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芸能神社 永見隆幸 参詣 車折神社 京都 嵯峨 嵐山 太秦 [永見隆幸先生information]



メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、京都の嵯峨にある芸能神社を参詣されました。


言うまでもありませんが、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。


芸能神社について、永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。



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駐車場の鳥居





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御神門に佇む永見先生





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表参道の桜





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手水舎 てみずしゃ


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溪仙桜 けいせんざくら 明治から昭和初期に活躍した日本画家の 冨田溪仙 とみた けいせん が奉納したもの。





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裏参道入口


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本日お召の ダブル・ブレステッド Double-breasted 三つ揃いも、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国の名門 ハリソンズ・オブ・エジンバラ Harrisons Of Edinburgh の生地 プルミエ・グラン・クリュ Premier Grand Cru を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。
服部晋さんは今上陛下と上皇陛下の礼服などを仕立てていらっしゃいます。





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清めの社 きよめのやしろ


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円錐の立砂は石をモチーフ Motif にしており、神社と石との深い関りを窺い知ることが出来ます。





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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿 大鳥居

芸能神社は、車折神社の境内摂社 けいだいせっしゃ なので、先ず、車折神社の御本殿に参拝します。


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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿入口





車折神社 くるまざきじんじゃ の御祭神は、清原頼業 きよはら の よりなり 公 。

御祭神の清原頼業公は、平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫に当ります。学問で有名な広澄流清原氏の出で、一族には、三十六歌仙の一人である清原元輔 きよはら の もとすけ や、その娘の清少納言らがいました。
頼業公は、太政官 だいじょうかん の官職の一つである 大外記 だいげき の職を二十四年の長きに亘って任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比と謳 うた われました。晩年には、九条兼実 くじょう かねざね から政治の諮問に預り、兼実より「その才、神といふべく尊ぶべし」と称 たた えられています。

平安時代末期の文治五年=1189年に頼業公が逝去されると、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。頼業公の法名「宝寿院殿」に因んで「宝寿院」という寺が営まれますが、天龍寺が創建されると、その末寺になりました。頼業公は、殊に桜を愛でられたので、その廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」とも呼ばれていたそうです。

後嵯峨天皇が嵐山の大堰川 おおいがわ に 御遊幸 みゆき の 砌 みぎり、社前において牛車の轅 ながえ が折れて動かなくなってしまいました。御神威を畏れて、後嵯峨天皇は、門前右の石を「車折石 くるまざきいし」と称 とな え、「 車折大明神」の御神号と「正一位」の御神階を贈られました。この後 のち「車折神社」と称せられるようになったのです。

車折神社おいて「石」に対する信仰の厚い訳が解りました。

法律に長けていた清原頼業公は、「法律の かみさま」すなわち「約束を違 たが えない かみさま」として信仰されるようになります。
加えて、頼業 よりなり という御名前が、「人が "より" 客が 鈴 "なり"」「お金が寄 "より" 付き 商売が成 "なり" 立つ」に重なるとして、商人の信仰も集めるようになったとか。



近代日本画の巨匠と謳 うた われる富岡鉄斎は、石上神宮の少宮司や大鳥神社の大宮司を任めた後、明治二十一年=1888年から明治二十六年=1893年まで車折神社 くるまざきじんじゃ の宮司を任めました。
故に車折神社には鉄斎の作品 百余点が伝えられています。裏参道入口の社号標、本殿の扁額、表参道脇の車折神社碑などもあり、生前に用いた筆を二千本以上納めた筆塚も存在します。





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芸能神社御本殿 


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芸能神社は、車折神社の境内社の一社で、昭和三十二年=1957年、他の末社より御祭神の 天宇受売命 あめのうずめのみこと を御分祀申し上て創建した神社です。

天宇受売命が芸術や芸能の祖神として古来より崇敬される所以 ゆえん は「神代の昔、天照大御神 アマテラスオオミカミ が、弟君である素戔鳴尊 スサノヲノミコト の行いに心を痛められ、天岩戸 あまのいわと にお隠れになり、この世が暗闇になりました。天宇受売命 アメノウズメノミコト が岩戸の前で演舞され、天照大御神の御神慮を只管 ひたすら お慰め申し上たところ、大御神が御出現になり、この世に再び光を取り戻した。」という故実に基きます。

アメノウズメノミコトは、『古事記』では 天宇受賣命、『日本書紀』では 天鈿女命と表記されています。天岩戸神話の踊りが今も神前で奉納される神楽 かぐら の原型とされ、『古事記』や『日本書紀』に「巧みに俳優 わざおぎ をなし」と記されていることから、俳優の始祖とも言われます。現在では、芸術芸能全般の「かみさま」として信仰を集めています。





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境内を埋尽す朱塗の木の玉垣には、奉納した芸術家や歌舞伎役者や芸能人などの名前がズラリと並んでいます。その数 何と四千本超!御神職お一人の手書きなので出来上るまでに二ヶ月程かかるのだとか。凄いですね~!


永見先生は、朱塗の木の玉垣と石の玉垣を奉納されました。
メリー・アーティスツ・カンパニー、ザ・ディライトフル・カンパニー、スマイル・ミュージカル・アカデミーも朱塗の木の玉垣を奉納しましたので、出来上りましたら、このブログでご紹介します。
どうぞ、お楽しみに ♬





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何と 特別に「藝能大神」を「車折神社」の 御本殿にお招きして 永見隆幸先生が御祈祷を受けられることになりました!





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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿





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永見先生が戴いた授与品


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御札 御守 御下 おさが





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芸能神社 御神符





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御札型 祈念神石


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御神供


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御神饌


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器は新宮州三の作品


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記念品


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象彦の漆塗の豆皿


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御守 芸術才知守護 玉垣を奉納した人だけに授与される御守


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芸能玉垣 奉納記念 車折神社 芸能神社





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俵屋 旅館 永見隆幸 訪問 令和四年三月 京都 麩屋町通 和食 懐石料理 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、京都 麩屋町通沿いにある老舗旅館 俵屋 たわらや に滞在なさいました。


永見先生のホテル暮しは よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生にとって、旅館やホテル暮らし以外の選択肢は、無いのかもしれません。


俵屋旅館について永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。



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1704年頃の創業と言われる俵屋の歴史は三百年余。1704年は、元禄十七年、宝永元年に当り、第百十三代 東山天皇の御代、江戸幕府五代将軍 徳川綱吉の時代。俵屋旅館は、京都に現存する最古の旅館とされる。
現在の島根県、石州浜田の呉服店「俵屋」京都支店の支配人だった岡崎和助の持成 もてな しが評判になり、本業の傍ら石州藩士に宿を供するうちに、こちらが本業になったと伝えられる。
現在の当主は第十一代目 佐藤年。勿論、旧姓は岡崎。伴侶が写真家のアーネスト・サトウ Y. Ernest Satow であることはよく知られている。



永見先生の曽祖父に当る方が石州島根に居を構えていらして、東京の芝に住んでいらっしゃったお祖父様が島根県人会の会長をされていたことなどを思えば、先生が俵屋に縁があるのは不思議でも何でもないのかもしれません。





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俵屋の板塀は釿削 ちょうなはつり とも称される名栗仕上 なぐりしあげ


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俵屋は、平成十一年=1999年10月14日、国の有形文化財に登録された。
禁門の変(蛤御門の変/元治の変 元治元年七月十九日=1864年8月20日)による焼失後に再建された瓦葺木造二階建の建造物。残っている最も古い部分は文化七年=皇紀2470年=1810年のもの。
入口は麸屋町通に面し、複数の中庭や外庭が全ての客室(全十八室)から見ることが出来るように配置されている。洗練された数寄屋風建築には、風格、品位、雅、などを感じるという向きが多い。
古くからの書院造、数寄屋造、吉村順三の増築と、歴史と伝統を踏まえながら、時代に応じた改修を重ねている。





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当主が聖域と呼ぶ入口は昔のまま


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俵屋は、国の内外を問わず、VIP御用達。顧客は、諸外国の国王、ロスチャイルドやロックフェラー、アメリカ合衆国大統領など政財界の大物、著名人が目白押し。古くは、井伊直弼の家臣で安政の大獄に大きく関った国学者 長野主膳の定宿であり、長州の毛利家や水戸徳川家などの諸大名や、鷹司家、近衛家、三条家、九条家など、公家の旅籠 はたご として用いられた。日本国初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、岩倉具視、大隈重信、大久保利通、木戸孝充ら明治の元勲らも逗留している。海外の顧客も多く、指揮者のレナード・バーンスタイン、ヴァイオリニストのアイザック・スターン、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックやスティーヴン・スピルバーグ、映画俳優では、マーロン・ブランド、リチャード・ギア、トミー・リー・ジョーンズ、トム・クルーズ、キアヌ・リーブスらが宿泊。Apple 創業者のスティーブ・ジョブスが定宿 じょうやど にしていたことでもよく知られている。



永見先生のご先祖様は、長州の毛利家に仕えた武士でいらしたとか。ひょっとして、俵屋にお泊りになっていたかもしれませんね。





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加藤静允「犬張子絵馬」





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俵屋にはホームページ home page がなく、ソーシャル・ネットワーキング・サービス SNA の類も一切やっていません。ミシュランガイドにも協力していないのだとか。それだけ常連さんを大切にしているということでしょうか。


その姿勢は、永見先生の毅然としたところ、寄らば斬るの気迫に相通ずるものなのかも知れませんね。





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沓脱 くつぬぎ


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俵屋の玄関 ~ 外塀、玄関、中坪などは昭和二年=1927年頃に改築。中坪 なかつぼ とは、中庭、建物に囲まれた庭のこと。





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人形師 四世面竹作 立雛





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田山方南筆「旅一首」





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上から 有職投扇興/狛犬/有職貝桶 貝合


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中坪に咲く桜





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中坪に咲く桜を愛でる永見先生


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中坪なので、もちろん天井はなく、桜が美しく自然光に映えています。





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「廊下を歩いているだけで様々な 設 しつら えが楽しめて御機嫌」と仰 おっしゃ る永見先生





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庭座
写真に映っていませんが庭座の設えは 辻村史郎「立ち雛」





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皇都 池田東籬亭主人考正 中村有楽齋画 天保五甲午年開板





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村岡松華堂作 有職雲上流造花「上巳」
上巳 じょうし/じょうみ とは、五節句の一つ、三月三日を指す。





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細川護熙筆「春の暮」





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雛飾りのある応接間


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その奥へ進むと…





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図書室「高麗洞」





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文化九年=1812年(江戸後期)人形師 丸平作 内裏雛





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二階へ上ってみましょう!





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今尾景樹「月次風俗図短冊 雛」





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中里恒子の書

小説『乗合馬車』で女性として初めて芥川賞を受賞した小説家の中里恒子は、代表作に、読売文学賞を受賞した『歌枕』、芸術院恩賜賞を受賞した『わが庵』、女流文学賞を受賞した『誰袖草』、映画化もされた『時雨の記』などがある。著書多数。





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永見隆幸先生がお泊りになられた部屋は「富士の間」


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富士の間は、俗に俵屋三室と呼ばれる別格扱いの部屋の中でも筆頭に挙げられる素晴らしい部屋だそうです。トム・クルーズも泊っています。


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次の間


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秋艸道人の書

秋艸道人 しゅうそうどうじん とは、書家、歌人、美術研究者として知られる會津八一 あいづやいち のこと。渾斎 こんさい の号も用いている。
新潟で明治十四年=1881年8月1日 に生れたことから八一と名付けられた。
中学時代に新聞俳壇の選者になり、その頃、北陸旅行中の尾崎紅葉の話相手を務め、当時まだ評価の定まっていなかった良寛の芸術を認めて正岡子規に知らせるなどして、早熟の天才と謳 うた われていたらしい。
昭和二十三年=1948年に早稲田大学名誉教授、昭和二十六年=1951年には新潟市名誉市民になった。


「仁者静」は、孔子の論語 雍也第六の二十三「子曰 知者楽水 仁者楽山 知者動 仁者静 知者楽 仁者寿」の一節。

子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿 いのちなが し。

孔子が仰るには、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は水の如く滞ることなく動き、仁者は泰然自若とした山のように静かである。知者は絶えず変化して楽しみの尽きることがなく、仁者は静かなる山の如く永遠の中に安住する。





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次の間から見た欄間





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愈々 いよいよ 本間


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掛軸は 田山方南「春高楼華宴」

田山方南は、明治三十六年=1903年10月6日、三重県に生れる。本名、信郎。東京帝国大学文学部国史学科卒業。昭和四年=1929年、文部省に入省、国宝鑑査官や文化庁主任文化財調査官などを歴任。日本や中国の禅僧の墨跡研究で知られる昭和の文人。書跡、典籍、古文書などの文化財調査と保存に尽した。文化財専門調査会書跡部会長。昭和五十五年=1980年12月31日没。享年77歳。著作に『禅林墨蹟』『続禅林墨蹟』『禅林墨蹟拾遺』ほか。俵屋の顧客でもあった。





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机の上に置いてある「これ」は何かと訊ぬれば…


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令和四年三月の俵屋の設 しつら いを記したもの





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ウェルカム・スウィーツ


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俵屋名物自家製蕨餅 本蕨粉と俵屋旅館に湧出る清浄な地下水と黒砂糖のみを使用





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書斎が出現!


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書斎から見た入側 いりがわ





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富士の間の三和土 たたき





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左側に御手洗の入口





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御手洗の入口横にある設 しつら


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御手洗の天井


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水回りは改装されて新しいのですが、富士の間の雰囲気を損ねることのない素適なつくりになっています。





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突当りが洗面所





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洗面所


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洗面所も改装されて新しく、広くてモダンな感じなのですが、全く違和感がなく、水回りは、寧ろこれ位の方がよいのではと思われました。抑制の効いたお洒落なデザインで、品もよく素適な洗面所です。





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風呂場


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ここでも品のよい和のテイストが保たれて雰囲気を壊すことはありません。


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高野槇の風呂 保湿性に優れ朝まで熱い湯が楽しめたそうです。





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洗面所から見た入側 いりがわ





御食事





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弥生 献立





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食前酒 永見先生は酒を召上らないので殆ど形だけ





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先附


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雛寿司 酢取蓮根 蜆茶巾 海老 穴子
白魚香揚 楤芽 たらのめ


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蛍烏賊 生姜醤油 山独活 御多福





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小吸物 蛤吸 石蓴 あおさ 海苔 胡椒





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向附


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鯛剥造 へぎづくり


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河豚芋掛


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生雲丹





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煮物 鱒博多蒸磯香仕立 若筍 菜花 木芽 


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焼物 焼筍 大原野白筍 琵琶湖 子持本諸子山椒焼


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蕗花山椒煮 木芽味噌





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温物 あつもの/ぬくもの


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鴨治部煮 丸大根 粟麩 水菜 山葵





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強肴 しいざかな 飯蛸辛子味噌掛 分葱 わけぎ 蕨 わらび 芽紫蘇 めじそ


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止椀 合味噌





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水物 菓子


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餅麩善哉 もちふぜんざい


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八朔 はっさく





花板 黒川修功 料理長の健在を確信する美味しさだったそうです。





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最高級本和三盆のみを用いた俵型の干菓子「福俵」





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まず 今日 こんにち は これ切





ご贔屓様のお招きや、舞台の打合せや、美味しいものを召上る機会の多い永見先生…

高級な料理しか召上らないのかと思いきや、何でも口にされます。


永見先生曰 いわ く「人間も食物連鎖の中に居て、動物や植物の命をいただいて生きているのですから、アレルギーや病気なら仕方ありませんが、感謝して何でも有難く口に運ぶべきだと考えています。腕利きの職人による高級食材を用いた料理も、家庭料理も、B級グルメも、楽屋弁当も、それぞれに異なる美味しさがあって、自分は、いずれも楽しんで食しています。至高の料理を探求することも大切だと思いますが、だからと言って、食の多様性を否定するのは、豊かな生活を自ら否定するようなものではないでしょうか。」


サスガですね! 真に多様性の意義を理解しておられる。

世界各地で研鑽を積んで来られた方は仰 おっしゃる ことが違います。





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