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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和四年八月  [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや を再訪されました。



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永見隆幸先生(左)柊家六代目女将 西村明美さん(右)





永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮し以外の選択肢が無いのかもしれません。


常の如く、多方面の芸術文化に造詣が深い永見先生のお話を基に、この記事を書き進めて参ります。


京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊りました。





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柊家の本館は木造二階建の数寄屋造で新館はモダンな和風の鉄筋三階建

塀の周囲に廻らされているのは駒寄せの柵

京都 老舗旅館御三家 筆頭の呼声も高い柊家

柊家は、昔、柊屋であったらしいという説もありますが、今は柊家。「屋」ではなく「家」です。

京野菜など四季折々の新鮮な旬の素材を厳選、腕によりをかけた京懐石も味わうことが出来ます。





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文政元年(第百二十代 仁孝天皇 江戸幕府第十一代征夷大将軍 徳川家斉)1818年、福井から京に上った初代庄五郎が庄屋として京都に居を構え、運送業や鯖街道を下って入って来る魚を扱う海産物商を始めたのが柊家の始まりだそうです。

左京区にあって正式には賀茂御祖神社と称される世界遺産の下鴨神社、その境内にある比良木神社が柊家という屋号の由来です。邪気を祓う柊の木が自生する比良木神社に、初代庄五郎が深く帰依したのだとか。

二代目庄五郎を名乗った定次郎は、柊家政貫と号すほど、本業よりも刀の鍔目貫 つばめぬき の技に長じていました。街道沿いに店があって仲間の商人の求めに応じて宿も営んでいたので、文久元年(第百二十一代 孝明天皇 江戸幕府第十四代征夷大将軍 徳川家茂)1864年、東海道の終点に位置する三条の地で旅籠を本業にしました。幕末には維新の志士が泊り、明治になってからは大臣が定宿にしていたそうです。

三代目庄五郎の頃になると、明治政府の要人は言うまでもなく、皇族、公家、華族、文人墨客にも愛されるようになりました。大正天皇の即位式が京都で行われた折には、大臣が 挙 こぞ って柊家を利用したそうです。第一次世界大戦中には、東郷平八郎元帥をはじめ、軍人の定宿としても繁盛していたのだとか。

柊家の宿泊客には、政財界はもとより、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石、正岡子規、宇野千代、林芙美子ら、各界の著名人が名を連ねています。特に、川端康成と三島由紀夫は、頻繁に利用していたらしく、柊家が別宅と言われるほどでした。海外からの来訪者も、各国の王族、政財界の重鎮、チャーリー・チャップリンや アラン・ドロンら、枚挙に暇 いとま がありません。





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柊家の門前に佇む永見先生


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往時は人力車も出入して広々とした間口


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永見先生は、「柊家の『古さ』とは、『使い込まれた質感の輝き』なのであって、『手垢 てあか に 塗 まみ れた不潔さ』などとは全く無縁です。自分は、それをレトロ感覚やノスタルジックにも捉えません。歴史と伝統が放つ艶消の光とでも表現すべきだろうと考えます。」と仰 おっしゃ っています。





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柊家の玄関


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重野成斎 しげの せいさい の書「來者如歸 らいしゃにょき


きた る者 帰るが如し。
柊家の三代目が揮毫して戴いたのだとか。柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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帳場の書額


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帳場に活けてある柊


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帳場の呼鈴 よびりん





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石田亘の硝子作品


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大広間の前にも掛けられている石田亘の硝子作品





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喫煙室


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何と喫煙室でも楽しめる坪庭





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応接間の設 しつら


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柊家本館案内図





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永見先生(左)のお泊りになるお部屋まで早速ご挨拶にお越しくださった柊家六代目女将 西村明美さん(右)


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永見先生がこの日宿泊なさったのは16号室。川端康成が執筆する際に用いていた部屋だそうです。よく14号室にも逗留していたそうですが、一人の時は16号室に泊ることも多かったとか。





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16号室の入口


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内側から見た部屋の入口





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入側 いりがわ にて 御着菓子 おつきがし=ウェルカム・スイーツ を召上る永見先生





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永見先生は暫し入側にて庭の景色を楽しまれました。


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柊家四代目女将の句碑

朧夜乃 おぼろよの 阿可 あか りが星 ほし う 愛宕山 あたごやま


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座卓にて寛 くつろ がれる永見先生





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先ず落款に目を留められた永見先生、「高幹 こうかん とあるのは竹内栖鳳 たけうち せいほう ではないか」と仰 おっしゃ います。右側に「栖鳳作」とあるようにも見えますが、確認したところ、確かに竹内栖鳳の支那山水に間違いないそうです。
落款でお判りになるところが、永見先生の永見先生たる所以 ゆえん と感服致しました。


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貫名菘翁 ぬきな すうおう の書額「間資寿」

貫名菘翁
安永七年三月=1778年~文久三年五月六日=1863年6月21日
江戸時代後期における文人画家の巨匠とされ、就中 なかんずく 書は、幕末の三筆と謳 うた われる。





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この部屋は殊 こと に静かで執筆には最適と仰 おっしゃ る永見先生





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硯箱


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入側 いりがわ


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入側の鏡台


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入側の天井


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洗面所


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風呂場の入口





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高野槇 こうやまき の浴槽


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風呂場のステンドグラス





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う 斯うする内、燈籠 とうろう に 灯 あかり が 点 とも ります。





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この日は「庭を観ながら食事を摂りたい」と仰 おっしゃ り、先生は、お泊りになるお部屋の入側にて晩御飯をお召上りになりました。柊家の料理長は岩山泰久さんです。


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先付





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食前酒 招穂 京都梅酒





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海老 自家製唐墨 長芋 枝豆


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毛蟹 黄菊和 長芋 壬生菜


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蓴菜 じゅんさい





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鱧吉野 陸蓮根 おくら 椎茸 梅肉





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造里 石垣 いしかげ 貝 烏賊 雲丹


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造里 鮪 山葵


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焼物
天然鮎塩焼 蓼酢 茗荷
玉蜀黍 銀杏 掻揚





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凌 饂飩 うどん 海素麺 鮑 鬼下 おにおろし 生姜 喰出汁





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肉 合鹿椀 ごうろくわん の如き大振の椀で供せられました。


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和牛 松茸 温玉 葱





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食事


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白御飯 新潟魚沼産越光 こしひかり


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鱧山椒焼


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香物 こうのもの 水茄子 南瓜


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留椀 赤出汁 湯葉 三葉 みつば





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果物


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檬果 まんごー 麝香葡萄 ますかっと





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すっかり庭は夜の景色


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今宵は鍵をお預けになって、先生は、夜の散歩へとお出かけになりました。





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旅館柊家の看板


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厄除けの護符として知られる 長刀鉾 なぎなたほこ の 粽 ちまき

蘇民将來子孫也 そみんしょうらいしそんなり とあります。





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左上の表示板には、歴史的意匠建造物 京都市とあり、その下の表示板に、景観重要建造物 歴史的風致形成建造物 京都市と記されています。





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ぶらぶら歩きを楽しまれた永見先生がお帰りになるとお茶が用意されていました。正 まさ しく「来者如歸」の心配りです。


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爽やかな朝の庭


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柊家の計らいで、朝食は別室にてお摂りになるそうです。





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永見先生が朝食を召上るお部屋の入口


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柊家本館25号室は、三島由紀夫お気に入りの33号室の真上に位置し、部屋の造りも33号室によく似ているのだとか。





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次の間の鏡台





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次の間の欄間


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本間から見た次の間





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本間の襖


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立体的な盛上胡粉の手法を用いて描かれた扇


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金箔は張替るものの扇は江戸時代の作品





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東郷平八郎の書額「瑞氣滿堂」

東郷平八郎 とうごうへいはちろう
弘化四年十二月二十二日=1848年1月27日~昭和九年=1934年5月30日
明治三十六年=1903年12月、連合艦隊司令長官に任命される。翌1904年6月、大将に昇進。日露戦争の日本海海戦において、明治三十八年=1905年5月27日、ロシアのバルチック艦隊を撃滅、世界的名声を得、「東洋のネルソン提督」と称された。大正二年=1913年4月、元帥に昇進。大正三年=1914年4月東宮御学問所総裁に就任。大正15年=1926年、大勲位菊花章頸飾を受章。昭和九年=1934年5月29日、侯爵に陞爵 しょうしゃく。昭和九年=1934年5月30日、薨去 こうきょ。享年86歳。昭和九年=1934年6月5日、国葬が執行 とりおこな われた。





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付書院


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いつも柊家の料理は質量ともに満足させてくれると仰 おっしゃ る永見先生





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湯豆腐の桶は 人間国宝 中川清司作


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平野とうふ製の豆腐





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湯波半老舗の湯葉





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永見先生がお発ちになる前に冷やし飴を振舞ってくださいました。


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御土産まで頂戴したそうです。





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永見先生(左)を お見送りくださる柊家六代目女将の西村明美さん(右)





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柊家のタオルに包 くる んでくださったのは…


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飲料水を凍らせたもの


永見先生が仰 おっしゃ るには、「こうした配慮は、家族同然の心配りのように思います。柊家の玄関に掲げられている『來者如歸 らいしゃにょき』の精神、つまり、客人 まろうど がまるで我が家に帰って来たかのように感じる 飾らぬ持成 もてなし が、柊家では、至るところで実践されていると自分は思うのです。それは、川端康成の『昔から格はあっても、ものものしくはなかった。』という柊家評にも繋がるのではないでしょうか。」





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柊家 旅館 永見隆幸 再訪
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令和四年七月 京都 麩屋町


柊家 旅館 永見隆幸 再訪
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令和四年五月 京都 麩屋町


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令和四年一月 永見隆幸 訪問


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西口神具店 永見隆幸 再訪 伊勢神宮御膝元 三重 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、伊勢神宮の御膝元 おひざもと にある 西口神具店 にしぐちしんぐてん を再訪されました。



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永見隆幸先生(中央)
西口賢太郎さん(左:西口神具店四代目 宮師 代表取締役社長 ご次男)
西口真太郎さん(右:宮師 ご三男)





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永見先生(中央)西口賢太郎さん(右)西口真太郎さん(左)

神棚や 御霊舎 みたまや 用の木曽檜 きそひのき。定尺で 5mの長さがあり、厚みは一寸二分から四寸くらい。最低でも 2年は屋外で寝かせておくそうです。黒く日焼けした木曾檜も一皮剥けば美しい檜色に!





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西口神具店 作業場にて 永見先生(中央)西口賢太郎さん(左)西口真太郎さん(右)





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ザ・ディライトフル・カンパニー品川事務所に安置される御札立

西口賢太郎さん(左)西口真太郎さん(右)





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永見先生の御実家に安置される予定の神棚と同型の茅葺屋根違三社宮 かやぶきやねちがいさんしゃみや


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茅葺屋根違三社宮 かやぶきやねちがいさんしゃみや


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大社宮 たいしゃみや に興味をお示しになる永見先生





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神棚についてお話される西口神具店四代目 西口賢太郎さんと永見先生


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永見先生の御実家に安置される予定の天地六尺御霊舎 みたまや


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談笑される永見先生と西口神具店四代目 西口賢太郎さん





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別誂 べつあつらえ 御霊璽 ごれいじ


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三重にある施設で打合せ中の永見先生とザ・ディライトフル・カンパニー代表取締役 くまがや敏 びん 社長


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西口賢太郎さん(左)西口真太郎さん(右)





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仮組 かりぐみ に取掛る西口真太郎さん


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興味深そうにご覧になる永見先生


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西口賢太郎さん(左)西口真太郎さん(右)


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如何に精密さが要求される仕事かを説明する西口賢太郎さん(左)と 永見先生(右)





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西口神具店には見た事も無いような神棚や 御霊璽 ごれいじ や 御霊舎 みたまや があって「とてもよい勉強になります」と、永見先生は仰 おっしゃ います。
芸術文化の各方面に造詣の深い永見先生にも「ご存知ない事があるのですか」と不躾 ぶしつけ な質問を差上げたところ、「勿論 もちろん 知らない事の方が圧倒的に多いです」とのお答え。常に謙虚でいらっしゃいます。





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親方こと西口神具店三代目の西口直孝さんが携わる西口農園にて収穫された胡瓜をお土産にいただく永見先生

永見先生は「おやつ」に胡瓜を召上ることが多く、頂戴した胡瓜も、あっという間に無くなってしまったということです。噂によると、どこかの料亭に出た胡瓜よりも美味しかったとか…


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伏見永幸稲荷 稲荷宮 神苑 完成
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伏見永幸稲荷 竣工祭斎行
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伏見永幸稲荷 神紋 注連縄 西口神具店
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神宮 伊勢神宮 皇大神宮 内宮 永見隆幸 参詣 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、神宮(伊勢神宮)の 皇大神宮 こうたいじんぐう(内宮)を参拝されました。


ご存知のように「神宮」が、伊勢神宮の正式名称です。ですから「神宮」と言えば、伊勢神宮のことなのです。そして、内宮は「ないくう」と読み「ないぐう」と濁りません。


皇大神宮は、一般的に、神宮 内宮 ないくう の 正宮 しょうぐう と呼ばれ、親しまれています。



誠に恐れ入りますが 「写真や画像やロゴ等の転載は厳禁」ですので ご了承ください。
Sorry but the reproduction of the photograph and the logotype is strictly forbidden.





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皇大神宮 こうたいじんぐう 正宮 しょうぐう の前に佇む永見先生





この記事は、永見先生が教えてくださったお話を基に書き進めて参ります。


永見先生は、芸術文化全般に対して通暁しておられます。
いつものことながら、驚嘆に値する造詣の深さです。





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永見先生は開門と同時の朝五時より早朝参拝をされました。


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皇大神宮 こうたいじんぐう(内宮)

御祭神 天照大御神 あまてらすおおみかみ
御鎮座 垂仁 すいじん 天皇二十六年(BC4年)

 天照大御神は皇室の御祖神であり
歴代天皇が厚くご崇敬になられています
また私たちの総氏神 そううじがみ でもあります
 約二千年前の崇神 すじん 天皇の御代に皇居をお出になり
各地をめぐられたのち
この五十鈴川 いすずがわ のほとりにお鎮まりになりました
 二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮 しきねんせんぐう は千三百年余り続けられ
平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました





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宇治橋外側西にある大鳥居の前に佇む永見先生





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宇治橋をお渡りになる永見先生


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宇治橋は、全長101.8m、巾8.4mで、欄干の上に十六個の擬宝珠を据えた純日本風の反り橋です。床板や欄干は檜 ひのき で作られ、橋脚の部分は水に強い欅 けやき を用いるそうです。

宇治橋は、傷みが酷くなると修繕や架替えを行っていましたが、明治二十二年=1889年の第五十六回より、式年遷宮に合せて二十年に一度架替えられるようになり、今の宇治橋は、平成二十一年十一月三日に渡始式が行われています。
第二次世界大戦後の混乱によって第五十九回式年遷宮が昭和二十八年=1953年に延期されましたが、宇治橋だけは予定通り昭和二十四年に架替えられ、爾来 じらい、遷宮四年前の架替えが恒例になりました。

宇治橋の外側西と内側東に高さ7.44mの大鳥居が立っています。内側東の大鳥居は、内宮の旧正殿の棟持柱 むなもちばしら が、外側西の大鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱が用いられます。更に20年が経つと、内側東の大鳥居は鈴鹿峠の麓の「関 せき の追分 おいわけ」、外側西の大鳥居は桑名の「七里 しちり の 渡 わた し」の鳥居になります。正殿の棟持柱となってから、六十年の勤めを果たすのです。




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宇治橋内側東にある大鳥居の前に佇む永見先生





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神宮 神苑 しんえん


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広大な神苑





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大正天皇御手植の松





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火除橋 ひよけばし


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神宮 一の鳥居





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手水舎 てみずしゃ


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川原大祓 かわらおおはらい 祓所 はらえど

川原大祓 かわらおおはらい とは、遷御 せんぎょ 前日、仮御樋代 かりみひしろ、仮御船代 かりみふなしろ、御装束神宝などに奉仕する祭主をはじめ、神職の全てを祓い清める儀式。


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河合淵端 かわいぶちはた





内宮参道右手の緩やかな斜面を下りて行くと御手洗場 みたらしば があります。





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御手洗場 みたらしば


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石畳を敷き詰めた御手洗場 みたらしば は、元禄五年=1692年、江戸幕府五代将軍 徳川綱吉の生母である 桂昌院 けいしょういん が寄進したと伝えられています。
手水舎と同じようにお清めが出来ます。





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五十鈴川

永見先生がお召になっているのは、特製モーニング・ドレス morning dress で、昼間の男性正礼装。
モーニング・コート morning coat という呼称は、本来、上着のみを指して言います。
昭和大帝、上皇陛下、今上陛下の三代にわたり「天皇陛下のテイラー」として知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。
英国王ジョージ五世のスタイルがお気に召して、服部さんに、このデザインでとお願いされたそうです。
モーニング・コート morning coat と ウエィスト・コート waistcoat には 世界最高の礼服用生地と 謳 うた われる レッサー&サン H. Lesser & Son の ヴィンテージ生地が用いられ、縞ズボン formal striped trousers にも英国名門ホーランド&シェリー Holland & Sherry の最高級生地が使われています。 





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瀧祭神 たきまつりのかみ


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御手洗場の近くにあり、御垣と御門のみで社殿はなく、石畳に祀られています。
五十鈴川の守り神として古くから祀られ、内宮の所管社ながら、祭典は別宮に準じているそうです。





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神宮 二の鳥居





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御贄調舎 みにえちょうしゃ


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正宮の石段の下にあり、内宮の祭典の際、御饌都神 みけつかみ である外宮の豊受大御神 とようけおおみかみ をここにお迎えし、神饌の代表として鰒 あわび を調理する儀式が行われます。古くは五十鈴川の中州でこの行事が行われていたそうです。





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この奥が新御敷地 しんみしきち(古殿地 こでんち


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式年遷宮前に正宮社殿の建っていたいた土地を 古殿地 こでんち と称します。式年遷宮後半年程で新御敷地 しんみしきち と呼称が改められるそうです。





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正宮 しょうぐう 皇大神宮 こうたいじんぐう


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内玉垣南御門外の御垣内参拝(正式参拝/神宮特別参拝)が出来る永見先生の特別参宮章





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御稲御倉 みしねのみくら 神明造


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内宮の所管社のひとつ。神宮神田で収穫し、三節祭でお供えされる御稲が奉納されます。





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外幣殿 げへいでん


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古くは太皇太后陛下、皇太后陛下、皇后陛下の三后 さんごう 陛下、皇太子殿下、東海道駅使など、天皇陛下以外の方々が奉った幣帛や、神戸 かんべ の 調 みつぎ の 荷前 のざき などを納めていましたが、現在は、古神宝類が納められているそうです。





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荒祭宮 あらまつりのみや


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荒祭宮は、内宮に所属する十所の別宮の第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ寸法です。ご祭神は、天照大御神の荒御魂 あらみたま
神様の御魂の穏やかな働きを、和御魂 にぎみたま と申し上げ、荒々しく格別に顕著なご神威を表される御魂の働きを、荒御魂 あらみたま と 称 たた えます。





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祓所 はらえど

忌⽕屋殿 いみびやでん 前の庭で 祭典に先立ち神饌と神職を祓い清める場所


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忌⽕屋殿 いみびやでん

神饌の調理を行う、かみさまの台所。忌火 いみび とは、清浄な火の意。御火鑽具 みひきりぐ を用いて清浄な火を起こし、御供物 おそなえもの を準備します。





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由貴御倉 ゆきのみくら

内宮の所管社。由貴とは、清浄で穢 けが れ無いという意味。古くは、由貴大御饌 ゆきのおおみけ に供する御料の御贄 みにえ を奉納する倉で、御供物 おそなえもの や果物などを納めていました。





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御酒殿 みさかどの

内宮の所管社。御酒殿はお酒の かみさまをお祀りし、古くは御神酒を醸造していましたが、現在は、三節祭の前に酒麹を奉納し、白酒、黒酒、醴酒、清酒の四種類の神酒を一旦お納めするそうです。


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四⾄神 みやのめぐりのかみ

四至とは神域の四方の意。社殿や御垣がなく、石畳の上にお祀りされています。
二拝、二拍手、一拝の作法でお参りします。





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五丈殿 ごじょうでん

雨天、祓所 はらえど に代って神饌などが祓い清められます。
式年遷宮の 饗膳 きょうぜん の儀、摂末社の遙祀 ようし、ほかも行われます。


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神楽殿 かぐらでん


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風日祈宮 かざひのみのみや


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ご祭神は、伊弉諾尊 いざなぎのみこと の御子神で、特に風雨を司る神、級長津彦命 しなつひこのみこと、級長戸辺命 しなとべのみこと
古くは末社格の風神社でしたが、鎌倉時代の蒙古襲来(文永十一年=1274年の文永の役/弘安四年=1281年の弘安の役)の際に御神威を示す猛風が起り、未曽有の国難をお救いなされたご霊験によって、正応六年=1293年3月20日、太政官符を以て宮号宣下が発せられ、別宮に加えられたそうです。





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内御厩 うちの みうまや

皇室から献上された神馬 しんめ のいる所





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手水舎 てみずしゃ





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御池 みいけ


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近づいて来る一匹の鯉


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まるで永見先生に会いに来たかのようでした。





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御池の水は


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火除橋から五十鈴川へ





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外御厩 そとの みうまや

皇室から献上された神馬 しんめ のいる所





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神宮司廳石碑


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⼤⼭祇 おおやまつみ 神社(右)⼦安 こやす 神社(左)

大山祇 おおやまつみ 神社は、神路山 かみじやま の入口の守護神である大山祇神 おおやまつみ の かみ をお祀りし、古くは山神社と呼ばれていました。嘗ては式年遷宮の初祭である山口祭が奉仕されています。
子安神社は、大山祇神の娘神である木華開耶姫命 このはなのさくやひめ をお祀りしています。猛火のうちに御身無事に、三柱の御子をお生みになられた霊異で知られ、子授け、安産、厄除けの神として崇敬されています。
共に内宮の所管社です。





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五十鈴川に宇治橋





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宇治橋内側東にある大鳥居の前に佇む永見先生


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誠に恐れ入りますが 「写真や画像やロゴ等の転載は厳禁」ですので ご了承ください。
Sorry but the reproduction of the photograph and the logotype is strictly forbidden.





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柊家 旅館 京都 麩屋町 永見隆幸 再訪 令和四年七月 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、京都 麩屋町にある旅館 柊家 ひいらぎや に再び滞在なさいました。



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永見隆幸先生(左)柊家六代目女将 西村明美さん(右)





永見先生のホテル暮しは よく知られています。
舞台人として、アメリカ、ヨーロッパ、東京、名古屋、京都と、世界を駆巡る先生には、旅館やホテル暮らし以外の選択肢が無いのかもしれません。



京都を代表する老舗旅館として知られる柊家は、川端康成、三島由紀夫、吉川英治、林芙美子、宇野千代らの文学者が贔屓 ひいき にし、若き日の夏目漱石も初めての京都旅行で泊りました。





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柊家の玄関


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重野成斎 しげの せいさい の書「來者如歸 らいしゃにょき


きた る者 帰るが如し。
柊家では、訪れる人が我が家に帰って来たように寛 くつろ ぐことの出来る持成 もてな しを心掛けていらっしゃるそうです。



重野安繹 しげの やすつぐ
文政10年10月6日=1827年11月24日~明治43年=1910年12月6日 享年83歳
薩摩藩、鹿児島県出身。
号は、成斎 せいさい 曙戒軒鞭 しょかいけんべん。字は子徳。通称は厚之丞。
漢学者。歴史学者。日本最初の文学博士。私塾「成達書院」開校。太政官正院修史館館長。帝国学士院会員。帝国大学文科大学教授。公益財団法人「史学会」初代会長。東京学士会院会員。勅選貴族院議員。錦鶏間祗候 きんけいのましこう
著書に、『赤穂義士実話』『稿本国史眼』『教育勅語衍義』『帝国史談』『支那疆域沿革図』『成斎文集』『大日本維新史』『万国史綱目』『国史総覧稿』ほか。





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永見先生お召の英国製「麻 linen」生地を用いた三揃は、昭和大帝、上皇陛下、今上陛下の三代に亘り 天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、永見先生のために仕立ててくださったものです。





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柊家の応接間


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机上のオブジェ

京都の硝子作家である荒川尚也の作品に柊家オリジナルお香立を 配 あしら ったもの

こういう感覚が抜群と永見先生激賞


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訶梨勒 かりろく

永見先生にお聞きしたところ、訶梨勒 かりろく は、新年、慶事、茶席などにて飾られる縁起のよい香袋なのだとか。室町時代の柱飾りだそうです。昔から、訶梨勒(訶子 かし)の実は薬用に供されており、魔除けや厄除けとして、訶梨勒の実を袋に入れて柱に飾ったのがはじまりと言われています。





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今回の永見先生のご宿泊は 川端康成が よく 奥方と二人で逗留した十四号室

川端康成が執筆に当るのは十六号室、一人で滞在の時も十六号室に泊ることが多かったのだとか。


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本間十畳と次の間四畳の伝統的な数寄屋造の座敷で、最も古く、江戸時代にできた部屋だそうです。





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次の間


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本間





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付書院


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硯箱





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柊家特製「臘月 ろうげつ


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本間にて寛 くつろ がれる永見先生





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早速ご挨拶にお越しくださる柊家六代目女将の西村明美さん(右)永見先生(左)





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この部屋の庭も永見先生のお気に入り





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暫くすると燈籠 とうろう に 灯 あかり が 点 とも りました。





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入側の突当りにミニ・カフェ・コーナー





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左側が御手洗~ 奥が洋式で手前が和式

右奥が洗面所


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御手洗前の障子窓


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御手洗前の窓から見える庭の景色





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洗面所


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漆塗の風呂場 配 あし らわれ ている柊の模様


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高野槇 こうやまき の浴槽





夕食は、柊家のご厚意で、新館にてお召上りになりました。





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先付


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食前酒 招穂 純米吟醸 夏の酒 生貯蔵酒


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雲丹 玉蜀黍 トウモロコシ 擂流 すりながし


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毛蟹 海素麺(ウミゾウメン/海ぞめ) 生姜酢車厘 ぜりぃ





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鱧吉野 蓮根 三度豆 柚子 梅肉


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造里


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甘鯛 煎酒 いりざけ


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鮪 米 玉葱 たまねぎ 海苔





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焼物 鮎 あゆ 丸十 新銀杏 飯蒸 田中唐辛子 山椒 さんしょう たれ





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八寸


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鱧子玉締 石川芋 枝豆 車海老


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鰻冊 うざく


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巨峰白和 しらあえ





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しのぎ 桃 葛素麺 旨出汁





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煮物 太刀魚 縞綱麻 モロヘイヤ 千両茄子 鬼下 おにおろし 一味


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食事 大葉御飯 新潟魚沼産越光 コシヒカリ 梅肉
香物 こうのもの 水茄子 青瓜
赤出汁 蓴菜 ジュンサイ 粉山椒





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料理が美味しいので、永見先生が花板さんの名前を中居さんにお聞きになったら、ご丁寧に、お名刺をいただいたそうです。

柊家の料理長は岩山泰久さん





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水物


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果物


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無花果 いちじく 甜瓜 メロン 麝香葡萄 マスカット


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永見先生が夕食を召上ったお部屋の洗面所





お食事が済んでお泊りの部屋に戻られます。





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欄間


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食後のお茶の用意


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永見先生のお部屋に射込む朝の光





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硯箱





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朝の中庭を愛でる永見先生





柊家のご厚意で、朝食も、昨晩と同じ新館のお部屋をご用意してくださいました。





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水を地下から汲上て循環させているのだとか。


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京都に欠かせぬ水を 設 しつら えとして可視化させ 意匠としても素晴らしいと永見先生





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坪庭の蹲 つくばい





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旭日 きょくじつ に照らされて夜とは異なった表情を見せる床の間


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朝御飯 質量ともに極めて満足と永見先生





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湯豆腐の桶は 人間国宝 中川清司作


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中の豆腐は平野とうふ製


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豆腐と共に温められる湯豆腐の汁 つゆ





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薬味もたくさん


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湯波半老舗の湯葉





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蜆汁 しじみじる





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御飯の御菜 おかず も盛沢山


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香の物


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焼海苔


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醤油差


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お櫃 ひつ





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永見先生が朝のデザートがわりに召上るオレンジ・ジュース





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永見先生の出立 しゅったつ 前にお部屋で出してくださった冷し飴





柊家六代目女将の西村明美さんが、永見先生のお発ちになる前にお目にかけようと、古い資料を仕舞わずに用意して待っていてくださいました。





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右端「第一公式鹵簿京都御所御苑内御進行之光景」と読めます。


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左端「今上陛下」右端「秩父宮雍仁親王殿下 仝 どう 勢津子妃殿下」と読めます。

永見先生によると、今上陛下とは昭和大帝、御即位の御大礼に関する資料に間違いないそうです。


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女将の指している写真は当時の京都駅の光景


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奉祝電車や提灯行列の写真


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女将が指し示しているのは往時の柊家の写真

永見先生によると、その上の書状は次のように読めるそうです。


柊家

大禮 御幸ノ節
其ノ旅館ノ供奉員
宿舎ノ指定儀事

昭和三年十月十一日

宮内省


註)供奉員 ぐぶいん:皇室の外出にお供する宮内省関係者



今上(昭和天皇)陛下 御即位 御大礼の行幸に際し、柊家を宮内省関係者の宿舎に指定する。

簡単に現代語訳すると、こんなところでしょうか。柊家クラスにおいて、宮内省関係者とは、間違いなく大臣級ということでしょう。





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旅館サービス讀本 昭和十三年=1938年 京都市観光課発行 

この旅館サービス読本では、歴史性、精神性、文化性、美術性、自然景観を京都の特性として挙げ、京都は、国内随一の精神都市、文化都市、そして世界的な観光都市と謳 うた われていると記載。

冒頭には「貴方のイメージが京都のイメージに繋がる」と記されており、実質的に昭和初期から行政が おもてなしの指揮を執っていたように思われます。





貴重な生の資料を目の当りにして永見先生も感激していらっしゃいました。





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柊家のタオルに包 くる んで何やら手渡された永見先生


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飲料水を凍らせたもの


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そして塩飴も ~ 熱中症にならないようにという思い遣り





永見先生が仰 おっしゃ るには、「こうした配慮は、子を護る親心の如き心配りのように思います。柊家の玄関に掲げられている『來者如歸 らいしゃにょき』の精神、つまり、客人が我が家に帰って来たように感じる飾らぬ持成 もてな しが、柊家では、至るところで実践されていると自分は考えるのです。それは、川端康成の『昔から格はあっても、ものものしくはなかった。』という柊家評に繋がるのではないでしょうか。」





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永見先生(左)を お見送りくださる柊家六代目女将の西村明美さん(右)





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永見隆幸先生 ご尊父様 三回忌法要 [永見隆幸先生information]



永見隆幸先生のご尊父様の三回忌法要が厳 おごそ かに執 とり 行なわれました。永見家は、戦国時代よりずっと、龍谷山本願寺を本山とする西本願寺の檀家だったそうです。



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永見隆幸先生(右)導師を務められた熊谷正明ご輪番(左)

永見先生の右側にあるお写真が御尊父様のもの

御尊父様のお写真と先生の間に見えるのは極めて分厚い永見家の過去帳





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ご尊父様の三回忌法要が営まれた大本堂





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応接室にて法要の開始をお待ちになる永見先生





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熊谷正明ご輪番(左)永見隆幸先生(右)


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永見家を代表して御挨拶なさる永見先生

因みに永見先生は龍谷山本願寺の参与でいらっしゃいます。





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御斎 おとき にて

熊谷正明ご輪番(右)
あや 正豪 まさひで さん(左)
永見隆幸先生(中央)





永見隆幸先生 御尊父様 御逝去
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We extend our sincerest condolences on the passing away of Mr. NAGAMI's father.


永見隆幸先生 御尊父様 新盆法要
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西本願寺 龍谷山本願寺

天童木工 東京ショウルーム 永見隆幸 再訪 東京 港区 浜松町 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が、東京港区浜松町にある天童木工の東京ショウルーム TENDO Mokko Showroom & Store, Tokyo を再訪されました。


ディライトフル・グループの新事務所に備える机や椅子などをお選びになるためです。



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ショウルーム前のオブジェ objet と 永見先生


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天童木工 社史のあらまし


昭和15年=1940年、山形の旧天童町にて創業。
昭和24年=1949年、第1回全国中小企業振興展で長官賞を受賞。
昭和34年=1959年、全国中小企業輸出振興展で柳宗理のバタフライスツールと卓子が通商産業大臣賞を受賞。
昭和39年=1964年、第10回毎日産業デザイン賞を受賞。
昭和56年=1981年、座卓 S-0228 が1981年度Gマーク ロングライフデザイン特別賞を受賞。
昭和57年=1982年、常陸宮両殿下 本社工場を御視察。
昭和62年=1987年、三笠宮妃殿下 本社工場を御視察。
平成2年=1990年、三笠宮寛仁親王殿下 本社工場をご視察。
平成3年=1991年、東京新都庁舎に会議テーブル等を納入。
平成4年=1992年、天皇皇后両陛下 本社工場を御視察。
平成5年=1993年、秋篠宮妃殿下 本社工場を御視察。

日本の木製家具メーカーとして初めて成形合板技術を実用化したことで知られる。古くから社外の家具デザイナーを起用し、成功を収めている。

官公庁や企業などを対象とした特注家具、コントラクト家具の製造にも数多く携わる。レクサス、トヨタ、ホンダの本木目パネルやウッド・ステアリングなども手がけている。

世界初の圧密成形技術開発により、家具に向かないと考えられていた杉や檜 ヒノキ など針葉樹の成形合板家具製造に成功、平成二十七年=2015年の「第6回ものづくり日本大賞」において最高賞の内閣総理大臣賞を受賞。





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写真ではよく判りませんが、永見先生が腰掛けていらっしゃる波型長椅子は、メリスタ(メリー・アーティスツ・カンパニー専用スタジオ)の入口に設置されているものと同じです。


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メリスタに設置されている天童木工の波型長椅子





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ショウルームのエントランスに置いてある椅子に座ってリラックスなさる永見先生





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永見先生が椅子をお選びになるポイントは、オブジェとして飾るのでなければ、次の通りです。


先ず、座り心地。特に人間工学的な知恵が生かされているかどうかが重要なのだそうです。
次に、堅牢 けんろう か否か。しっかりしていて長持ちするものでないと、使う気にならないのだとか。確かに直ぐ壊れたら意味ありませんものね。
第三に、その部屋にマッチした椅子かどうかが大切だということです。
その次が、デザインだそう。





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上に掛っているオブジェに興味津々の永見先生


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永見先生はこのボード&キャビネットがお気に召したようですが残念ながら廃番





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剣持勇 けんもち いさむ の柏戸椅子

山形県出身力士である柏戸 かしわど 関の横綱昇進を記念してこの椅子が贈呈されたことに因んで名付けられたそうです。





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磯崎新 いそざき あらた のモンロー・チェア

アメリカの女優マリリン・モンローのボディラインを参考に描き出された「モンローカーブ」と呼ばれる曲線が特長です。部分によって厚みを変える不等厚成形合板という高度な技術が使われているのだとか。モンロー・チェアは、九州市立美術館の会議室に初めて使用されました。





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プレゼン用のテーブル模型


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永見先生とってもお気に召したご様子でしたが残念ながら非売品





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澄川伸一の Rio 2016 オリンピックテーブル「Infinity 2016」ミニチュア

永見先生これも大層お気に入りですがまたもや非売品

リオデジャネイロ・オリンピック2016で使用された実物の卓球台は、東日本大震災で被災した岩手県宮古市産木材を利用した脚部を、天童木工が担当されました。





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永見先生は本当にこういうオブジェ系が大好きでいらっしゃいます。





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ここにもモンロー・チェア





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桜を用いた重厚なデスク

何を隠そう、ザ・ディライトフル・カンパニー品川事務所の執務室デスクは、天童木工特注の桜製デスクが備えられています。





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永見隆幸
NAGAMI Takayuki


音楽家 著作家 舞台ディレクター

20代から30代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

ヘンデルなどのバロック・オペラや、モーツァルトの『魔笛』タミーノ、『コジ・ファン・トゥッテ』フェランド、『後宮からの誘拐』デルモンテや、ヴェーバー『魔弾の射手』マックスなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

ヴェルヴェット・ヴォイスのマエストロと称され、トリノ王立歌劇場などに出演する。数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演をはじめ、常に脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン Gershon 役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『ザ☆ブロードウェイ』バーディ・ウォリントン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感や抜群の表現力が高い評価を得ている。
メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO のリード・ヴォーカリスト Lead Vocalist。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。現在、新録音進行中。

東海地方においても活躍。名古屋市芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
美術にも造詣が深く、「目利き めきき」や「見巧者 みごうしゃ」と呼ばれている。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。

現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director、東京二期会 会員、ほか。
(プロフィール作成:ザ・ディライトフル・カンパニー)





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毘沙門せんべい 福屋 神楽坂 永見隆幸 再訪 勘三郎せんべい 東京 新宿 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督の 永見隆幸先生が、東京 新宿の神楽坂にある 毘沙門せんべい 福屋 を再訪されました。



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永見隆幸先生(右)毘沙門せんべい福屋三代目 若旦那の福井さん(左)





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毘沙門 びしゃもん せんべい 福屋の前に佇む永見先生





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福屋の真向いに 毘沙門天 善國寺があります。屋号の毘沙門せんべいは、これに肖 あやか って名付けられたそうです。

毘沙門天 びしゃもんてん は、仏法を守護する四天王の一尊として、多聞天とも呼ばれます。四天王とは、持国天、増長天、広目天、多聞天の四尊。





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毘沙門天 善國寺にての永見先生





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毘沙門せんべい 福屋 の創業は 昭和二十三年=1948年





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毘沙門せんべい福屋では、全ての品が職人による手焼だそうです。


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福屋は、十七世中村勘三郎丈や十八世中村勘三郎丈をはじめ、歌舞伎の中村屋ご用達の煎餅店として知られています。





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十七世中村勘三郎丈 直筆の色紙

備長 びんちょう の 手焼 てやき せんべの 焦げよろし

大のご贔屓で「毘沙門せんべい福屋」に足繁く通っていた十七世中村勘三郎丈は、焼過ぎと思われるような焦げた煎餅が大好物だったそうです。しかし、実際に真っ黒焦げになった煎餅を持参したところ、「さすがにこれは食えねぇな 笑」ということもあったとか。
焦げ煎餅を勘三郎丈専用の大きな地球瓶 ちきゅうびん に溜めておいたところ、ほかの客の目にも留まって名物になりました。そこで、中村屋さんの快諾を得て、勘三郎せんべいと命名されたのです。





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中村屋 縁 ゆかり の品々

十七世中村勘三郎丈 十八世中村勘三郎丈 直筆の色紙
五世中村勘九郎丈(十八世中村勘三郎丈)と 六世中村勘九郎丈の扇子 等々


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名物 勘三郎せんべい





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屋久杉の天井





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丸に違釘抜 ちがいくぎぬき の家紋と扇子の浮彫が施された木製会計盆 carton


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永見先生のお買い求めになられた勘三郎せんべい

福屋三代目が永見先生の買いっぷりに驚いて放 はな った言葉は「買占め?!?」

どれだけの数量になるのか先生のお許しを得て並べてみました ♬





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どひゃ~!


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とてつもなく お好きでいらっしゃるんですねぇ…


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永見先生 曰 いわ く「袋を開けた時の芳ばしい香り、しっかり堅いパリッとした食感、旨味の詰った醤油味、やっぱり煎餅はこうでなくっちゃ!」





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永見隆幸 毘沙門せんべい福屋 訪問
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勘三郎煎餅 東京 新宿 神楽坂


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高田メガネ 高田巳之助商店 永見隆幸 再訪 東京 千代田区 丸の内 [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、東京千代田区の丸の内にある高田メガネ(高田巳之助商店)を再訪されました。



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永見隆幸先生(右)
高田 たかた メガネ 代表取締役 高橋一成社長(左)

永見先生の眼鏡のお世話は高橋社長が全て担当してくださいます。


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永見先生お召のオレンジ甲の 鼈甲 べっこう 眼鏡も 高田メガネで 誂 あつら えられたものです。





高田 たかた メガネ(高田巳之助商店)について永見先生にお伺いしました。


スタッフ:
永見先生は、どのような経緯で、高田メガネ(高田巳之助商店)をご利用なさるようになったのですか。

永見先生:
通っていた村田眼鏡舗(眼鏡舗 村田長兵衛商店)が、平成30年=2018年3月20日(火)に閉店してしまったからです。


スタッフ:
確か、村田眼鏡舗(眼鏡舗 村田長兵衛商店)は、日本で最初の眼鏡専門店でしたね。

永見先生:
そうです。結構 気に入っていたし、宮内省御用達の歴史と伝統ある店でしたから、閉店はショックでした。
そこで、紹介されたのが、高田メガネ(高田巳之助商店)だったという訳です。


スタッフ:
何故、村田眼鏡舗は、高田メガネ(高田巳之助商店)を先生に紹介されたのでしょうか。

永見先生:
先ず、信用の置ける店だということ。次に、眼鏡に対する考え方が村田眼鏡舗に極めて近いこと。そして、営業スタイルが似ていること。この三点を挙げていました。


スタッフ:
眼鏡に対する考え方について教えてください。

永見先生:
両店に共通するのは、先ず、眼鏡は医療器具であるという捉え方です。医療器具としての機能を十全に果すことが最も重要だという考え方なのです。つまり見易さ第一。次に、使い易さと掛け心地のよさ。そして、眼鏡は顔の一部になるのですから、その人に合った眼鏡であること。
デザイン重視やコスパ重視や売らんかなの眼鏡屋とは一線を画していると思います。
眼鏡の扱いも実に丁寧で、自分は高田メガネに全幅の信頼を置いています。





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広々とした店内に充実した品揃え

自慢の検眼室、コンサルティングルーム、ロービジョンルームなども完備しています。





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創業当時の高田巳之助商店 MINOSUKE TAKATA, OPTICIAN=高田メガネ
住所に注目!何と東京市本郷區弓町!

高田メガネの創業は 明治17年=1884年
村田眼鏡舗に勝るとも劣らぬ歴史の厚みと顧客の質量を誇ります。





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実は、高田メガネが店舗を移転されるのだそうです。本日、永見先生が高田メガネに寄られたのは、移転に当って、御祝儀代りの眼鏡を一つ注文されるためだったのです。
なさることが本当に粋ですねぇ!


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残念ながら、もう、この光景も見られなくなってしまいます。





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高田メガネのフロアから見える 東京駅 丸の内駅舎


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永見隆幸 村田眼鏡舗 訪問
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平成30年3月20日 店仕舞当日


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伏見永幸稲荷 メリー・アーティスツ・カンパニー公演成功祈願祭 ザ・ディライトフル・カンパニー開運招福祈願祭 永見隆幸 企画 立案 プロデュース [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクターの 永見隆幸先生が、企画、立案、プロデュースされた 稲荷宮 いなりのみや「伏見永幸稲荷 ふしみえいこういなり」にて、メリー・アーティスツ・カンパニー公演成功祈願祭と ザ・ディライトフル・カンパニー開運招福祈願祭が滞りなく斎行されました。


伏見永幸稲荷は、伏見稲荷大社より 本大斎祀式 御神璽勧請 おみたまかんじょう を 受けていらっしゃいます。





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祈願祭は龍城神社の御神職を招聘して執行われました。





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御供物 おそなえもの


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言うまでもありませんが、永見先生もディライトフル・グループも、宗教活動や政治活動は一切行っておりません。念のため。





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・永見隆幸(左から四人目:メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督/ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督)
・くまがや敏(左から二人目:ザ・ディライトフル・カンパニー代表取締役社長)
・桜井ゆう子(右から二人目:脚本家/演出家/振付家/ザ・ディライトフル・カンパニー取締役ミュージカル事業部長/スマイル・ミュージカル・アカデミー SMA 主催)
・渡辺勉(右から四人目:メリー・アーティスツ・カンパニー・ジャズ・ディヴィジョン・アドヴァイザー/メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO バンドリーダー)
・柴田祥(左から三人目:指揮者)
・安藤麻実(左:演出助手/振付助手/制作助手)
・松本朋子(右から三人目:歌唱指導)
・加藤雅之(右:制作)





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愈々 いよいよ 祈願祭が始まります。





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永見先生が先陣を切ってお詣りされました。


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ザ・ディライトフル・カンパニーくまがや社長





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神妙に参列する渡辺勉さん(手前:意外に根は真面目)


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ちゃんと作法通りに参拝される渡辺勉さん(左:意外に几帳面)





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松本朋子(右)永見隆幸先生(左)

実は、今回の祈願祭の仕掛人が、松本朋子さんなのです。永見先生の企画プロデュースされた伏見永幸稲荷に是非お詣りしたいという強い願いが様々な方の耳に入り、此度 このたび の祈願祭が執行われる運びになりました。

宗旨は違いますが、「求めよ、さらば与えられん。Ask, and it shall be given you. 新約聖書マタイ伝7」ですね。





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特選檜製看板三枚共に、橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠の揮毫、福善堂坂井看板店製作。





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メリー・アーティスツ・カンパニー大看板と ザ・ディライトフル・カンパニー金看板の前で

両看板共に、橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠の揮毫、福善堂坂井看板店製作。
メリー・アーティスツ・カンパニー大看板の飾脚 かざりあし は指物益田製作。





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御神額のかかる両部鳥居の前にて

御神額の題字は橘流書家で江戸文字の大家として知られる橘右之吉師匠、福善堂坂井看板店、指物益田ほかの製作。

両部鳥居を始め七本の朱塗檜鳥居は、西口神具店の製作。




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永見先生お召のディレクターズ・スーツ Director's suit は、天皇陛下のテイラーとして知られる服部晋さんが、ジャケットとウェィスト・コート(ヴェスト)waistcoat を世界最高の礼服用生地と謳 うた われる レッサー&サンズ H.Lesser & Sons London ヴィンテージ生地、ストライプト・トラウザース(縞ズボン)striped trousers を 1836年創業の英国名門 ホーランド&シェリー HOLLAND&SHERRY の生地を用いて仕立ててくださいました。





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伏見永幸稲荷 御本殿前にて

伏見永幸稲荷 御本殿も西口神具店の製作。





メリー・アーティスツ・カンパニー公演成功祈願祭と ザ・ディライトフル・カンパニー開運招福祈願祭は恙 つつが なく斎行され、目出度くお開きになりました。





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直会 なおらい 会場 和食処「きさらぎ」

直会と言っても厳密に正式なものではありません。


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きさらぎは、この地方で一番美味しい日本料理と、皆の意見が一致しました。


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祈願祭の斎行を祝って乾杯!





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付出 蛸柔煮 玉蜀黍 ベビーコーン





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御造里 本鮪 黒鯥 クロムツ





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椀物 鱧 はも 葛叩 くずたたき 蛤 はまぐり


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八寸
豊浜の水雲 もずく 鯵酢締 鶏魚 いさき 白子 キャヴィア 蛽貝 バイガイ 
和物 あえもの 芹 せり 法蓮草 縮緬山椒 ちりめんさんしょう


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蒸物 黒鯥 クロムツ 飯蒸


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焼物 金目鯛 玄米麹漬


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小吸物 南禅寺蒸 雲丹 渡蟹


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炊合 たきあわせ 鮑 あわび 柔煮





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食事 御飯 赤出汁 あかだし 糠漬 ぬかづけ


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御飯 生姜 雑穀米


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赤出汁 滑子 ナメコ 豆腐





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水物 金柑 きんかん 蜜煮 佐藤錦 枇杷 びわ 藍苺 ブルーベリー





充実したひと時を分ち合って皆さん公演完遂を誓いました!





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伏見永幸稲荷 御本殿にて

・永見隆幸(後列左から三人目:メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督/ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督)
・くまがや敏(後列左から二人目:ザ・ディライトフル・カンパニー代表取締役社長)
・桜井ゆう子(右:脚本家/演出家/振付家/ザ・ディライトフル・カンパニー取締役ミュージカル事業部長/スマイル・ミュージカル・アカデミー SMA 主催)
・渡辺勉(後列右から三人目:メリー・アーティスツ・カンパニー・ジャズ・ディヴィジョン・アドヴァイザー/メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO バンドリーダー)
・柴田祥(後列右から二人目:指揮者)
・安藤麻実(前列左:演出助手/振付助手/制作助手)
・松本朋子(前列中央:歌唱指導)
・目次恭子(前列右:音楽助手/振付助手/制作助手)
・加藤雅之(後列左:制作)





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伏見永幸稲荷 竣工祭 奉祝祭 斎行
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永見隆幸 観劇 羽根渕章洋 新国立劇場 New National Theatre, Tokyo [永見隆幸先生information]



音楽家、著作家、舞台ディレクター、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー芸術監督の永見隆幸先生が、ミュージカル俳優の羽根渕章洋さんが出演される舞台をご覧になるため、渋谷の本町にある 新国立劇場 New National Theatre, Tokyo に お出ましになりました。


永見隆幸先生と羽根渕章洋さんは、昨年、令和三年=2021年11月に上演された 永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー・ミュージカル『ザ☆ブロードウェイ~THE☆BROADWAY』の共演で大好評を博し、いまだに、お二人の再共演を期待する声が寄せられています。



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タカさん(左:永見隆幸)ブチさん(右:羽根渕章洋)

タカさんブチさんの名コンビを待望む声は日に日に大きく!





羽根渕章洋
HANEBUCHI Akihiro

昭和59年=1984年にキャッツオーディションで劇団四季に入団。主な出演作品には、『キャッツ』ミストフェリーズ役/コリコパット役、『ライオンキング』ティモン役、『ウエストサイド物語』A-ラブ役、『コーラスライン』リチー役/アル役、『クレイジーフォーユー』ピート役、『ヴェニスの商人』ソレイニオー役、『嵐の中の子供たち』モールス役、『ハンス』、『エビータ』、「ソング&ダンス」、「35ステップス」、『夢から醒めた夢』、『ドリーミング』など多数。約25年在籍し、平成20年=2008年に退団。
その後も、永見隆幸&メリー・アーティスツ・カンパニー『ザ☆ブロードウェイ』、ミュージカル座『マリオネット』、RKX/フジTV『魔女の宅急便』など、多くの舞台を務めている。現在は、フリーで活躍。





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新国立劇場楽屋口での出待ちは原則禁止なので場所を変えて羽根渕さんを待ちます。


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永見隆幸
NAGAMI Takayuki


音楽家 著作家 舞台ディレクター

20代から30代の殆どを欧米で過ごし、国際的な実力派アーティストとして活躍。クラシック、現代音楽、ジャズを中心に数々のオーケストラと共演する。

ヘンデルなどのバロック・オペラや、モーツァルトの『魔笛』タミーノ、『コジ・ファン・トゥッテ』フェランド、『後宮からの誘拐』デルモンテや、ヴェーバー『魔弾の射手』マックスなどの独墺系オペラをはじめ、ビゼー『カルメン』ホセ、ヴェルディ『椿姫』アルフレード、プッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォほか、オペラやオペレッタの主演多数。
ミュージカルでも、『ガイズ&ドールズ』ネイサン、『ラ・マンチャの男』ドン・キホーテ、『アニーよ銃をとれ オリジナル版』フランク、『キス・ミー・ケイト』フレッドなど数多くの主演を務め、『キャバレー』MCや『アニー』ウォーバックスなど、ユニークな役も演じている。

ヴェルヴェット・ヴォイスのマエストロと称され、トリノ王立歌劇場などに出演する。数多くのコンサートでソリストを務め、指揮者や指導者としても定評がある。
日本では、文化庁芸術祭主催公演やNHKクラシック・スタジオなどに出演。

音楽家のデューマス博士が「アメリカ大学時代から彼はずっとスターだった」と語るように、BHSア・カペラ世界チャンピオン "Crossroads" との共演をはじめ、常に脚光を浴びている。

メリー・アーティスツ・カンパニーにおいて、全公演の芸術監督と、『ザ・ヴォイス Frank Sinatra』フランク・シナトラ役、『ラプソディーdeパパ』ジョージ・ガーシュウィン(ガーション)役、『ベリー・メリー・クリスマス』アーヴィング・バーリン役、『ザ☆ブロードウェイ』バーディ・ウォリントン役、『BOBBY』ボビー・ダーリン役ほか、多くの主役を務めた。

ジャズでは、スタンダードの歌唱が心に残ると言われ、ビッグ・バンドと渡り合う圧倒的な存在感や抜群の表現力が高い評価を得ている。
日本を代表するアーティストにより結成された メリー・アーティスツ・ジャズ・オーケストラ MAJO のリード・ヴォーカリスト。CD『My Blue Heaven』『Joyful Christmas』などをリリース。現在、新録音進行中。

東海地方においても活躍。名古屋市芸術創造センター開館30周年記念公演『Mr.ブロードウェイ』で主演のジョージ・M・コーハン役、名古屋市民芸術祭主催公演『マイ・ブルー・ヘヴン』では指揮者のみならず上等兵の英霊とジャズ・シンガーの二役を務め、絶賛された。毎週土曜日15:55放送のラジオ番組 FM AICHI 80.7「サウンド・ステップス」のレギュラー・ゲストとしても知られる。

天才肌で芸術家気質の行動人、論理的かつ哲学的な思惟の人、という二つの面を併せ持つと文芸評論家の清水信に評された。芸術評論家の馬場駿吉は、「永見隆幸は多面体、その核心には強い自由の希求がある。」と述べている。芸術家として様々な顔を持ちながら、話題性や知名度に関心を示さず、謎に包まれたアーティストして知られる。
美術にも造詣が深く、「目利き めきき」や「見巧者 みごうしゃ」と呼ばれている。
著書に、『銀の光輝-しろがねのこうき』(NG出版)など。

現在、メリー・アーティスツ・カンパニー芸術監督、ザ・ディライトフル・カンパニー Artistic Director、東京二期会 会員、ほか。
(プロフィール作成:ザ・ディライトフル・カンパニー)





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永見隆幸 羽根渕章洋 打合せ
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永見隆幸&
メリー・アーティスツ・カンパニー
ミュージカル『ザ☆ブロードウェイ』


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This is Takayuki NAGAMI


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