さんたい を観じるとは、「一切の存在には実体が無く空であるとする空諦、一切の存在は因縁によって仮に生起するものであるとする仮諦、空諦と仮諦に執着せずに超越して存在している根源的なものとしての中諦、その三諦が円融無碍 えんにゅうむげ であること。即ち、三つの真理が互いに融け合い、尚且つ、それぞれ立場を保ちつつ妨げにならずに成立している事を、心静かに瞑想して悟る。」の意。

註肆)禅定 ぜんじょう は、サンスクリット語でディヤーナ dhyāna、パーリ語でジャーナ jhāna。心の動揺が無くなった状態。精神を集中して三昧に入り、寂静の心境に達すること。

註伍)開眼 かいげん とは、新たに作られたものに仏の魂を迎え入れて供養すること。





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角大師を手にして喜ぶ 桜井ゆう子(中:脚本 演出 振付)安藤麻実(左:演出振付助手)加藤雅之(右:制作)





そして何と、橘右之吉さんは、メリー・アーティスツ・カンパニー専用の「大入袋」も揮毫、制作してくださいました!



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メリーの大入袋を貰ってくださる方々に、少しでも「福」と「幸」をお届け出来ればと、誂えていただきました。



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見事な出来栄えの大入袋にご満悦の永見先生

白抜きで描かれた大らかな「大入」の文字も、もちろん右之吉師匠の揮毫 きごう です。
舞台が 當 あた って大入になるように、大入が 叶 かな うように、「當」と「叶」の字が配されています。そして、極付 きわめつけ の締めは、右之吉師匠の銘の「吉」という字の落款。
何とも粋ですね。



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彬子女王殿下におかせられては、「和樂 わらく」という雑誌において橘右之吉さんを取材あそばされ、イノリノカタチ「消し札」と題した記事を掲載なされました。 その資料も同封してくださっています。



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鄭重な直筆の手紙も添えられており、橘右之吉さんのお人柄が偲ばれます。





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橘右之吉
TACHIBANA Unokichi

橘流寄席文字 江戸文字 書家
昭和25年=1950年 東京に生れる。
昭和40年=1965年 橘流寄席文字家元の橘右近に師事。
昭和44年=1969年 正式な継承者として橘右之吉の筆名を認可される。
昭和50年=1975年 株式会社文字プロを設立。
平成22年=2010年 湯島天神前にオフィス兼工房の株式会社UNOSを構える。
平成25年=2015年 文京区伝統工芸会より「文 ふみ の京 きょう 技能名匠者」に認定される。
令和2年 = 2020年 月刊誌「銀座百点」に『右之吉文字かたり』を連載。

主な作品や筆耕歴は、国立劇場や国立演芸場のポスター、湯島天満宮、柴又帝釈天、浅草鷲神社、浅草神社、中村勘三郎丈襲名招木 まねき、坂東三津五郎丈襲名祝掛行灯、中村勘九郎丈襲名記念飾絵馬群、平成中村座ニューヨーク公演ベルリン公演スペイン公演等 揮毫実演、坂東彌十郎丈欧州公演 揮毫実演、永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー大看板、永見隆幸招木 まねき、ほか多数。

個展は、「橘右之吉の世界展」東京新宿住友ビル 夢ギャラリー、オーストリアのウィーンで開催された「橘右之吉因維納」 "Tachibana Unokichi in Vienna" など。江戸開府400年記念作品展「江戸のタイポグラフィ展」アド・ミュージアム東京にも参加している。

題字や装丁も、なぎら健壱『東京の江戸を遊ぶ』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝創作落語大全集』(メディアクラフト)題字、『中村勘三郎、襲名!特集』和樂(小学館)タイトル題字、澤田隆治『決定版 上方芸能列伝』(ちくま文庫)装丁と題字、桂三枝『桂三枝の上方落語へいらっしゃ~い』(コミックヨシモト)タイトル題字、福田和子『吉原はこんな所でございました』(ちくま文庫)装丁とタイトル題字、沢村貞子『私の浅草』(平凡社)装丁とタイトル題字と後書きエッセイ、ほか多数。

NHK「美の壷 - 浅草」、木村和久「江戸文字」週刊宝島、「モノが伝える中村勘三郎襲名披露」ぴあ月刊カラフル、浅原須美「粋に遊ぶ」助六 二玄社、堀口葉子「パソコンには奪えぬ仕事」フジサンケイ ビジネスアイ、NHKBSハイビジョン「襲名 坂東三津五郎」、NTV 阿藤快「ぶらり途中下車の旅」、BS11 大人の自由時間「なぎら開宝計画」、monoスペシャル「職人モノ No.2 - 洒落と縁起が込められた寄席文字・江戸文字 橘右之吉」ワールド・ムック851 ワールドフォトプレス 平成23年、丸若屋×井浦新「美しい手が生み出すモノたち 寄席・江戸文字/橘右之吉」ハースト婦人画報社 ELLE DECOR 日本版2013年8月号、山崎真由子「職人の手 16 PROFESSIONAL STORIES - 江戸文字 橘右之吉」KTC中央出版、彬子女王「イノリノカタチ 消し札 - 橘右之吉」和樂 2020年2/3月号 小学館など、数多くのメディアに取上げられている。





浅草寺本堂正面の大提灯「志ん橋」の江戸文字も、橘右之吉さんの揮毫によるものです。


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江戸時代に書かれていた提灯の文字を再現して欲しいという依頼を受け、資料の乏しい中、安藤広重の浮世絵に描かれた提灯「志ん橋」を参考にしつつ、橘右之吉さんが見事に再現されました。

令和二年四月、新品に掛替えられたばかりです。





歌舞伎役者ら、舞台人の招木 まねき も多く手掛けていらっしゃいます。



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十八世 中村勘三郎丈の招木 まねき



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十八世 中村勘三郎丈



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慈恵大僧正良源、元三大師について永見先生から伺った話を纏めてみました。

厳しい修行を耐え抜く胆力の据 すわ った人でもあったし、死してなお都を守らんと鬼門中の鬼門に自らの墓を決めるなど、当時の人にとっては、常識を遥かに超えた大きな人物だったのではないかと永見先生はおっしゃっていました。そういう超人的な力を示した良源大僧正が往時の人々には非常に頼もしく映ったに違いないので、それが庶民の元三大師、角大師信仰に結びついて行った一因なのではないかと推察されているようでした。

永見先生は、本当に何でもよくご存知で、単に博覧強記と言うだけでなく、豊かな見識や鋭い感性をお持ちなので、造詣が深いと申し上げるほか、表現の仕方が見当りません。
敬服 けいふく く能 あた わざる方だと、心から畏敬の念を抱いております。





『慈恵大僧正良源 じえ だいそうじょう りょうげん



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慈恵大師坐像 法界寺 国指定重要文化財 鎌倉時代 13世紀半



延喜 えんぎ 十二年九月三日= 912年10月15日 ~ 永観 えいがん 三年一月三日= 985年1月26日

平安時代における天台宗の僧。第十八代 天台座主 てんだいざす。比叡山の伽藍 がらん の復興、天台教学の興隆、山内 さんない の規律の維持など、様々な功績から、延暦寺 えんりゃくじ 中興の祖として尊ばれている。四哲と呼ばれる恵心僧都 えしんそうず 源信 げんしん、慈忍尊者 じにんそんじゃ 尋禅 じんぜん、檀那僧正 だんなそうじょう 覚運 かくうん、兜率僧都 とそつそうず 覚超 かくちょう をはじめ、座主を歴任した明救、聖救、院源、暹賀ら、門下三千人と謳 うた われた。永観 えいがん 三年= 985年に遷化 せんげ、「慈恵 じえ」と勅諡 ちょくし された。正月三日に入寂 にゅうじゃく した故に、元三 がんざん 大師の通称でも親しまれる。遺誡 ゆいかい は、「先ず他人 ひと を立て 自らを後にすべし」。



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慈恵大師坐像 曼殊院 国指定重要文化財 文永五年=1268年



承平 じょうへい 七年= 937年、興福寺の維摩会 ゆいまえ で元興寺 がんごうじ の義昭を論破。応和 おうわ 三年= 963年には、応和の宗論 しゅうろん において、南都法相宗 なんとほっそうしゅう と宮中清涼殿で論争、東大寺の法蔵を論破した。村上天皇の皇后の安産祈願を行うなどして頭角を現し、康保 こうほう 三年= 966年、天台宗最高の位である天台座主 てんだいざす に就く。天元 てんげん 四年= 981年に、奈良時代の行基 ぎょうき に次いで、僧として最高位の大僧正になった。



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慈恵大師座像 求法寺 国指定重要文化財 文永四年=1267年



「慈恵大師像」と呼ばれる良源の肖像彫刻や画像は多くの寺院等に存在し、国の重要文化財に指定されている像が十一体を数えると言われ、僧の彫刻としては最も多いとされる。共通する彫像の特徴は、厳しい表情で、手に数珠と密教法具の独鈷杵 とっこしょ を持つ。主著に、『百五十尊口決』、『胎金念誦行記』、『極楽浄土九品往生義』など。



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慈恵大師坐像 金剛輪寺 国指定重要文化財 弘安九年=1286年



良源が剛腕の実務家でもあったことは、興福寺の勢力を背景に権勢を誇る良算が武士を雇って比叡山の僧兵と対峙、良源が良算を放逐 ほうちく した逸話でも知られる。良源が僧兵の創始者という俗説もあるが、実際には、天禄 てんろく 元年= 970年に「二十六箇条起請 きしょう」を制定し、刀杖 とうじょう の佩帯 はいたい や裹頭 かとう での横行、私刑、奢侈 しゃし などを禁じている。



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慈恵大師坐像 真福寺 国指定重要文化財 文永十一年=1274年



横川 よかわ 定心房 じょうしんぼう にて入滅 にゅうめつ。墓所は、御廟 みみょう と呼ばれる。この御廟は、京都の鬼門にある比叡山、叡山の鬼門である横川 よかわ、更に、その横川の鬼門に当る華芳尾 かぼうお にある。死してなお京の都を守護せんと、良源は、この地を自ら墓所に選び、荒れるに任せるよう遺言した。門弟達は、遺言通り、比叡山横川 よかわ 最北の地である華芳峰 かぼうお に墓廟 ぼびょう を設け、多面石幢 せきどう の石造卒塔婆 そとうば を建立した。様々の霊験あって一山の護法とされ、良源を御廟 みみょう 大師とも称す。



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慈恵大師坐像 観音寺 国指定重要文化財 観応二年=1351年



数々の説話が残されており、降魔大師、磨滅大師、角 つの 大師、鬼大師、豆大師、御廟 みみょう 大師、御影 みえい 大師、御鏡大師、木葉 もくよう 大師、御鈴大師、鈴振 れいふり 大師、魔除大師、厄除大師などの呼称で、霊験灼 あらた かな聖者として信仰を集めた。



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元三大師坐像 正法寺 国指定重要文化財 鎌倉時代



疫病が流行した折、自ら悪鬼の姿に化して弟子に写し取らせた。それを護符として刷り、開眼 かいげん した札を家々に貼ると、疫病は忽 たちま ち止んだと言う。鬼の姿になった時、角が生えたという言い伝えによって角大師とも呼ばれる。良源は、仏や菩薩が衆生 しゅじょう 救済のためこの世に仮の姿で現れる権化の仁 ごんけのにん、仏や菩薩が衆生を済度するために人それぞれの機根 きこん に応じた別の姿で現れる応化仏 おうけぶつ と考えられており、天台宗における「邪正一如 じゃしょういちにょ」から、邪も正も本来同一なので、自ら鬼と化して魔を滅し、その姿のまま仏になったと理解された。角大師の呼称については、良源が際立った美形であったため鬼の姿に変化 へんげ して女難を逃れた故 ゆえ とか、魑魅魍魎 ちみもうりょう の類が修業を妨げようとしたので鬼の姿に身を変えて退けた故 ゆえ という説もある。如意輪 にょいりん 観音の化身とも仰がれ、観音が衆生を救わんがため三十三の姿に化身すると法華経にある如く、豆のように小さな三十三の童子に姿を変えて農民の田畑を守ったという故事により、豆大師とも称される。鏡の前に座って骨と皮になる程の厳しい断食修行をしたことから、御鏡大師とも呼ばれる。天皇病気平癒の祈祷をしている最中に生身の不動明王に変化 へんげ したという逸話や仏法擁護のため魔界の棟梁になったという言い伝えもある。自ら描いた肖像画に本物の眉毛が生えたという伝承も存在する。

「お御籤 みくじ の原型」や、比叡山で定心房漬 じょうしんぼうづけ と呼ばれる「沢庵漬」を作ったことでも知られる。



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慈恵大師坐像 高野大師堂 国指定重要文化財

長年、伝教大師像と伝えられて来たが、厳しい表情や手に数珠と密教法具の独鈷杵 とっこしょ を持つ特徴などから、慈恵大師の像と判明した。





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永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニーやスマイル・ミュージカル・アカデミー SMA をはじめとするディライトフル・グループの、ご贔屓様、ご支援やご協力くださる皆様、関係者などに「角大師」を早速お配りしたところ、物凄い反響、大評判でした!

さすがは橘右之吉師匠、日本一!





永見隆幸 うのす UNOS 訪問
 ↓
https://merry-3.blog.ss-blog.jp/2020-07-09
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橘右之吉 永見隆幸の招木 揮毫 完成


ザ・ディライトフル・カンパニー
千社札 橘右之吉 揮毫 制作
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https://merry-3.blog.ss-blog.jp/2020-07-17-3
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TACHIBANA Unokichi senshafuda


橘右之吉 UNOS
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https://unos.co.jp/%e6%a9%98%e5%8f%b3%e4%b9%8b%e5%90%89/
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TACHIBANA Unokichi


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