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芸能神社 車折神社 京都 嵯峨 嵐山 太秦 永見隆幸 参拝 朱塗玉垣 石玉垣 奉納 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が、京都の嵯峨にある芸能神社を参詣されました。芸能神社は、車折神社 くるまざきじんじゃ の境内社の一社です。



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永見先生は、朱塗玉垣と石玉垣を奉納されています。





言うまでもありませんが、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。


芸能神社について、永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。





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境内を埋尽す朱塗の木の玉垣には、奉納した芸術家や歌舞伎役者や芸能人などの名前がズラリと並んでいます。
その数 何と四千本超!
御神職お一人の手書きなので出来上るまでに二ヶ月程かかるのだとか。凄いですね~!





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永見先生が奉納された朱塗の木の玉垣


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ディライトフル・グループが奉納した朱塗の木の玉垣


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左から:
ザ・ディライトフル・カンパニー
永見隆幸(芸術監督)
メリー・アーティスツ・カンパニー
桜井ゆう子(脚本家/演出家/振付家)
スマイル・ミュージカル・アカデミー





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御神門


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車折 くるまざき 神社

高倉天皇に仕えた学者 清原頼業 きよはら の よりなり(文治五年 1189歿)を 祀 まつ る。
むかし、ある貴人が牛車に乗って、この社全を通ろうとした時、たちまち牛が倒れ車が折れたので車折神社とよばれるようになったといわれている。
昔から商人がこの神社の小石を持帰り家に納め満願の際この石数を倍にして神社にかえし商取引の違約のないよう祈る慣しがある。
毎年五月第三日曜日に新緑の大堰川 おおいがわ で行われる當社の三船 みふね 祭には、龍頭鷁首 りゅうとうげきしゅ の船や詩歌管絃など多くの供奉 ぐぶ の舟が川を上下して優雅な平安京の昔を偲ばせる。

京都市





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御神門の直ぐ近くにある 永見先生が奉納された石の玉垣


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手水舎 てみずしゃ


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清めの社


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清めの社にある円錐の立砂 たてずな は、石をモチーフ Motif にしており、神社と石との深い関りを窺い知ることが出来ます。


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永見先生は必ず作法通り、手水舎と清めの社で身を清められ、車折神社、芸能神社の順にお詣りなさいます。





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車折石 くるまざきいし


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後嵯峨天皇が嵐山の大堰川 おおいがわ に 御遊幸 みゆき の 砌 みぎり、社前において牛車の轅 ながえ が折れて動かなくなってしまいました。御神威を畏れて、後嵯峨天皇は、門前右の石を「車折石 くるまざきいし」と称 とな え、「車折大明神」の御神号と「正一位」の御神階を贈られました。この後 のち「車折神社」と称せられるようになったそうです。


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手水舎から見る車折石





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車折神社 御本殿前の大鳥居


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車折神社 御本殿入口





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車折神社 御本殿


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車折神社 くるまざきじんじゃ の御祭神 清原頼業 きよはら の よりなり 公は、平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫に当ります。学問で有名な広澄流清原氏の出で、一族には、三十六歌仙の一人である清原元輔 きよはら の もとすけ や、その娘の清少納言らがいました。
頼業公は、太政官 だいじょうかん の官職の一つである 大外記 だいげき の職を二十四年の長きに亘って任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比と謳 うた われました。晩年には、九条兼実 くじょう かねざね から政治の諮問に預り、兼実より「その才、神といふべく尊ぶべし」と称 たた えられています。

平安時代末期の文治五年=1189年に頼業公が逝去されると、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。頼業公の法名「宝寿院殿」に因んで「宝寿院」という寺が営まれますが、天龍寺が創建されると、その末寺になりました。頼業公は、殊に桜を愛でられたので、その廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」とも呼ばれていたそうです。

法律に長けていた清原頼業公は、「法律の かみさま」すなわち「約束を違 たが えない かみさま」として信仰されるようになります。
加えて、頼業 よりなり という御名前が、「人が "より" 集って 客が 鈴 "なり"」「お金が寄 "より" 付き 商売が成 "なり" 立つ」に重なるとして、商人の信仰も集めるようになったのだとか。





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芸能神社


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芸能神社は、車折神社の境内社の一社で、昭和三十二年=1957年、他の末社より御祭神の 天宇受売命 あめのうずめのみこと を御分祀申し上て創建した神社です。

天宇受売命が芸術や芸能の祖神として古来より崇敬される所以 ゆえん は「神代の昔、天照大御神 アマテラスオオミカミ が、弟君である素戔鳴尊 スサノヲノミコト の行いに心を痛められ、天岩戸 あまのいわと にお隠れになり、この世が暗闇になりました。天宇受売命 アメノウズメノミコト が岩戸の前で演舞され、天照大御神の御神慮を只管 ひたすら お慰め申し上たところ、大御神が御出現になり、この世に再び光を取り戻した。」という故実に基きます。

アメノウズメノミコトは、『古事記』では 天宇受賣命、『日本書紀』では 天鈿女命と表記されています。天岩戸神話の踊りが今も神前で奉納される神楽 かぐら の原型とされ、『古事記』や『日本書紀』に「巧みに俳優 わざおぎ をなし」と記されていることから、俳優の始祖とも言われます。現在では、芸術芸能全般の「かみさま」として信仰を集めています。


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芸能神社 御本殿


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裏参道入口の鳥居





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近代日本画の巨匠と謳 うた われる富岡鉄斎 とみおかてっさい は、石上神宮 いそのかみじんぐう の少宮司や大鳥神社の大宮司を任めた後、明治二十一年=1888年から明治二十六年=1893年まで車折神社 くるまざきじんじゃ の宮司を任めました。
故に車折神社には鉄斎の作品 百余点が伝えられています。裏参道入口の社号標、本殿の扁額、表参道脇の車折神社碑などもあり、用いた筆を二千本以上納めた筆塚も存在します。





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富岡鉄斎の手になる御本殿の御神額





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裏参道入口の社号標


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後ろに 帝室藝貟富岡百錬書(帝室技芸員 富岡鉄斎書)とあります。


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表参道脇にある車折神社碑





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この車折神社碑は、御祭神清原頼業公の事績を称える顕彰碑。富岡鉄斎の後任の車折神社宮司である高田静衛の発起によって明治四十一年=1908年に建碑。上部の篆額「車折神社碑」は西園寺公望 さいおんじ きんもち、撰文は清原頼業公三十三世の孫にあたる船橋遂賢 ふなはし なるかた、揮毫は富岡百錬 富岡鐵齋。碑文は内藤湖南 ないとう こなん の代作。鉄斎の長男謙三は湖南と親交があった。


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車折神社碑 篆額

尚矣吾宗之自出天?分派真人錫姓祖禰清原御寓天皇族叨華胄爵寵珪組遠矣家学之
淵源崇道尽敬之撰書紀双岡大臣之解令義逞辞流離奮名翰苑爰逮中世有若大外記公
諱頼業挺生喪乱之際特稟淑霊之性継承先緒弥綸典術明経明法兼綜両道高倉院時侍
読殿陛承安二年宋明州刺史上書曰賜日本国王公援故事両朝往来用敵国礼簡冊具存
往牒可按辺吏慢辞宜郤勿受治承養和諸源兵起海内鼎沸平宗盛惶惑罔措問計于公公
対以革弊政而息獄訟庶幾可救危亡宗盛弗能従闔族淪胥凡朝章典故毎有諮議公徴引
精博多見聴用雖限于資格弗尽其才而立朝大節彪炳一代矣公卒于文治五年閏四月十
四日春秋六十有八相伝公読礼記表出中庸拠本経為解弗取伝注与朱晦庵暗合又講毛
詩伝箋岐互舎鄭従毛公之為学醇茂疏通於焉可窺藤公兼実謂為学該和漢当世無双国
之大器道之棟梁厥後我清原氏世為天朝儒師本支蕃滋明習経業紹往開来寔公之頼公
既重于時世俗遂伝言公死作冥官後嵯峨天皇嘗遊幸西郊従者過公墓下弗謹忽然折轅
或奏触神譴怒因贈正一位賜号車折大明神世人亦謂明神司為民雪冤遠迩崇奉祷賽者
踵相接以迄于今弗独我宗族歳時報祭也粤距公卒七百廿一年車折神社社司高田静衛
思欲樹碑表公盛徳以余為公嫡胤来請作銘其辞曰
緜緜帝胤家伝六芸惟公抜萃玄鑒絶世建議廊廟風発??燭照興亡著于亀筮??遺経
微言妙契後人折衷仰其孤詣生為儒宗死為明神凡民有屈祷莫弗伸蔵公魄兮桂水之浜
神降格兮堆石輪因迺棟迺宇迺進藻蘋流沢無索在茲貞珉
明治四十二年四月

三十三世孫従三位勲四等子爵舟橋遂賢撰
従一位勲一等侯爵西園寺公望篆額
前車折神社社司正七位富岡百錬書
中村寿山鐫


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富岡鉄斎の筆塚


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富岡鉄斎の用いた筆が二千本以上納められた。「言の葉を 千とせの後に 伝へゆく 筆のいさをは つきしともおもふ」と、鉄斎の詠んだ歌が記されている。





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富岡鉄斎 とみおか てっさい
天保七年十二月十九日=1837年1月25日~大正十三年=1924年12月31日
文人画家、儒学者、日本最後の文人と謳 うた われる。

明治時代になると神仏分離によって宝寿禅寺から独立した車折神社は廃 すた れて行きます。それを再興したのが 富岡鉄斎なのです。文人画家として知られる鉄斎は、儒学者でもあり、清原頼業公を敬慕していたと伝えられています。

鉄斎は、大和国 石上 いそのかみ 神宮や 和泉国 大鳥 おおとり 神社などでも宮司を務め、荒廃していた社殿の修復に成功した実績があって、大和国 式内社 加夜奈留美命 かやなるみ の みこと 神社を復興したことでも知られています。

富岡鉄斎が車折神社の宮司になった明治二十一年=1888年は、御祭神七百年祭に当る年でしたが、神社は酷く寂 さび れていたといいます。鉄斎は、自ら率先して絵を描き、画家や書家や陶芸家に作品の寄贈を依頼、有志を募って資金を調達し、見事に記念祭を斎行したということです。





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溪仙桜 けいせんざくら

明治から昭和初期に活躍した日本画家の 冨田溪仙 とみた けいせん が奉納したもの。





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社務所玄関


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御祈祷待合室





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永見先生お召の白い麻の三揃は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国製最高級麻の生地を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。
ネクタイはアンジェロ・フスコ Angelo Fusco。
白の靴は エリザベス女王陛下の靴を仕立た経験もあるBench Made 大川由紀子さんのビスポーク・シューズ。





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藝能大神を車折神社御本殿にお招き申し上げて永見隆幸先生が御祈祷を受けられました。





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車折神社 芸能神社 おさがり





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芸能大神 御神符





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御札型 祈念神石


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御神供





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御神饌


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記念品


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象彦の漆塗の豆皿


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永見隆幸 芸能神社 参拝 京都 嵯峨 
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朱塗玉垣 石玉垣 奉納 御祈祷


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永見隆幸 八田保商店 訪問 京都 龍谷山本願寺 西本願寺前 京念珠 京仏具 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が、京都の龍谷山本願寺 門前で京念珠や京仏具を扱う西本願寺御用達の老舗 八田保 はちだ たもつ 商店を訪問されました。



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永見隆幸先生(左)八田保商店 三代目 八田幸春さん(右)





八田保商店は、昭和十二年=1937年創業。永見先生が、龍谷山本願寺の会合を済ませ、写真の本海松(黒珊瑚)の念珠をお持ちになったまま八田保商店を訪ねられると、八田幸春さんから、「素晴らしい本海松の念珠ですね」と声をかけてくださったそうです。話が弾んで、此度 このたび 天竺菩提樹の特大念珠と金海松の特大念珠をお譲り戴くことになりました。





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左から、天竺菩提樹 特大、天竺菩提樹 大、天竺菩提樹、沈香、本海松 特大、金海松 特大。

大きさを比較するために永見先生がお持ちの念珠をお借りして並べています。
右から三番目の沈香の念珠は一般の数珠より大き目なのですが、これらの念珠の中では小さく見えます。

菩提樹の念珠には、天竺菩提樹、星月菩提樹、金剛菩提樹、鳳眼菩提樹、竜眼菩提樹、虎眼菩提樹、五眼龍菩提樹、佛眼菩提樹ほか様々な種類があるらしいのですが、永見先生の一番お好きなのは天竺菩提樹だそうです。先生によると菩提樹と呼ばれていても生物学的には菩提樹と言えない物も多いそうです。





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左三つが天竺菩提樹の念珠で、左端の巨大な念珠が八田保商店に所蔵されていたものです。
八田保商店三代目は、売るつもりもなく、展示用にでもしようかと思っていたのだとか。
右端の沈香の念珠も、一般の数珠より大き目なのですが、小さく見えてしまいます。





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左二つが本海松の念珠で、左端のゴールドの大きな海松が八田保商店に所蔵されていたものです。
八田保商店三代目が一目惚れして手に入れたもので、お譲りすることになろうとは思ってもいなかったそうです。





このように風格や品位のある素晴らしい名品が、どんどん永見先生の処に集まって来ます。目利きでいらっしゃるし、人徳もおありなので、当然と言えば当然なのですが、周りにいる我々も、こうした貴重なものを拝見できるのは、誠に眼福です。





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永見隆幸 龍谷山本願寺 参与会 出席 京都 浄土真宗本願寺派 西本願寺 本山 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都にある 龍谷山本願寺 りゅうこくざん ほんがんじ の参与会に出席されました。


龍谷山本願寺は、浄土真宗本願寺派、俗に言う西本願寺の本山です。参与会は龍谷山本願寺の国宝 阿弥陀堂にて開催されました。永見先生は 龍谷山本願寺の参与でいらっしゃいます。



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阿弥陀堂 国宝 

令和四年=2022年3月31日 文化財指定建造物修復工事 完了





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大玄関門


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書院側から観た大玄関門


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左右に門番屋を持つ薬医門で 第二十代 廣如上人の 弘化四年=1847年に新築されたと伝えられる。江戸幕府十万石以上の大名家格式に準ずるとされる。





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大玄関 瓦葺 かわらぶき 入母屋造 いりもやづくり 妻入唐破風 つまいり に からはふ 公式行事等の来賓用玄関





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唐門 からもん 国宝

桃山時代の豪華な装飾彫刻が施された檜皮葺 ひわだぶき 唐破風 からはふ の 四脚門 しきゃくもん。彫刻の見事さに日が暮るのを忘れて見惚 みと れると言われることから日暮らし門とも呼ばれる。

令和四年=2022年3月31日 文化財指定建造物修復工事 完了


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白書院 国宝


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黒書院 国宝


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大銀杏 天然記念物

この大銀杏は樹齢およそ四百年で京都市の天然記念物に指定されている。根を天に広げたような形から「逆 さかさ 銀杏」、この銀杏から水が噴出して本願寺の火災を消止めたという伝説から「水吹 みずふき 銀杏」とも呼ばれる。





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国宝 阿弥陀堂


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龍谷山本願寺 参与会にご出席される永見先生


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釋専如 しゃくせんにょ 大谷光淳 おおたにこうじゅん 第二十五代 御門主(右奥)の方に向って お進みになられる永見隆幸先生(左)


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龍谷山本願寺 国宝 阿弥陀堂にての永見隆幸先生





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永見隆幸 龍谷山本願寺 訪問
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龍谷山本願寺 参与


永見隆幸 大谷本廟 訪問
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龍谷山本願寺 参与


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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや に再び滞在なさいました。



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柊家玄関にて

永見隆幸先生(左)柊家六代目女将 西村明美さん(右)





永見先生のホテル暮しは よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮らし以外の選択肢が無いのかもしれません!


この記事では、永見先生の受売りに過ぎませんが、柊家について語って参ります。





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柊家外観


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柊家の本館は木造二階建の数寄屋造で新館はモダンな和風の鉄筋三階建

塀の周囲に廻らされているのは駒寄せの柵

京都 老舗旅館御三家 筆頭の呼声も高い柊家

柊家は、昔、柊屋だったらしいという説もありますが、今では柊家。「屋」ではなく「家」です。

京野菜など四季折々の新鮮な旬の素材を厳選、腕によりをかけた京懐石も味わうことが出来ます。





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玄関から見る柊家の入口に佇む永見先生


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往時は人力車が出入りしていたので広々とした間口


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仁孝天皇 徳川家斉の文政元年=1818年、福井から京に上った初代庄五郎が庄屋として京都に居を構え、運送業や鯖街道を下って入って来る魚を扱う海産物商を始めたのが柊家の始まりだそうです。

左京区にあって正式には賀茂御祖神社と称される世界遺産の下鴨神社、その境内にある比良木神社が柊家という屋号の由来です。邪気を祓う柊の木が自生する比良木神社に、初代庄五郎が深く帰依したのだとか。

二代目庄五郎を名乗った定次郎は、柊家政貫と号すほど、本業よりも刀の鍔目貫 つばめぬき の技に長じていました。街道沿いに店があって仲間の商人の求めに応じて宿も営んでいたので、孝明天皇 徳川家茂の文久元年=1864年、東海道の終点に位置する三条の地で旅籠を本業にしました。幕末には維新の志士が泊り、明治になってからは大臣が定宿にしていたそうです。

三代目庄五郎の頃になると、明治政府の要人は言うまでもなく、皇族、公家、華族、文人墨客にも愛されるようになりました。大正天皇の即位式が京都で行われた折には、大臣が 挙 こぞ って柊家を利用したそうです。第一次世界大戦中には、東郷平八郎元帥をはじめ、軍人の定宿としても繁盛していたのだとか。

柊家の宿泊客には、政財界はもとより、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、正岡子規、宇野千代、林芙美子ら、各界の著名人が名を連ねています。特に、川端康成と三島由紀夫は、よく利用していたらしく、柊家が別宅と言われるほどでした。海外からの来訪者も、各国の王族、政財界の重鎮、チャーリー・チャップリンや アラン・ドロンら、枚挙に暇 いとま がありません。





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柊家の玄関


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重野成斎 しげの せいさい の書「來者如歸 らいしゃにょき


きた る者 帰るが如し。
柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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柊家の応接間





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永見先生がお泊りになる部屋


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柊家で一番大きな部屋だそうです。


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世紀の二枚目として人気を博し、令和元年=2019年5月、第72回カンヌ国際映画祭で「パルム・ドール・ドヌール Palme d'or d'honneur」が贈られたフランスの俳優 アラン・ドロンも宿泊したのだとか。





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廊下の左側が入口で右奥が次の間





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次の間


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次の間から観る庭の景色


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鏡台 三面鏡





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次の間から見る本間の天井


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静坐観群妙 せいざかんぐんみょう 武者小路実篤 書

大意:群れの妙味を静かに坐して観る。





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本間から次の間の方を見る。


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山光無古今 河合玉堂 書

司馬光「人事有憂楽 山光無古今 じんじゆうらくあり さんこうにここんなし」の一節

大意:人には憂楽があり、山の景色には移り変りがない。





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くつろ がれる永見隆幸先生





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お薄と茶菓子


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ほう じ茶も、汲出 くみだし を、一般の茶托ではなく、蓋付の茶台に載せて供せられます。

汲出 くみだし とは何か、永見先生に伺ったところ、来客用の湯呑茶碗を指して言うのだそうです。普段使いの湯呑とは区別されるのだとか。





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横地碧巌 よこちへきがん の軸

横地碧巌
嘉永六年=1853年(第百二十一代 孝明天皇の御代 江戸時代)名古屋生れ。加藤秋村に南画を、村瀬雪峡らに花鳥を 大橋翠石に描虎を学んだ。





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付書院の硯箱


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本間の天井


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電気を点けると こんな感じ





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入側縁


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下地窓の向うは摺硝子 すりガラス

下地窓 したじまど は、和風建築における窓の形式の一つ。土壁の一部を塗り残し、下地の小舞 こまい と呼ばれる格子状に組んだ竹や葭 よし を見せた窓。
下地窓は、塗残窓 ぬりのこしまど、塗さし窓 ぬりさしまど、掻さし窓 かきさしまど、葭窓 よしまど 、入子壁 いりこまど などとも呼ばれる。





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入側縁の灯


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柊の形に刳貫 くりぬ かれています。


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夜はまた別の趣 おもむき





30号室には広大な庭があって、この部屋の魅力の一つに数えられます。

極めて広い庭なのに、よく手入れが行届いていると、永見先生も感心頻り。





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蹲踞 つくばい


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突当りが風呂場で廊下の右側に御手洗が二つ 





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洗面所 水回りは新しく清潔


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網代天井 籠目編 かごめあみ





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高野槇 こうやまき の風呂


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何と 壁も天井も漆塗 うるしぬり


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美しいステンドグラス





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永見先生のお部屋の前に階段があるので、二階の探検をお願いしました。


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永見先生のお部屋の入口から見た廊下 ~ 右手に階段





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お部屋の直ぐ近くに「おてあらい」もあります。





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後ろは、このようになっています。


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二階の意匠や設えも素晴らしく、上にも泊まる価値がありそうです。





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お部屋で一服

菓子類もよく吟味されており何を戴いても美味しいのだとか。





柊家のご厚意で、永見先生は、新館の部屋で食事を召上ります。





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網代天井 矢羽根編 やばねあみ 籠目編 かごめあみ


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坪庭もなかなかの趣





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和の情緒を備えつつ今様のすっきりした内装


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献立をご覧になる永見先生


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食前酒 神蔵 東風 無濾過生原酒





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先付


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胡麻豆腐 蓴菜 じゅんさい 喰出汁 くいだし 柚子 ゆず


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車海老 雲丹 焼茄子 鼈 すっぽん ゼリィ


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椀 鱧吉野 成平隠元 なりひらいんげん 浜防風 振柚子 梅肉  


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御造里 おつくり





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焼物 喉黒 のどぐろ 塩焼(赤鯥 あかむつ


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しのぎ 碓井豆 うすいまめ 茶碗蒸


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進肴 すすめざかな 鮑 丸十 蕃茄 トマト 芋茎 ずいき 南瓜 ミニ陸蓮根 オクラ 石川芋 振柚子 白和衣 しらあえごろも





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煮物 賀茂茄子揚出 鰻 大根下 だいこんおろし 生姜





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食事 新生姜御飯
香物 三種
留椀 赤出 冬瓜 茗荷 粉山椒


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新潟県魚沼産越光 コシヒカリ





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果物 枇杷 苺





晩御飯のあと 堪能された 庭の素晴らしい夜景





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朝の食事は 昨晩と同じ新館の部屋を ご用意くださいました。





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朝の光と空気に満ちた坪庭もまた別の味わい





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昨日と同じ部屋なのですが、何かが違います。お判りになりますか。


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部屋着の永見先生


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晩御飯の時には観られませんでしたが、和紙の壁の向うに刳貫 くりぬ かれた柊のモティーフから日の光が差込みます。


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永見先生 宣 のたま わく「質にも量にも大満足」





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湯豆腐の桶は 人間国宝 中川清司作





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平野とうふ の 豆腐





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笹鰈干物





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湯波半老舗の湯葉 冬瓜





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出汁巻卵





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榎茸 大根下





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永見先生はデザートの代りに蜜柑ジュース





朝の新鮮な空気に満ちた広い庭も格別です ♬





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庭から見る永見先生の部屋





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庭を愛でる永見先生





永見先生に柊家について伺いました。


スタッフ:
柊家のホスピタリティは如何ですか。

永見先生:
あらゆる意味において日本を代表する旅館の一つと表現しても過言ではありません。玄関の書額「来者如歸」の精神を実践されていると言えます。言うまでもなく、料理も美味しい。自分は、柊家の、主客同一、わざとらしさのない肩肘張らぬ持成しを満喫しています。


スタッフ:
ほかの和風旅館と何が違うのでしょうか。

永見先生:
明確なコンセプトがあって、それを具現している事でしょう。女将自ら率先し、実行している処が素晴らしい。歴史や伝統とは何かが明確に見えていて、何を残して何を新しくすべきか、実によく判っていると感じます。
建物の材料など、本当によいものを使っています。意匠や設えも、素人受けを狙うような虚仮威 こけおどし ではなく、質感や風格や品位といったものを大事に考えていることが窺えるのです。安っぽさや、けばけばしさや、薄っぺらいチャラチャラした所が微塵も無い。流行りの和モダンやデザイナーズの旅館と言われるものとは明らかに一線を画します。
違いの解らない人がいるかも知れませんが、感性の鋭い方なら必ず琴線に触れると思います。





 京都ではいつも柊家に泊まって、あの柊の葉の模様の夜具にもなじみが深い。
 京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛蒲団に、女中さんが白い清潔なおほいをかけるのを見てゐると、なじみの宿に安心する。遠い旅の歸りに京へ立寄った時はなほさらである。柊の模様は夜具やゆかたばかりでなく、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にも、みだれ箱や屑入れなどにも、ついてゐるのだが、その柊は目立たない。またそれらの調度は、十年、二十年、戦時も戦後も変らない。ずいぶん多く用意してあったとみへる。
 この目立たないことと変らないことは、古い都の柊家のいいところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ちつかせたものだが、それも変りつつある。
 柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。
 京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨を見たり聞いたりしてゐると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。わたしは旅が好きだし、宿屋で書きものをする慣はしだが、柊家ほど思ひ出の多い宿はない。
 京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた。浦上玉堂の「凍雲篩雪」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、柊家は古都のひとつの象徴であろう。私は京阪の他の宿で泊まった後でも柊家へ落ち着きにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「耒者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。
川端康成






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お出ましになる永見先生





雨露さえ凌げれば 泊まるのは どこでも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ います。しかし、先生を招聘 しょうへい する方 ほう が そういう訳には行かないのでしょう。


柊家の 持成 もてな しが 随分 気に入っていらっしゃるご様子の永見先生。素晴らしい設えが さり気なく全体の中に調和しており、奇を 衒 てら ったところが全くなく、総て自然に感じられるのが嬉しいと語っておられました。


いずれにせよ 永見先生は 風格と品位のある場所や物が 本当に よくお似合いになります!





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柊家 旅館 京都 麩屋町
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永見隆幸 帝国ホテル東京 再訪 令和四年四月 Imperial Hotel Tokyo [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、定宿 じょうやど にされている 帝国ホテル東京 Imperial Hotel Tokyo に宿泊されました。


永見先生のホテル暮しは、よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、大阪と、世界を駆巡る先生にとって、ホテル暮らし以外の選択肢は、無いのかもしれません。





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帝国ホテル東京 五月の設 しつら え(真多呂人形)





永見先生が帝国ホテル東京に逗留していらっしゃる間に、国際科学技術財団主催「日本国際賞 Japan Prize」授賞式が同ホテルにて開催されました。
天皇 皇后 両陛下がご出席あそばされましたので、両陛下に間近でお目にかかる機会を得て、感激の極みです。
日本国際賞は、科学技術の進歩に貢献した研究者に贈られる賞で、今回は、コロナ禍で延期された2020年と2021年の授賞も合せて、3年分が纏めて行われたのだとか。
この式典は、上皇 上皇后 両陛下から引継がれ、天皇 皇后 両陛下がご出席あそばされるのは、本日が初めてだそうです。
両陛下お揃いで外出を伴う公務に臨まれるのは、去年8月の戦没者追悼式以来、8ヶ月ぶりの事です。





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受賞者は 6件 8名、次の通りです。
令和四年=2022年は、遺伝物質の「メッセンジャーRNA(mRNA)」を使った新型コロナ・ウイルス・ワクチンの実用化に貢献したカタリン・カリコ(Karikó Katalin 米国在住 ハンガリーの生化学者)と ドリュー・ワイスマン(Drew Weissman 米国の医師で生物学者)、クリストファー・フィールド(Christopher B. Field 米国スタンフォード大学ウッズ環境研究所 所長)の 2件3名。
令和三年=2021年は、マーティン・グリーン(Martin Andrew Green 豪州のエンジニア ニューサウスウェールズ大学教授)、バート・フォーゲルシュタイン(Bert Vogelstein 米国の癌研究者 ジョンズ・ホプキンズ大学教授)と ロバート・ワインバーグ(Robert Allan Weinberg 米国の分子生物学者 マサチューセッツ工科大学生物学教授)の 2件3名。
令和二年=2021年は、ロバート・ギャラガー(Robert Gray Gallager 米国のエンジニア 情報理論研究者 マサチューセッツ工科大学名誉教授)、スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo スウェーデンの生物学者 進化遺伝学専門家)の 2件2名





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数年前も、永見先生が帝国ホテル東京にご滞在の砌 みぎり、トランプ大統領とイヴァンカさんも泊まっていて、吃驚 びっくり した覚えがあります。永見先生は、そういう機会に、本当によく恵まれていらっしゃいます。





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帝国ホテル東京の石庭





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風格と品位のある帝国ホテル東京の玄関


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今月のロビー装花(第一園芸)
アルストロメリア/スプレーマム/アセビ ほか


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永見先生のお部屋に用意されていたウェルカム・スウィーツ





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雨露さえ凌 しの ぐ事が出来れば泊るのは何処でも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ いますが、先生を招聘 しょうへい する側の方々が、そういう訳には行かないと言われます。





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ランデブーラウンジ The Rendez-Vous Lounge 全景





人が居ない時に撮影させていただけるのは、永見先生が帝国ホテル東京を定宿になさっているおかげに違いありません。





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永見先生お召のジャケットとウェストコート Waistcoat は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、1797年創業でスコットランドの名門 ジョンストンズ・オブ・エルガン Johnstons of Elgin の 100% 梳毛 そもう カシミア Worsted Spun Cashmere を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。
服部さんは、今上陛下と上皇陛下の礼服を始め色々なお洋服を仕立てていらっしゃいます。
ネクタイは、イタリアのネクタイ専門メーカー Angelo Fusco アンジェロ・フスコ。
靴は、ビスポーク・シューズ・メーカー「Bench Made ベンチ・メイド」大川由紀子さんの手になるもの。大川さんは、英国エリザベス女王陛下の靴を仕立てたことでも知られています。
因みに、ジョンストンズ・オブ・エルガン創業の1797年は、寛政九年に当り、第百十九代 光格天皇の御代、江戸幕府第十一代将軍 徳川家斉の時代です。





永見隆幸 帝国ホテル東京 再訪 2022.3. №2
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俵屋 旅館 永見隆幸 訪問 令和四年四月 京都 麩屋町通 和食 懐石料理 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、京都 麩屋町通沿いにある老舗旅館 俵屋 たわらや に宿泊なさいました。


永見先生のホテル暮しは よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生にとって、旅館やホテル暮らし以外の選択肢は、無いのかもしれません。


俵屋旅館について永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。



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永見隆幸先生 京都 俵屋 富士の間 にて





宝永年間(1704~1711年)の創業と言われる俵屋は 三百年余も続いている。宝永年間は、第百十三代 東山天皇と第百十四代 中御門天皇の御代、江戸幕府五代将軍 徳川綱吉と六代将軍 徳川家宣の時代。俵屋は、京都に現存する最古の旅館とされる。
現在の島根県 石州浜田の織物を扱う太物問屋「俵屋」の岡崎和助が 麩屋町通姉小路上ル の土地を得たのが宝永六年=1709年。二代目からは、本業の傍ら故郷から京に上って来た人を泊めるようになり、次第に宿を本業にするようになったと伝えられる。
現在の当主は第十一代目 佐藤年。勿論、旧姓は岡崎。伴侶が写真家のアーネスト・サトウ Y. Ernest Satow であることはよく知られている。



永見先生の曽祖父に当る方が石州島根にも居を構えていらして、東京の芝に住んでいらっしゃったお祖父様が島根県人会の会長をされていたことなどを思えば、先生が俵屋に縁があるのは不思議でも何でもないのかもしれません。





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俵屋の顧客は、国の内外を問わず、貴顕紳縉 きけんしんしん 綺羅星 きら ほし の如し。
スウェーデン国王カール十六世グスタフら諸外国の国王、ロスチャイルドやロックフェラー、アメリカ合衆国大統領など政財界の大物が目白押し。
古くは、九条家、鷹司家、近衛家、三条家、などの公家。尾張徳川家、水戸徳川家、前田家、毛利家、山内家などの諸大名。日本国初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、岩倉具視、大久保利通、木戸孝充、板垣退助、大隈重信ら明治の元勲達も逗留している。高村光雲ほか芸術家の名前も見える。
海外の顧客も多く、指揮者のレナード・バーンスタイン、ヴァイオリニストのアイザック・スターン、画家のベン・シャーン、哲学者のジャン=ポール・サルトル、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックやスティーヴン・スピルバーグ、映画俳優では、マーロン・ブランド、リチャード・ギア、トミー・リー・ジョーンズ、トム・クルーズ、キアヌ・リーブスらが宿泊。Apple 創業者のスティーブ・ジョブスが定宿 じょうやど にしていたことでもよく知られている。





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富士の間にて 俵屋オリジナルの部屋着をお召になり 寛がれる永見先生

表は保温性に優れたヘリンボーン herringbone の生地で、裏地を柔らかなガーゼ gauze で、仕立てあるそうです。





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先回は、俵屋の設え、富士の間、夕食などを中心にご紹介しましたので、今回は、主に、富士の間の庭と朝食についてご案内しましょう。





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豪勢な朝食





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白洲次郎にも愛された「平野とうふ」の豆腐と 享保元年=1716年創業「湯波半 老舗」の湯葉

湯豆腐の桶は、人間国宝 中川清司作だそうです。





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魚を選ぶことが出来るそうで 永見先生がお選びになったのは グジ=赤甘鯛





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勿論たいへん美味しかったそうです。





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お出掛け前に 桜を愛でて ご一服なさる永見先生





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応接間の雛飾り 文化九年=1812年(江戸後期)人形師 丸平作 内裏雛





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皇都 池田東籬亭主人考正 中村有楽齋画 天保五甲午年開板





俵屋は、平成十一年=1999年10月14日、国の有形文化財に登録された。
禁門の変(蛤御門の変/元治の変 元治元年七月十九日=1864年8月20日)による焼失後に再建された瓦葺木造二階建の建造物。残っている最も古い部分は文化七年=皇紀2470年=1810年のもの。
入口は麸屋町通に面し、複数の中庭や外庭が全ての客室(全十八室)から見ることが出来るように配置されている。洗練された数寄屋風建築には、風格、品位、雅、などが感じられるという向きが多い。
古くからの書院造、数寄屋造、吉村順三の増築と、歴史と伝統を踏まえながら、時代に応じた改修を重ねている。





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次の間から見る庭





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富士の間の本間から見る庭





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庭へ御出座 おでまし になる永見先生





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富士の間





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永見先生が 仰 おっしゃ るには、「本当の意味で俵屋を理解しようとするなら、俵屋に泊まって俵屋の料理を口に運ばなければなりません。しかし、俵屋の大凡 おおよそ を知りたいのであれば、次の二冊が有益だと思います。」





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佐藤 年『俵屋相伝 受け継がれしもの』世界文化社


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村松友視『俵屋の不思議』世界文化社


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二冊とも永見先生の蔵書





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聖域と謳われる俵屋の入口

永見先生お召の ダブル・ブレステッド Double-breasted 三つ揃は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国の名門 ハリソンズ・オブ・エジンバラ Harrisons Of Edinburgh の生地 プルミエ・グラン・クリュ Premier Grand Cru を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。
服部晋さんは、今上陛下と上皇陛下の礼服など、色々なお洋服を仕立てていらっしゃいます





永見隆幸 俵屋旅館 令和四年三月訪問 
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芸能神社 永見隆幸 参詣 車折神社 京都 嵯峨 嵐山 太秦 [永見隆幸先生information]



メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、京都の嵯峨にある芸能神社を参詣されました。


言うまでもありませんが、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。


芸能神社について、永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。



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駐車場の鳥居





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御神門に佇む永見先生





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表参道の桜





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手水舎 てみずしゃ


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溪仙桜 けいせんざくら 明治から昭和初期に活躍した日本画家の 冨田溪仙 とみた けいせん が奉納したもの。





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裏参道入口


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本日お召の ダブル・ブレステッド Double-breasted 三つ揃いも、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、英国の名門 ハリソンズ・オブ・エジンバラ Harrisons Of Edinburgh の生地 プルミエ・グラン・クリュ Premier Grand Cru を用いて、永見先生のために仕立ててくださったものです。
服部晋さんは今上陛下と上皇陛下の礼服などを仕立てていらっしゃいます。





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清めの社 きよめのやしろ


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円錐の立砂は石をモチーフ Motif にしており、神社と石との深い関りを窺い知ることが出来ます。





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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿 大鳥居

芸能神社は、車折神社の境内摂社 けいだいせっしゃ なので、先ず、車折神社の御本殿に参拝します。


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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿入口





車折神社 くるまざきじんじゃ の御祭神は、清原頼業 きよはら の よりなり 公 。

御祭神の清原頼業公は、平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫に当ります。学問で有名な広澄流清原氏の出で、一族には、三十六歌仙の一人である清原元輔 きよはら の もとすけ や、その娘の清少納言らがいました。
頼業公は、太政官 だいじょうかん の官職の一つである 大外記 だいげき の職を二十四年の長きに亘って任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比と謳 うた われました。晩年には、九条兼実 くじょう かねざね から政治の諮問に預り、兼実より「その才、神といふべく尊ぶべし」と称 たた えられています。

平安時代末期の文治五年=1189年に頼業公が逝去されると、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。頼業公の法名「宝寿院殿」に因んで「宝寿院」という寺が営まれますが、天龍寺が創建されると、その末寺になりました。頼業公は、殊に桜を愛でられたので、その廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」とも呼ばれていたそうです。

後嵯峨天皇が嵐山の大堰川 おおいがわ に 御遊幸 みゆき の 砌 みぎり、社前において牛車の轅 ながえ が折れて動かなくなってしまいました。御神威を畏れて、後嵯峨天皇は、門前右の石を「車折石 くるまざきいし」と称 とな え、「 車折大明神」の御神号と「正一位」の御神階を贈られました。この後 のち「車折神社」と称せられるようになったのです。

車折神社おいて「石」に対する信仰の厚い訳が解りました。

法律に長けていた清原頼業公は、「法律の かみさま」すなわち「約束を違 たが えない かみさま」として信仰されるようになります。
加えて、頼業 よりなり という御名前が、「人が "より" 客が 鈴 "なり"」「お金が寄 "より" 付き 商売が成 "なり" 立つ」に重なるとして、商人の信仰も集めるようになったとか。



近代日本画の巨匠と謳 うた われる富岡鉄斎は、石上神宮の少宮司や大鳥神社の大宮司を任めた後、明治二十一年=1888年から明治二十六年=1893年まで車折神社 くるまざきじんじゃ の宮司を任めました。
故に車折神社には鉄斎の作品 百余点が伝えられています。裏参道入口の社号標、本殿の扁額、表参道脇の車折神社碑などもあり、生前に用いた筆を二千本以上納めた筆塚も存在します。





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芸能神社御本殿 


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芸能神社は、車折神社の境内社の一社で、昭和三十二年=1957年、他の末社より御祭神の 天宇受売命 あめのうずめのみこと を御分祀申し上て創建した神社です。

天宇受売命が芸術や芸能の祖神として古来より崇敬される所以 ゆえん は「神代の昔、天照大御神 アマテラスオオミカミ が、弟君である素戔鳴尊 スサノヲノミコト の行いに心を痛められ、天岩戸 あまのいわと にお隠れになり、この世が暗闇になりました。天宇受売命 アメノウズメノミコト が岩戸の前で演舞され、天照大御神の御神慮を只管 ひたすら お慰め申し上たところ、大御神が御出現になり、この世に再び光を取り戻した。」という故実に基きます。

アメノウズメノミコトは、『古事記』では 天宇受賣命、『日本書紀』では 天鈿女命と表記されています。天岩戸神話の踊りが今も神前で奉納される神楽 かぐら の原型とされ、『古事記』や『日本書紀』に「巧みに俳優 わざおぎ をなし」と記されていることから、俳優の始祖とも言われます。現在では、芸術芸能全般の「かみさま」として信仰を集めています。





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境内を埋尽す朱塗の木の玉垣には、奉納した芸術家や歌舞伎役者や芸能人などの名前がズラリと並んでいます。その数 何と四千本超!御神職お一人の手書きなので出来上るまでに二ヶ月程かかるのだとか。凄いですね~!


永見先生は、朱塗の木の玉垣と石の玉垣を奉納されました。
メリー・アーティスツ・カンパニー、ザ・ディライトフル・カンパニー、スマイル・ミュージカル・アカデミーも朱塗の木の玉垣を奉納しましたので、出来上りましたら、このブログでご紹介します。
どうぞ、お楽しみに ♬





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何と 特別に「藝能大神」を「車折神社」の 御本殿にお招きして 永見隆幸先生が御祈祷を受けられることになりました!





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車折神社 くるまざきじんじゃ 御本殿





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永見先生が戴いた授与品


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御札 御守 御下 おさが





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芸能神社 御神符





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御札型 祈念神石


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御神供


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御神饌


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器は新宮州三の作品


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記念品


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象彦の漆塗の豆皿


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御守 芸術才知守護 玉垣を奉納した人だけに授与される御守


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芸能玉垣 奉納記念 車折神社 芸能神社





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俵屋 旅館 永見隆幸 訪問 令和四年三月 京都 麩屋町通 和食 懐石料理 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、京都 麩屋町通沿いにある老舗旅館 俵屋 たわらや に滞在なさいました。


永見先生のホテル暮しは よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生にとって、旅館やホテル暮らし以外の選択肢は、無いのかもしれません。


俵屋旅館について永見先生に教えて戴いたことを記事にしました。先生は、芸術文化全般に造詣が深く、本当に何でもよくご存知です。



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1704年頃の創業と言われる俵屋の歴史は三百年余。1704年は、元禄十七年、宝永元年に当り、第百十三代 東山天皇の御代、江戸幕府五代将軍 徳川綱吉の時代。俵屋旅館は、京都に現存する最古の旅館とされる。
現在の島根県、石州浜田の呉服店「俵屋」京都支店の支配人だった岡崎和助の持成 もてな しが評判になり、本業の傍ら石州藩士に宿を供するうちに、こちらが本業になったと伝えられる。
現在の当主は第十一代目 佐藤年。勿論、旧姓は岡崎。伴侶が写真家のアーネスト・サトウ Y. Ernest Satow であることはよく知られている。



永見先生の曽祖父に当る方が石州島根に居を構えていらして、東京の芝に住んでいらっしゃったお祖父様が島根県人会の会長をされていたことなどを思えば、先生が俵屋に縁があるのは不思議でも何でもないのかもしれません。





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俵屋の板塀は釿削 ちょうなはつり とも称される名栗仕上 なぐりしあげ


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俵屋は、平成十一年=1999年10月14日、国の有形文化財に登録された。
禁門の変(蛤御門の変/元治の変 元治元年七月十九日=1864年8月20日)による焼失後に再建された瓦葺木造二階建の建造物。残っている最も古い部分は文化七年=皇紀2470年=1810年のもの。
入口は麸屋町通に面し、複数の中庭や外庭が全ての客室(全十八室)から見ることが出来るように配置されている。洗練された数寄屋風建築には、風格、品位、雅、などを感じるという向きが多い。
古くからの書院造、数寄屋造、吉村順三の増築と、歴史と伝統を踏まえながら、時代に応じた改修を重ねている。





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当主が聖域と呼ぶ入口は昔のまま


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俵屋は、国の内外を問わず、VIP御用達。顧客は、諸外国の国王、ロスチャイルドやロックフェラー、アメリカ合衆国大統領など政財界の大物、著名人が目白押し。古くは、井伊直弼の家臣で安政の大獄に大きく関った国学者 長野主膳の定宿であり、長州の毛利家や水戸徳川家などの諸大名や、鷹司家、近衛家、三条家、九条家など、公家の旅籠 はたご として用いられた。日本国初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、岩倉具視、大隈重信、大久保利通、木戸孝充ら明治の元勲らも逗留している。海外の顧客も多く、指揮者のレナード・バーンスタイン、ヴァイオリニストのアイザック・スターン、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックやスティーヴン・スピルバーグ、映画俳優では、マーロン・ブランド、リチャード・ギア、トミー・リー・ジョーンズ、トム・クルーズ、キアヌ・リーブスらが宿泊。Apple 創業者のスティーブ・ジョブスが定宿 じょうやど にしていたことでもよく知られている。



永見先生のご先祖様は、長州の毛利家に仕えた武士でいらしたとか。ひょっとして、俵屋にお泊りになっていたかもしれませんね。





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加藤静允「犬張子絵馬」





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俵屋にはホームページ home page がなく、ソーシャル・ネットワーキング・サービス SNA の類も一切やっていません。ミシュランガイドにも協力していないのだとか。それだけ常連さんを大切にしているということでしょうか。


その姿勢は、永見先生の毅然としたところ、寄らば斬るの気迫に相通ずるものなのかも知れませんね。





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沓脱 くつぬぎ


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俵屋の玄関 ~ 外塀、玄関、中坪などは昭和二年=1927年頃に改築。中坪 なかつぼ とは、中庭、建物に囲まれた庭のこと。





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人形師 四世面竹作 立雛





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田山方南筆「旅一首」





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上から 有職投扇興/狛犬/有職貝桶 貝合


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中坪に咲く桜





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中坪に咲く桜を愛でる永見先生


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中坪なので、もちろん天井はなく、桜が美しく自然光に映えています。





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「廊下を歩いているだけで様々な 設 しつら えが楽しめて御機嫌」と仰 おっしゃ る永見先生





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庭座
写真に映っていませんが庭座の設えは 辻村史郎「立ち雛」





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皇都 池田東籬亭主人考正 中村有楽齋画 天保五甲午年開板





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村岡松華堂作 有職雲上流造花「上巳」
上巳 じょうし/じょうみ とは、五節句の一つ、三月三日を指す。





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細川護熙筆「春の暮」





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雛飾りのある応接間


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その奥へ進むと…





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図書室「高麗洞」





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文化九年=1812年(江戸後期)人形師 丸平作 内裏雛





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二階へ上ってみましょう!





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今尾景樹「月次風俗図短冊 雛」





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中里恒子の書

小説『乗合馬車』で女性として初めて芥川賞を受賞した小説家の中里恒子は、代表作に、読売文学賞を受賞した『歌枕』、芸術院恩賜賞を受賞した『わが庵』、女流文学賞を受賞した『誰袖草』、映画化もされた『時雨の記』などがある。著書多数。





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永見隆幸先生がお泊りになられた部屋は「富士の間」


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富士の間は、俗に俵屋三室と呼ばれる別格扱いの部屋の中でも筆頭に挙げられる素晴らしい部屋だそうです。トム・クルーズも泊っています。


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次の間


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秋艸道人の書

秋艸道人 しゅうそうどうじん とは、書家、歌人、美術研究者として知られる會津八一 あいづやいち のこと。渾斎 こんさい の号も用いている。
新潟で明治十四年=1881年8月1日 に生れたことから八一と名付けられた。
中学時代に新聞俳壇の選者になり、その頃、北陸旅行中の尾崎紅葉の話相手を務め、当時まだ評価の定まっていなかった良寛の芸術を認めて正岡子規に知らせるなどして、早熟の天才と謳 うた われていたらしい。
昭和二十三年=1948年に早稲田大学名誉教授、昭和二十六年=1951年には新潟市名誉市民になった。


「仁者静」は、孔子の論語 雍也第六の二十三「子曰 知者楽水 仁者楽山 知者動 仁者静 知者楽 仁者寿」の一節。

子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿 いのちなが し。

孔子が仰るには、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は水の如く滞ることなく動き、仁者は泰然自若とした山のように静かである。知者は絶えず変化して楽しみの尽きることがなく、仁者は静かなる山の如く永遠の中に安住する。





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次の間から見た欄間





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愈々 いよいよ 本間


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掛軸は 田山方南「春高楼華宴」

田山方南は、明治三十六年=1903年10月6日、三重県に生れる。本名、信郎。東京帝国大学文学部国史学科卒業。昭和四年=1929年、文部省に入省、国宝鑑査官や文化庁主任文化財調査官などを歴任。日本や中国の禅僧の墨跡研究で知られる昭和の文人。書跡、典籍、古文書などの文化財調査と保存に尽した。文化財専門調査会書跡部会長。昭和五十五年=1980年12月31日没。享年77歳。著作に『禅林墨蹟』『続禅林墨蹟』『禅林墨蹟拾遺』ほか。俵屋の顧客でもあった。





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机の上に置いてある「これ」は何かと訊ぬれば…


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令和四年三月の俵屋の設 しつら いを記したもの





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ウェルカム・スウィーツ


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俵屋名物自家製蕨餅 本蕨粉と俵屋旅館に湧出る清浄な地下水と黒砂糖のみを使用





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書斎が出現!


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書斎から見た入側 いりがわ





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富士の間の三和土 たたき





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左側に御手洗の入口





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御手洗の入口横にある設 しつら


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御手洗の天井


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水回りは改装されて新しいのですが、富士の間の雰囲気を損ねることのない素適なつくりになっています。





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突当りが洗面所





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洗面所


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洗面所も改装されて新しく、広くてモダンな感じなのですが、全く違和感がなく、水回りは、寧ろこれ位の方がよいのではと思われました。抑制の効いたお洒落なデザインで、品もよく素適な洗面所です。





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風呂場


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ここでも品のよい和のテイストが保たれて雰囲気を壊すことはありません。


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高野槇の風呂 保湿性に優れ朝まで熱い湯が楽しめたそうです。





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洗面所から見た入側 いりがわ





御食事





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弥生 献立





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食前酒 永見先生は酒を召上らないので殆ど形だけ





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先附


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雛寿司 酢取蓮根 蜆茶巾 海老 穴子
白魚香揚 楤芽 たらのめ


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蛍烏賊 生姜醤油 山独活 御多福





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小吸物 蛤吸 石蓴 あおさ 海苔 胡椒





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向附


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鯛剥造 へぎづくり


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河豚芋掛


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生雲丹





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煮物 鱒博多蒸磯香仕立 若筍 菜花 木芽 


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焼物 焼筍 大原野白筍 琵琶湖 子持本諸子山椒焼


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蕗花山椒煮 木芽味噌





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温物 あつもの/ぬくもの


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鴨治部煮 丸大根 粟麩 水菜 山葵





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強肴 しいざかな 飯蛸辛子味噌掛 分葱 わけぎ 蕨 わらび 芽紫蘇 めじそ


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止椀 合味噌





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水物 菓子


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餅麩善哉 もちふぜんざい


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八朔 はっさく





花板 黒川修功 料理長の健在を確信する美味しさだったそうです。





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最高級本和三盆のみを用いた俵型の干菓子「福俵」





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まず 今日 こんにち は これ切





ご贔屓様のお招きや、舞台の打合せや、美味しいものを召上る機会の多い永見先生…

高級な料理しか召上らないのかと思いきや、何でも口にされます。


永見先生曰 いわ く「人間も食物連鎖の中に居て、動物や植物の命をいただいて生きているのですから、アレルギーや病気なら仕方ありませんが、感謝して何でも有難く口に運ぶべきだと考えています。腕利きの職人による高級食材を用いた料理も、家庭料理も、B級グルメも、楽屋弁当も、それぞれに異なる美味しさがあって、自分は、いずれも楽しんで食しています。至高の料理を探求することも大切だと思いますが、だからと言って、食の多様性を否定するのは、豊かな生活を自ら否定するようなものではないでしょうか。」


サスガですね! 真に多様性の意義を理解しておられる。

世界各地で研鑽を積んで来られた方は仰 おっしゃる ことが違います。





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竣工祭 斎行 伏見永幸稲荷 稲荷宮 永見隆幸 企画 立案 プロデュース [永見隆幸先生information]



音楽家 著作家 舞台ディレクターの 永見隆幸先生が 企画 立案 プロデュースされた 稲荷宮 いなりのみや 「伏見永幸稲荷」にて 竣工祭 しゅんこうさい が 斎行 さいこう されました。


言うまでもなく、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。


この稲荷宮は、伏見稲荷大社より 本大斎祀式 御神璽勧請 おみたまかんじょう を 受けていらっしゃいます。



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この稲荷宮建立に携った匠の皆さんをお招きして、お力添えにお礼を申し上げ、無事に素晴らしく仕上ったことを共に「伏見永幸稲荷大神」に感謝する機会を持ちたいという永見先生の強い御意思によって実現した「竣工祭」。このお祀りは、奉祝祭と称する場合もあります。





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神苑全景





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橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠の揮毫 きごう 福善堂坂井看板店 ふくぜんどうさかいかんばんてん 四代目 坂井智雄さんの手彫 てぼり による 檜の招木 まねき


伏見稲荷大神と千代保稲荷大神を併せてお祀りしています。





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御神域

西口神具店が製作してくださったもの
・伏見永幸稲荷宮 御本殿
・両部鳥居 りょうぶとりい を含む朱塗 しゅぬり の 檜 ひのき 鳥居 七基
・玉垣
・注連縄:御本殿用/両部鳥居用/手水舎用
・紙垂 しで:伊勢神宮で用いられている紙と同じものを使っています。





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特選 檜 ひのき で制作された特注の神額 しんがく

橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉 たちばな うのきち 師匠 福善堂坂井看板店さん 指物益田さんをはじめ 名だたる江戸職人が 大勢 制作に携 たずさわ った 神額

この両部鳥居に掛けられた神額は、伏見稲荷大社の楼門に掛けられている神額に倣って制作されました。伏見稲荷大社の楼門は、国の重要文化財に指定されています。





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橘右之吉師匠が奉納してくださった稲荷幟 いなりのぼり


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天童木工 てんどうもっこう 独自の技術「Roll Press Wood」に「圧密浸漬処理」を加えて屋外でも使用できる木の椅子





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初お目見え「ザ・ディライトフル・カンパニー」特選 檜 ひのき 製 金看板
橘右之吉師匠の題字で福善堂坂井看板店 製作





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両部鳥居の注連縄が張ってある処に見えるのは御神紋「抱稲紋 だきいねもん





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西口神具店 特注 木曾檜製「稲荷宮御本殿」と 御供物 おそなえもの


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御本殿から見た鳥居


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旧神紋の鍵紋





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龍城神社宮司に御出座 おでまし いただいております。





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本日ご臨席の皆様はお忙しい方ばかりで、全員集まることの出来る日が偶々この日だったらしいのですが、伏見永幸稲荷宮 竣工祭 が斎行された令和四年三月二十六日(土)は、「一粒万倍日」で「天赦日」で「寅の日」という究極に縁起のよい日なのだそうです。その上この日は先勝。午前中に斎行された竣工祭が大成功するのは、道理なのかも知れませんね。





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神額のお祓い


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看板のお祓い


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招木 まねき のお祓い





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盛大かつ厳粛に斎行される竣工祭





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祝詞奏上 のりとそうじょう





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永見隆幸先生


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ご臨席全ての皆様おひとりおひとりにお参りいただきました。





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橘右之吉師匠


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橘右之吉師匠


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橘右之吉師匠の奥様


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奥様と永見先生を写真に収める右之吉師匠





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福善堂坂井看板店 四代目 坂井智雄さん





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指物益田 益田大祐さん





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西口神具店
西口直孝さん(前列右:三代目 宮師)
西口賢太郎さん(後列左:四代目 宮師 代表取締役)
西口真太郎さん(後列右:宮師)





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大川石材代表取締役社長 大川弘展さん


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大川石材 特別誂 とくべつあつらえ の 庵治石 あじいし の 石碑

庵治石 あじいし は、花崗岩のダイヤモンドと呼ばれ、その、きめ細やかな地肌、艶やかな光沢、石目の美しさを以て世界最高の品質と謳 うた われています。粒子の大きさで、細目 こまめ、中細目 ちゅうこまめ、中目 ちゅうめ などと分類されますが、この石碑は、細目の中でも最も高く評価される最上級材で、微小な黒雲母 くろうんも の数が多く、艶 つや やかに磨かれた石の面に、斑が浮くと表現される二重の絣模様 かすりもよう が見られます。永見先生が、どうしても石碑には最高級の庵治石を用いたいと仰 おっしゃ って高松の石材店から取寄せられたものです。小口には、熟練の職人による手彫の「銀杏面取 ぎんなんめんとり」が施されています。





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永見先生に大川社長が贈られた生花


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天童木工 後藤営業部長





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建築士の方々





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造園会社の社長さん





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建築会社の営業部長さん





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伏見永幸稲荷宮について解説する永見先生





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永見先生がお召になっているモーニング・ドレス Morning dress は、朝の男性正礼装。日本では、モーニング・コートと呼ばれていますが、本来は、モーニング・ドレスの上着のみを モーニング・コート morning coat と言います。

このモーニング・ドレスは、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが 永見先生のために仕立ててくださったものです。服部さんは、今上陛下や上皇陛下の礼服を 仕立てていらっしゃいます。

レッサー&サンズ H.Lesser & Sons London ヴィンテージ生地を用いて、英国王室ジョージ五世陛下がお召になっていたモーニング・ドレスに近いデザインで仕立てられたそうです。

礼服に詳しい方が、永見先生のモーニング・ドレス姿をご覧になって、風格も品位も申し分ないが、このようなスタイルのモーニング・ドレスは初めて見たと、驚いていらっしゃいました。

永見先生は、モーニング・ドレスを午前中 、フロック・コートを午後、燕尾服 White tie / Full evening dress を夕方以降と お召になる礼装を替えていらっしゃいます。寛仁親王殿下も 礼服を同様に着分けていらっしゃったとか。流石は永見先生!





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伏見永幸稲荷宮建立に携った関係者が記された銘板を写真に収める橘右之吉師匠(左)


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福善堂坂井看板店 四代目 坂井智雄さん


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大川石材 大川弘展社長





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庵治石の石塔をご覧になる坂井智雄さん(左)益田大祐さん(右)





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ご自身が彫られた ザ・ディライトフル・カンパニーの金看板を久し振りにご覧になる福善堂坂井看板店 四代目 坂井智雄さん(右)指物益田 益田大祐さん(左)





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師匠ご自身がお書きになった神額を撮影なさる橘右之吉師匠





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ご自身が彫られた神額を写真に収める 福善堂坂井看板店 四代目 坂井智雄さん





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天童木工 てんどうもっこう 独自の技術「Roll Press Wood」に「圧密浸漬処理」を加えて屋外でも使用できる椅子に腰かけて写真に納まる永見先生(左)天童木工 後藤営業部長(右)





竣工祭の後、永見先生は、ご来賓の皆様と、歴史的景観保全修景地区の 京都祇園南側をイメージした 和食処「きさらぎ」にて昼食を召上りました。





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左から、永見先生、橘右之吉師匠、師匠の奥様。





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皆さんが帰途に着かれた後で、永見先生は「このように日本を代表するような名匠の皆さんと知合い立派な稲荷宮を落成することが出来て自分は果報者だ。」と、しみじみ語ってみえました。


ご神職も伏見永幸稲荷宮建立に携った名匠の皆さんも「このような機会は一生に一度あるかないか」と、感激のご様子。


類は友を呼ぶというのは今日の皆さんの事だと思います。このような人間関係を構築することは極めて難しいと言うか、殆ど不可能に近いのではないでしょうか。
永見先生の周りに出来る人の輪は、素適すぎて羨まし過ぎます!





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稲荷宮 完成
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稲荷宮 初午祭 斎行
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稲荷宮 神紋 注連縄
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永見隆幸 帝国ホテル東京 再訪 令和四年三月 №2 Imperial Hotel Tokyo [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの永見隆幸先生が、定宿 じょうやど にされている 帝国ホテル東京 Imperial Hotel Tokyo に宿泊されました。


永見先生のホテル暮しは、よく知られています。舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、大阪と、世界を駆巡る先生にとって、ホテル暮らし以外の選択肢は、無いのかもしれません。





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エントランス


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パーラールーム Parlor Room のデスク


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パーラールーム Parlor Room の応接セットには 総支配人のウェルカム・レター、ウェルカム・ドリンク、生花、菓子類、プレゼントなどが山盛





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ウェルカム・ドリンク 虎屋の羊羹と干菓子


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永見先生へ総支配人からのウェルカム・レターとプレゼント





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総支配人から永見先生宛のウェルカム・レター





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プレゼント


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ウォーク・イン・クローゼット Walk-in Closet ~ 永見先生の衣装を仕舞うには、これ位のスペースは絶対に必要です。





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質感があり 抜群の座り心地を誇る 本革製リクライニング・チェア Reclining chair でリラックスなさる永見先生





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素晴らしい寝心地の 帝国ホテルオリジナル寝具「スリープワークス 」





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鏡台 Dressing table


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奥の居間 Sitting room で寛 くつろ がれる永見先生


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綺麗な夜景も楽しめます ♬





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バスルーム Bathroom で身嗜 みだしなみ を整えられる 永見先生





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永見先生がお召になっていらっしゃるオーヴァーコート Overcoat は ヴィキューナ Vicugna / Vicuña ヴィクーニャの生地
天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが永見先生のために仕立ててくださったものです。服部さんは、今上陛下、上皇陛下の洋服を仕立てておられます。
服部 晋の「仕立屋日記」#349.ビキューナ(Vicugna)の記事が、永見先生のこのコートに関するものです。


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永見先生がお召になっているショール・カラーのバーガンディー・ベルベット・ディナー・ジャケット(タキシード)も、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが永見先生のために仕立ててくださったものです。
ウィング・カラーのドレス・シャツ、アンジェロ・フスコ Angelo Fusco の黒蝶タイ、レッサー&サンズ H.Lesser & Sons London ヴィンテージ生地のトラウザーズとカマーバンドは服部さんの仕立て。
黒のエナメルは 皇室御用達の小澤靴店製です。





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家具などの色合 いろあい や 設 しつら えが、落着いたクラシカルな重厚感のあるもので纏 まと められている印象です。安っぽさや 毳毳 けばけば しさは、微塵 みじん もありません。永見先生は、風格と品位のある、こういう場所が、本当にお似合いになります。一流の方には、常に一流のものに触れて戴 いただ きたいと願っています。


雨露さえ凌 しの ぐ事が出来れば泊るのは何処でも構いませんと、永見先生は 仰 おっしゃ いますが、先生を招聘 しょうへい する側の方々が、そういう訳には行かないと言われます。


様々な格付が存在しますが、永見先生には、帝国ホテル東京が群を抜いて世界一だそうです。細やかなホスピタリティが他を寄せつけぬ素晴らしさなのだとか。





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永見隆幸
NAGAMI Takayuki

音楽家 著作家 舞台ディレクター

20代から30代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

ヘンデルなどのバロック・オペラや、モーツァルトの『魔笛』タミーノ、『コジ・ファン・トゥッテ』フェランド、『後宮からの誘拐』デルモンテや、ヴェーバー『魔弾の射手』マックスなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

ヴェルヴェット・ヴォイスのマエストロと称され、トリノ王立歌劇場などに出演する。数多くのコンサートやレヴューでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演をはじめ、常に脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン Gershon 役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『ザ☆ブロードウェイ』バーディ・ウォリントン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感や抜群の表現力が高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラのリード・ヴォーカル。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。現在、新録音進行中。

東海地方においても活躍。名古屋市芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
美術にも造詣が深く、「目利き めきき」や「見巧者 みごうしゃ」と呼ばれている。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。

現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director、東京二期会 会員、ほか。
(プロフィール作成:ザ・ディライトフル・カンパニー)





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永見隆幸 帝国ホテル東京 再訪 2022.3.
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永見隆幸 帝国ホテル東京 訪問 2019.9.
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永見隆幸 帝国ホテル東京 再訪 2021.12.
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